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集団的自衛権「合憲」学者の論理と倫理 今だから知りたい 憲法の現場から
九州大学法学部准教授・井上武史氏
2016年5月17日(火)
神田 憲行、法律監修:梅田総合法律事務所・加藤清和弁護士(大阪弁護士会所属)
昨年、安保法案に多くの憲法学者が「違憲」の声を上げた。だが極めて少数だが、「合憲」と発言した者もいる。そのあと彼の身に何が起きたか。その主張についてじっくり聞いて見た。憲法学者の姿、2回目は九州の新進気鋭の学者を紹介する。
安保法案を機に浴びたバッシング
井上武史(いのうえ・たけし)
1977年生まれ。京都大学法学部卒。指導教員は大石眞教授。岡山大学准教授、パリ第1大学客員研究員を経て、2014年10月より九州大学大学院法学研究院准教授。「結社の自由の法理」(信山社)で田上穰治賞受賞。趣味はマンドリン音楽、九州の温泉めぐり。
ツイッターに名指しで「殺してやる」と書かれた。警察に被害届けを出した。
大学に「あんな奴を雇っていていいのか」と電話も掛かってきた。事務局は無視してくれた。
同業者にフェイスブックで「化け物」と書かれ、テレビ番組で「ネッシーを信じている人」と揶揄された。
「ふだん少数者の人権を守れって言っている人が、矛盾していないんですかねえ」と、九州大学法学部准教授の井上武史は苦笑する。
井上がバッシングを浴びるようになったのは、昨年、安保法案についてのメディアからのアンケートで、「集団的自衛権は合憲」という論陣を張ったからである。最初に東京キー局からのアンケートに「合憲」と答えたら、中間報告で違憲論者が約50人、合憲論者は井上ただひとりだった。
「番組で私の見解が紹介されたとたん、ツイッターで『変な奴が出てきた』とか一斉に書かれましたね」
そのあと朝日新聞社のアンケートにも回答したら、安保法案が「憲法違反だ」「違反の可能性がある」と答えた学者が115人いたのに対し、「違反には当たらない」と答えたのは井上を含めて2人だけだった。その井上の詳しい論立ては同社のホームページで確認していただくとして、その骨子をまとめるとこうなる。
(1)一般論として政府が憲法解釈を変更することに憲法上の問題は無く、政治的責任を負うだけである。
(2)集団的自衛権は国際法上、国に認められた権利であり、日本国憲法はそれについて禁止も肯定もしていない。
(3)学説の価値は多数決や学者の権威で決まるものではない。
否定も肯定もしていないので違憲とはいえない
私はこの井上の見解を読んで混乱した。
私が理解していた学説は、個別的自衛権については憲法13条「個人の尊厳」規定などを足がかりに肯定するが、集団的自衛権は根拠条文がなく、授権規定(憲法が国家機関に権限を認める規定)がない以上認められない、というものだったからだ。つまり「集団的自衛権について日本国憲法は触れていないので安保法案は違憲」だと考えていたのだが、井上は「否定も肯定もしていないので違憲とはいえない」というのである。
「いまおっしゃた考え方を取る学者が違憲派の中にもいますが、そもそも問題の立て方が違います。個別的自衛権や集団的自衛権は国際法によって主権国家に認められた『権利』です。『権限』ではないので、その行使に憲法上の授権規定は必要ありません。そうでないと、憲法をもたないイギリスは行使できないことになりますが、実際には行使していますね。また、上記の違憲説は、国家と国家機関を混同しています。『集団的自衛権を行使できるか』の主語は『日本国』という国家なのであって、国家の一機関である『内閣』ではありません。だから、授権規定の有無はもともと問題になりません。9条が集団的自衛権を『国家として』放棄しているかどうかだけが問題で、放棄していないのであれば、あとは国会で行使に必要な法律をつくればよいのです」
昨夏の閣議決定による憲法解釈変更以降、一連の流れは「立憲主義違反」という声も強い。これにも井上は異を唱える。
「立憲主義が問題になる局面とはどういうときかというと、憲法改正のときなんですね。たとえば政権批判の禁止など表現の自由を否定する憲法改正が多数派の投票によってなされようとしたとき(=民主主義の暴走)、立憲主義との緊張関係が生まれるわけです。つまり憲法の『外』での話で、いま起きていることは憲法の『内』なので、民主主義の暴走については憲法81条の最高裁判所の違憲立法審査権というブレーキがあります。統治者の振る舞いや特定の法案を批判するときに使われる概念ではないです」
