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「電通」の名前が書かれた相関図
なぜ大手マスコミは「電通の疑惑」を報じないのか 東京五輪の裏金問題
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160524-00000032-zdn_mkt-bus_all
ITmedia ビジネスオンライン 5月24日(火)8時17分配信
少し前、ネット上で「マスコミの電通への配慮がハンパない」なんて声がちょこちょこみられた。
5月11日、英・ガーディアン紙が東京五輪の裏金疑惑を報じ、大手広告代理店・電通の関与も指摘していたのだが、国内の主要なテレビ・新聞がこの第一報を紹介する際、きれいさっぱり「電通」がカットされていたからだ。
なかでも注目を集めたのが、ガーディアン紙が公表した「2つの図」の扱いだ。1つは全体をざっくりと説明した人的相関図。これには電通は登場しない。しかし、もう1つの「裏金」がIOC幹部にたどりついた流れを説明した図には、しっかりと「Dentsu marketing company」という文字がある。
テレビ朝日の情報番組で、人的相関図は引用されたが、資金の流れを解説した図は最後まで画面に現われなかった。こちらは電通の顔色をうかがうあまり、引っ込めたというのだ。
日本のマスコミには、菊、鶴、菱、荊、桜に並ぶ「電通タブー」がある――というのはネット上ではわりと「常識」のように語られている。
ご存じのように、電通は単体で世界最大の広告代理店。「報道」だ「ジャーナリズム」だと大仰に構えたところで、広告費に依存せねばならぬテレビ・新聞にとって、もみ手して接しなくてはいけない相手だというのは、業界外の人間でもなんとなく想像がつくからだ。
そういう世の認識を踏まえれば、電通からのホットラインを受け、マスコミ幹部が「ガーディアンのヤツ? ああ、大丈夫、大丈夫、報道局に言ってスルーさせとくわ」なんてネグったのでは、と勘ぐる声があちこちから噴出するのもよく分かる。
ただ、個人的には今回の報道を「電通タブー」として片付けるのはあまりピンときていない。1つには、「マスコミの電通隠しだ!」とワーワー騒がれているまさにそのとき、スポーツニッポンやら日刊スポーツというスポーツ紙は、特にイキッた感じもなく自然体で「電通」の名を報じている点だ。
英紙ガーディアンは11日、東京側が同口座に約130万ユーロ(約1億6000万円)を振り込んだ疑いがあると報じ、国際陸連とマーケティング契約を結んでいる広告代理店電通の関与疑惑も指摘。電通側は報道を否定している。(スポーツニッポン2016年5月12日)
スポニチは毎日新聞、日刊スポーツは朝日新聞のグループ会社だ。こういうとこまで封じてこその「メディア支配」じゃないのかしら、という素朴な疑問が浮かぶ。だが、そんなツッコミどころより、なによりも今回における「電通タブー」が眉唾だと思うのは、マスコミの報道がこれっぽっちも「配慮」になっていないことが大きい。
●なぜ大手マスコミは「電通」の名を伏せたのか
ガーディアン報道を取り上げたのはスポーツ紙だけではない。BuzzFeedなどのネットメディアもごく普通に報じているし、ガーディアン紙とともに共同調査を行い、既に今年2月に『東京五輪招致で電通「買収」疑惑』といち早く報じているFACTAも公式サイトなどでしっかりと「追撃」している。
こういう状況下で、テレビと新聞が不自然に「電通」をスルーすれば、その「奇行」に注目が集まる。つまり、かえって「悪目立ち」をしてしまうのだ。中国共産党のマスコミ統制が、自国民のみならず世界中に知れ渡っているように、ネット全盛の時代、テレビや新聞の口を封じることは逆効果なのだ。
これは企業のリスクコミュニケーションをちょっとでもかじった者ならば、誰でも知っている基本中のキだ。電通ほどの世界的広告代理店が、「テレビ・新聞は黙らせといたから安心だわい、ガハハハ」なんて昭和の企業小説に出てくるフィクサーのような「モミ消し」を平成の世に行うだろうか。
行うわけがない。
もし仮に、電通がテレビ・新聞を完全にコントロールできるというのなら、あのような不自然な報道スタイルにはならない。スポニチや日刊スポーツが「電通タブーに切り込んだぞ!」なんて称賛の声があがっていないことからも分かるように、ストレートにサクッと報じられたほうが世の関心を集めず、「得策」だからだ。
