読売はファミレスに行く度に勝手にテーブルに置かれておりますが、最早無料でも読む気になれません。 ただ、正しくない記事を書き続けて来たことによって、逆に反面教師として国民自らが自立して考えるひとつのきっかけ材料になっているという点では、求めている形ではないが、別の意味で建設的な役割を果たしているという不思議な側面もありますね。 この状況下では致し方ない事ですが、マスコミが機能不全の現在、適切な判断材料を持ち合わせている層と、そうでない層に分離している状況が狡猾な自公政権にとって都合の良い結果をもたらしていると思います。 要は永年のマスコミ洗脳から解き放たれて知るべき事を知っている層と、未だマスコミの影響覚めやらず、知っているつもりでも知らない層いるという事です。 一部の盲目的な支持者を別とすれば、現在マスコミがお手盛りで発表している自公政権支持層とはほぼ後者なのではないでしょうか。 それと、言い回しの正誤は置いておくとしても、私も>>11様の仰られている内容に全面的に賛成です。 >>小選挙区制の今、四の五の言っても野党が一つの塊となって自公と闘う以外に勝つ方法はない。 正にこれであり、実現には紆余曲折ともないますが、論理的には物凄くシンプルであり 極々単純な足し算の問題に最終的には帰結せざるを得ないのですよね。勿論、紆余曲折あるからこそ理解は深まるのでありますので、目的達成の為に避けては通れない必要な過程ともいえますね。 我々国民が変わったことによって共産党は変わりました。これは国会デモなどを良い例として、これまで様々な形で行ってきた意識の高い方々の訴えの賜物と言えるでしょう。その波及効果として変わった共産党の英断に対して、今度は常々野党連携での政権交代を唱えてきた生活の小沢一郎が賛意を即座に表明いたしましたね。 これは「変わらないためには変わらなければならない」が持論の方ですからある意味当然の姿勢であるといえます。そして、中々変われないのが問題の民進党ですが、政界という特殊な世界は、制度として我々国民の代表者で成り立っておりますから、ある意味 我々国民全体の縮図と捉えることも出来ると私は思います。 長々書いて一体何が言いたいのかと申しますと、先に書きました知らない層という存在。この層は特に問題ないと思っています。そうではなく、知っている層の中にも変わることが出来た層、それとは別に知っているのに変われない層があります。 これは入れ子状の構造となっており、それが現実として反映されることとなりますが、 ここが変わることが出来るならば、その反映として多分民進党も変わらざるを得ない状況にならざるを得なくなるでしょう。 少々意味不明に感じると思いますが、更に噛み砕いていえば、政策云々言っている限り望む政策の実現は遠ざかり、何年も民心党執行部に出て行けといっている限り彼等が出て行くことはないという事です。これは一見矛盾するように見えても、決して論理矛盾などではなく一つの輪として帰結するのです。 陸山会事件以降、裏切り議員に対する出て行けという批判はかれこれ何百回と聞きました。果たして我々は望む結果を享受出来ているでしょうか。 この選挙直前の今、未だに政策論議に明け暮れている有識者もいます。果たして望む政策は実現できたのでしょうか。 この意見矛盾する逆説的な論理を一早く唱えていたのが、マスコミが総叩きした結果として国民からも歪んだイメージで見られることになっら小沢一郎。そして、最終的にこの帰結に理解を示して、方針の大転換を公言して実際に行動して見せたのが共産党の志位委員長です。 彼等は細かな政策は一旦脇において皆で手をつないで頑張りましょうといっているのです。最も実害を受けたであろう小沢一郎自身が民進党の批判を最低限に留め、自党の利益を省みず譲渡をし、上から見下されるような発言をされているにもかかわらず、文句一つ言わずに根気よく民進党との連携を模索しているのが共産党の志位委員長。 結果はもう明らかなのですね。彼等は何をやろうとしていると国民は考えているのでしょう。共産党が支持されているのは決して政策や政党としてだけという訳ではないのです。政党である前に政治家として、政治家である前に人として信頼されたということなのです。 ここで不思議なのは、何故、信頼している人のやり方が信頼できないのでしょう。 これは国民の意識次第に他なりませんが、実際に政策を一旦脇に置いたからこそ、大同団結の方向に向かっているのであり、結果として既に一人区での25名の統一候補も決まりましたよね。更には、民進党への批判を堪えて交渉してきた結果もしかしたら更なる連携に至るかも知れません。 我々国民はこの僅かに残った代表者たる政治家の姿勢を良く理解して支えるしかないのです。自民党も公明党も嫌だけど、民進党も嫌ならば、尚更、共産、生活、社民を後押しするしか道はありません。 この意識改革が出来なければ、最早政治を諦めるかどうかという瀬戸際まで来ており、政治を諦めるという事は、生活それ自体を諦めるという事に直結してくるのです。 それは安部総理に人生お任せ、白紙委任状を上げますよという事であり、個人的にはあり得ない話です。長々とつまらない話をごめんなさい。 都民
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