「もし安倍首相が暴走しているとするなら、それは統治者をコントロールできていない日本国憲法の不備なんです。だったら憲法裁判所を作って法律の事前審査をさせる仕組みを考えるとか、憲法がきちんと機能しているのか問うのが憲法学者の仕事なのに、そういう声を上げる人が非常に少ない」
――なぜそういう声が上がらないのでしょう。
「うーん、やっぱり憲法を一語一句変えてはならないという、戦後憲法学に流れているタブーだからじゃないですか」
70年前にできた憲法ですべてを解決できるのか
井上は安倍政権が憲法改正で考えている「国家緊急事態条項」についても賛成の立場だ。
「それは少し誤解があります。私はなにがなんでも憲法改正とは考えていません。大きな災害など緊急事態が起きたときに、まずは今ある法律で何ができて何ができないか確定し、必要なことだけれども法律の改正ではできないことがあるならば、憲法改正も視野にいれましょう、という立場なんです。すぐ憲法改正論議に結びつくことに違和感があります」
「これはフランスの改憲議論に教訓があります。フランスは昨年11月のパリで起きたテロ事件を契機に、緊急事態条項を憲法に盛り込もうとしました。しかしもう一つの柱であった国籍剥奪条項で与党内からも反対者が出て、最後は結局政争のような形になって頓挫しました。私自身はあれほどの重大な人権侵害措置を法律だけで行うのは無理なので改正をした方が良かったと思いますが、やはりああいう状態の中で冷静な議論は難しいと感じたんです」
――頭に血が上った状態で憲法をいじろうとするとろくなことにならない、ということですか。
「そう。だから平時のうちに議論を積み上げて置くことが大切なんです」
念のために申し添えるが、井上は党派性を持った学者ではない。プロフィールにもあるように解釈研究として評価された賞を受賞し、この春から法律学習誌で伝統のあるコーナーの筆者として起用されている。
――それにしても、井上さんのお立場はことごとく大多数の憲法学者とは異なる。なぜでしょうか。
「自分でもよくわからないですけれど(苦笑)、たぶん現行憲法に対する見方が違うのでしょう。私の疑問は、70年前にできた憲法という道具でなんでもかんでも解決できるのでしょうか、というところから出発しています。社会が進化していくと統治の理念も新しくなっていきます」
「たとえば環境保護は今や世界的な統治理念ですよね。でも日本国憲法には一行も書かれていない。日本は女性の社会進出が遅れていると言われて久しいですが、フランスでは憲法の規定にそういうことを入れましたからね(1999年の憲法改正で公選職での男女同数=パリテ=原則が定められた)。それで昨年末の地方議会選挙で女性の当選率は47%でした。これは憲法改正の効果だと思うんですよ。日本の憲法学が比較研究の対象にしているフランス、ドイツ、アメリカはそれぞれ新しい統治システムについて憲法をバージョンアップすることで対応してきている。日本もそういうことを視野に入れなくていいのでしょうか」
批判覚悟の自民党改憲案、受けて立つべき
――自民党の憲法改正草案も賛成ですか。
「憲法学での議論があまり反映されていない感じですね。かといって、一事が万事すべてだめ、という態度もよくないと思っています。自民党も批判覚悟で改憲案を提示したのでしょうから、憲法学者も受けて立って、建設的な議論を通じて良いものになるように仕向けて行かなければなりません。フランスは直近だと2008年に憲法改正をしたのですが、長老政治家が委員長となって有力な憲法学者や法律実務家を集めて議論させて草案を作り上げていきました。そういうやり方もあると思います」
――ではもしそういう委員会ができて井上さんが入られたとして、どういう改正を主張されますか。
「参議院を思い切って地域代表の府として位置づける、そのかわりに衆議院との権限に違いをもたせることです。また、政党は比例代表選挙や政党助成金など、他の団体にはない特典が与えられており、憲法で位置づけることが必要でしょう。さらに、違憲審査を専門的に行う憲法裁判所は、立憲主義の統治システムの到達点です。先の安保法論議での教訓もあるので、憲法裁判所の設置はもっと真剣に考えられてよいと思いますね。あと内閣総理大臣の衆議院解散権はなんとかしなければならないでしょう」
憲法が衆議院の解散について触れているのは2つの条文だ。
《69条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない》