そうなってくると、新たな疑問が浮かぶ。なぜ大手マスコミは「電通」の名を伏せたのか。
テレビ・新聞からしても、「広告で首根っこをつかまれているんだろ」と叩かれる。電通にとっても「悪目立ち」をする。関係各位にダメージを与えるような報道スタイルを、なぜテレビ・新聞はそろいもそろって選んだのか。バカなのか。
いや、バカではない。実はこれこそがテレビ・新聞を蝕んでいる「電通タブー」よりも深刻な病の症状なのだ。それを説明していくうえで格好の事例がある。「ヤクザ・オリンピック」だ。
●大手マスコミのスタンス
2014年2月、米・ニュースメディア『デイリービースト』と『週刊文春』がそろって、日本オリンピック委員会(JOC)の副会長を務める日本大学の田中英壽理事長が暴力団トップと一緒に並んでる写真を報道した。JOCの有力者がこんな「黒い交際」をしているわけだから、東京五輪は反社会勢力が裏で暗躍する「ヤクザ・オリンピック」になるのは間違いない、なんて調子で批判したのだ。
これに反応したのは、ネットと日刊ゲンダイぐらいで、テレビや新聞は報道があったことすら知らないかのように沈黙を守った。
まさかマスコミには「電通タブー」だけではなく、「日大タブー」もあるのか――なんて思わないでほしい。このとき、マスコミの記者たちは「当局が動くまで静観」というスタンスを貫いていたのだ。
実は『デイリービースト』と『文春砲』が報じる前から、日大・田中理事長の「疑惑」というのは、記者たちの間でわりと有名な話だった。
日大前理事長時代、学内の特別調査委員会でも不透明なカネの流れが追及されており、一部メディアが厳しく指摘していた。急先鋒はおなじみのFACTAで、山口百恵の赤いシリーズさながら、「黒い交際」「黒い別荘」と1年以上にわたってキャンペーンを展開していた。
当時、テレビや新聞の暴力団や特捜部の担当記者たちと別件の情報交換でよく会っていた。世間話で、「田中理事長の件、なんで参戦しないの?」と尋ねると、彼らは決まってこう答えたものだ。
「はじけてくれないと難しいですね。いつはじけてもいいように材料集めはしているんですけど」
「はじける」というのは事件記者の用語で、「事件化」を意味する。つまり、「疑惑」に対して捜査当局や文科省などがオフィシャルに動きをみせた段階で、一斉に報道解禁をする準備を進めているのだ。
●マスコミの「報道する・しない」の決定権
このようにマスコミ記者が「Xデー」をみすえて静観するうちに、次の「疑惑」が出た。2014年10月、米VICE誌が「日本でいま最も危険で、最も代償の高くつく写真」として、田中理事長と六代目山口組の司忍組長とのツーショットを報じたのである。
だが、これもマスコミはスルー。結局、彼らが「疑惑」を報道したのはそこからさらに半年経過した2015年4月だった。そう聞くと、そのタイミングでいよいよ捜査当局が動いたのか思うかもしれないが、そうではない。
実はこのとき、衆院文部科学委員会で下村博文文科相(当時)が、田中理事長の「疑惑」について問われ、「JOCおよび日大に対して責任ある調査を行い、その結果を報告するよう伝えた」と回答した。つまり、文科相という「公人」が「疑惑」に言及したことでマスコミ側は「はじけた」とみなし、報道が解禁されたのである。
なぜ延々とこのような話をしたのかというと、実はマスコミの「報道する・しない」の決定権は、自分たちが持っていないことをご理解いただきたかったのだ。公的機関が動けば報じるし、彼らが静観をすれば、そんな事実などまるでハナから存在しないかのように黙殺する。
そのようなマスコミの性質をふまえると、今回の不可解な報道がよく分かる。
実は、テレビ・新聞が「電通」を隠したと叩かれた翌日、『朝日新聞』は「2.2億円、正当性を主張」という見出しとともに、米ガーディアン報道を引用し、電通の広報担当者の否定コメントを掲載している。なぜ1日で急に「電通」が登場したのかというと、JOCの竹田恒和会長という「公人」が、「疑惑」について公式に言及をしたからだ。
5月23日日現在、マスコミ各社はごく自然に「電通」の名を出しているが、これは5月16日の衆院予算委員会に参考人で出席した竹田会長が「疑惑」について質問攻めにあったことが大きい。田中理事長の「疑惑」同様、国会の場で語られるということは「はじけた」という認識になるからだ。
