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佐藤優論、ヒューマニズムからテロリズムへ。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20160505
2016-05-05 哲学者=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』
私には、今、尊敬し、畏怖する思想家や文学者がいない。多くの思想家や文学者が活躍しているようだが、ほとんどが、甘い「ヒューマニズム幻想」に幻惑され、思想家や文学者に不可欠な「毒」や「悪」を喪失している。つまり思考の原理性、思考の過激性、思考の徹底性・・・を喪失している。
私が、「佐藤優という思想家」に惹かれるのは、佐藤優の言動に、例外的に、危険で物騒な「毒」や「悪」のリアリテイーを甘受するからだ。要するに、佐藤優の文章や言説には「テロリズム」の匂いがする。佐藤優の「人を殺す思想は本物だ」という言説は、まさしく「テロリズム擁護論」、あるいは「テロリスト待望論」を彷彿とさせる。
佐藤優に『先生と私』という珍しい著書がある。「山田義塾」という学習塾の先生たちとの交流を描いている。その頃は、学校教育の荒廃が目立ち始め、学級崩壊や登校拒否が社会問題となると同時に、学習塾という民間組織が、小中学校の教育現場に登場してきた時代だった。「山田義塾」は、その中でも有名な学習塾の一つだった。佐藤優は、学習塾世代の子供だったと言っていい。
さて、その『先生と私』の中に、印象的なエピソードが記されている。「浅間山荘事件」のテレビ中継を、小学校で見たという話だ。おそらく日本中の国民の多くが、そのテレビ中継の画面に釘付けになった。そして、佐藤優が、この事件について母親とかなり深刻な話をしたというエピソードである。
佐藤優の母親は、佐藤優少年を捕まえて、「もし、あんたが、過激派になって同じようなことをしたら、あんたを殺して自分も死ぬ」と宣告したという。私は、このエピソードを記す佐藤優の文章に、ある危険な匂いを、つまり過激派に飛び込み、発砲しかねないテロリズムの匂いを感じる。その直後から、佐藤少年は、マルクスやマルクス主義に目覚めるのだ。
実は、私も、この「浅間山荘銃乱射事件」や、あるいはその後、明らかになった「連合赤軍リンチ事件」、あるいはその直前の「三島由紀夫割腹自決事件」などに深い思想的影響を受けている。この時、日本の左翼は、一連のテロ事件から逃げたと言っていい。その後、左翼が、思想的に後退に後退を余儀なくされたことは、歴史が証明している。
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昨日は「憲法記念日」だったらしい。私は、憲法の成立過程の「暗い密室のドラマ」には興味あるが、「平和憲法」や「護憲」「改憲」というような言葉や議論にもほとんどが興味ない。「戦争法」がどうの、「戦争への道」がどうの、という議論にもほとんどが興味がない。私が、安倍首相等の「憲法改正論」に関心がないのは、「戦争」や「革命」「暴動」「テロリズム」を直視した議論ではないからだ。
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