《7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行う
三 衆議院を解散すること》
7条は天皇の国事行為、つまり儀式を定めたもので、本来の衆議院解散は69条の内閣総理大臣不信任案が可決したときに限られるはずである。しかし実際には「解散は総理の専権事項」と言われ、天皇による解散の儀式をすることによって衆議院を解散できるという「7条解散」が慣行として行われてきた。内閣総理大臣の衆議院解散権がはっきりしないことについて、憲法学の最高権威といわれる故・芦部信喜東京大学名誉教授もその著書の中ではっきりと「憲法の条文の不備」と指摘している。
「こんな重要な権限が条文の根拠もあやふやなまま行われているのは、それこそ立憲主義に反していますよ。憲法学者がこういう建設的な議論を公にしていくことで、国民の間に憲法制定権力を持っている主権者としての自覚を促すことにもつながると思います」
対権力という姿勢が強すぎるのでは
しかし実際にはそのような議論は広く行われたことはない。井上は去年からの憲法学者の行動について、「対権力という姿勢が強すぎるのではないか」と強く疑問をもっている。
「『憲法は国家権力を拘束するもの』という憲法観は正しいのですが、一面的で古い。これは君主が全権力を握っていた時代で、権力者を自分と関係の無い『他者』とみる憲法観です。でも今は国民主権で、権力者を私たちが選べる時代です。安倍さんは『他者』ではなくて、『我々の一部』なんです。彼が権力を行使しているのは、我々が選挙で委任したからなんです。我々が権力を持っていて、それをどうやってうまく統治者に委任していくか、ということのはずです。権力は我々が持っているという前提で憲法の議論をしなくてはいけません」
井上の話は私には新鮮だった。彼は憲法を理念ではなくツールとして捉えている。「井上さんと話をしていると、エンジニアと話をしているようです」と感想を漏らすと、「前にもそう言われたことがあります」と頷いた。
憲法学(界)への違和感は、大学生時代から抱いていたという。
「憲法の教科書を読んでいると、『○○すべき』みたいな『べき』論が多くて説教臭いと感じました。憲法学者は憲法が最高法規であることをいいことに、いろいろな個人的な想いや信念を『学説』という権威をまとわせて語る。しかし憲法は全ての人の生活にかかわることなので、解釈論を展開するときに個人的な想い入れや価値観を込めて良いのか。むしろそのような個人的な想い入れから憲法(理論)を解放したい、というのが私の研究姿勢の根底にあります」
今回私が井上に取材したいと思ったのは、井上の論文、論考をいくつか読んで、「これは柵の向こうから自分に届いた声だ」と感じたからだ。
昨年の安保法案の際、国会前に若者たちが集結して抗議の声を上げた。あの若者たちはいい。だがその周辺で年配の男性女性が、移動式の柵で交通整理をしている警官に罵声を浴びせかけている姿には嫌悪感しか抱かなかった。この抗議は、その柵を持った、向こう側にいる「警官(=自分たちの側でない人たち)」にこそ届かなければならないのに、と思った。だから井上の主張は、柵の向こう側(それは井上が権力側の人間という意味では無くて、私と違う考え方をする人物、という意味)から自分に届いた声だと瞬間に感じたのだった。
取材を終えて、井上のたとえば集団的自衛権合憲説や立憲主義について、私にはまだしっくりこないところがある。一方、フランスにみるような憲法改正議論の在り方は大いに勉強になった。また「安倍首相も我々の一部」という井上の言葉に共感もする。みなさんはどう感じただろうか。
ネット空間などでいろいろ不愉快な目に遭ったが、幸い研究生活において「息苦しさは感じていない」という。井上の発言にこれからも注目していきたい。
(文中敬称略)
このコラムについて
今だから知りたい 憲法の現場から
日本国憲法が揺らいでいる。憲法解釈を大きく変更した安保法が国会で成立し、自民党はさらに改憲を目指す。その根底にあるのが「押しつけ憲法論」だ。だが日本国憲法がこれまで70年間、この国の屋台骨として国民生活を営々と守り続けてきたのも事実だ。本コラムでは、憲法史上に特筆すべき出来事が起きた現場を訪ね、日本国憲法が果たしてきた役割、その価値を改めて考えていく。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/120100058/050500004/?
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