●公的機関への「依存体質」
つまり、東京五輪裏金疑惑でマスコミが当初「電通」の名を伏せたのは「電通タブー」などではなく、単に捜査当局や公人が公式に「疑惑」について言及していなかった段階がゆえの「自主規制」だったのだ。
「なんだよ、電通の圧力じゃねえのか」という落胆の声が聞こえてきそうだが、個人的に「電通タブー」であってくれたほうが良かったと思っている。
電通のような民間企業の顔色をうかがって「忖度(そんたく)」しているというのなら、これは「カネ」の問題なので、報道機関が広告依存を解消するなどまだ問題の解決しようがある。しかし、公的機関への「依存体質」はちょっとやそっとでは解決できないからだ。
捜査当局、公人が言及しない「疑惑」を報じない、ということは裏を返せば、日本のマスコミの報道スタンスというのは、実は国会、役所、警察などの公的機関がイニシアティブを握っているということになる。つまり、今回の「電通カット」報道というのは、日本のテレビ・新聞が、英・ガーディアンやFACTAという調査報道に力を注ぐジャーナリストの見解よりも、公的機関の見方にお伺いをたてているという「情けない現実」をものの見事に浮き上がらせてしまったのだ。
聞いたこともあるだろうが、日本のマスコミ記者は“ふりだし”から、「夜討ち朝駆け」という警察幹部の自宅まわりを行う。これは情報源として親密な関係を構築する狙いもあるが、事件報道を行う際、担当記者としていつでも「裏取り」ができる体制を作ることが目的だ。
これは記者の「基本」とされる。警察官僚、高級官僚、国会議員、派閥の領袖……このような公人に携帯ひとつで「裏取り」ができるというのが優秀な記者である。言い換えれば、「いかに素早く公人や公的機関におうかがいをたてられるのか」がキモになっているのだ。
想像して欲しい。このような「ジャーナリスト教育」を30年近く施された人が巨大企業のトップになったらどうなるかを。政治家、高級官僚、警察官僚と「ポン友」として仲良く酒を酌み交わす間柄になれるのは間違いない。だが、権力の不正を暴くことができるのか。英・ガーディアンやFACTAのような地をはうような調査報道はできるのか。
●大手マスコミの「報道」は自滅の一途
東京五輪の不正疑惑を報じたのは英・ガーディアンとFACTAだ。甘利明前経済再生相のURをめぐる口利き疑惑、舛添東京都知事の政治資金の使い方問題はご存じ、週刊文春だ。
これらの媒体の記事を読めば分かると思うが、彼らの「裏取り」というのは、当事者に直撃をしたり、質問状などを送りつけたりするが、自分たちの取材や調査結果に自信をもっていれば、公人・公的機関がどんなに否定をしても、「疑惑」として世に出す。
実はこれこそがテレビ・新聞が文春やFACTAのような「調査報道」ができない最大の理由だ。
「疑惑」はマスコミの情報網にも引っかかる。しかし、「いかに素早く公人や公的機関におうかがいをたてられるのか」というのを体に叩き込まれているので、自前で「裏取り」ができない。ミスをすれば、企業人としての未来も閉ざされる。ゆえに知っていても目を閉じる。文春が報じた田中角栄の「カネ」の問題を、新聞記者の多くが知っていたにもかかわらず黙認していたように。
かくして、政府や役所、捜査機関が動いたものを報じるか、彼らからの「リーク」に依存するという今のマスコミの「報道スタイル」が確立されていったというわけだ。
マスコミ幹部は、報道が「萎縮している」とか「権力に忖度している」して、高市総務相や安倍首相を「犯人」だと吊るし上げる。その一方で、気の抜けたサイダーみたいな報道が出ると、マスコミは電通などの「タブー」を恐れている、みたいな論調もちょこちょこ出てくる。
正しい部分もあるのだろうが、「本当にそれだけなのか」と首をかしげる。あいつが悪い、こいつのせいだ、と常に原因をよそに求めているが、実は一番の問題は「自分」にあるのではないかと思う。
なぜFACTAや文春のような「調査報道」ができないのか。なぜ奥歯にものがつまったような言い方でしかニュースを報じられないのか。果たしていったい誰に気をつかっているのか。それは本当に安倍首相や官邸だけなのか――。
いい加減そろそろ我が身を振り返る時期にさしかかかっているのではないだろうか。
(窪田順生)
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