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鈴木大地オフィシャルブログより
鈴木大地スポーツ庁長官と文科省が「記事の事前検閲」要求! 文科省は「雑誌は全部チェックしている」と開き直り
http://lite-ra.com/2016/04/asyuracom-2202.html
2016.04.30. スポーツ庁長官と文科省が事前検閲要求 リテラ
バドミントン選手の闇カジノ問題につづき、スノーボード選手の大麻問題が浮上したスポーツ界。驚いたのは、昨年、発足したスポーツ庁の初代長官に就任した元水泳選手・鈴木大地長官の発言だ。なんとこの状況で、「指導者が指導力を発揮すべきだ」という、まるで他人事のような中身スカスカのコメントしか発することができなかったのだ。こんな人間がスポーツ行政の中核を担っていて大丈夫なのだろうか。
しかし、実はこの人物をめぐってはもうひとつ、驚きの事件があった。鈴木長官を取材した雑誌記事をめぐり、長官と文科省サイドが編集部に対して“事前検閲”の圧力を加えていたことが先日、告発されたのだ。
それは、「日経ビジネスオンライン」で配信された林英樹記者による4月20日付の記事(外部リンク)。同記事によると、「日経ビジネス」(日経BP社)3月7日号では「経営者本田圭佑が米国に進出するワケ」という特集を掲載、アメリカでスクール事業に乗り出したACミランの本田圭佑のインタビューをはじめ、スポーツとビジネスの新しいかたちを取材した特集だが、そのなかで、鈴木長官にも取材したという。
しかし、問題が発生したのは、その取材から数日後のこと。〈政策課職員から人を介して記事の事前確認を求められたため、「お断り」のメールを入れたところ、今度は直接電話がかかってきた〉といい、メールと同じように説明すると、こんな言葉が返ってきたのだという。
「メディアに事前の原稿確認を断られたのは初めて。正直なところ驚いている」
驚いたのは記者のほうだろう。本来、報道において、記事を事前チェックするなどというのはありえないからだ。さらにいえば、今回のインタビューはスポーツ庁長官、つまり為政者である。政治にかかわる人物が記事の事前検閲を求めるというのは〈国家権力による報道への介入〉につながる行為だ。
しかも、記事の事前チェックを求めた人物は、昨年新設されたばかりのスポーツ庁の職員ではなく、文科省の官僚。〈スポーツ庁に限らず、過去の文科省幹部に対する取材について「事前にチェックしてきた」と言〉ったというのだ。
官僚の言い分は、こうだ。
「雑誌はすべて事前にチェックしてきました。経済誌もそれ以外の雑誌もすべてです。文科省の広報室にも改めて確認したので間違ありません。小さなコメントだけが載る程度や、時間がない場合にはそこまでしないこともあるが、インタビューの場合、新聞も事前チェックに応じている。一問一答スタイルの記事でも、コメントだけが入る形式でも同じように間違いがないか事前にチェックしてきました。政府の公式見解と違っていたら困りますから」
「報道機関から原稿確認を依頼されるケースだけでなく、こちらからお願いして原稿を事前に出してもらったケースもある」
林記者は〈大げさではなく、とても衝撃的だった〉と書いているが、それは当然の感想だろう。「日経ビジネス」では、〈掲載前の原稿を被取材者に渡すことを禁じている。文章を書いた人に著作権が帰属する寄稿などの例外はあるが、それ以外の記事では掲載前の“生原稿”を渡し、それを確認してもらうことはない〉という編集部のルールがあるという。これは編集権の独立を考えれば、いたって“常識的”な対応である。
その後も林記者は事前チェックを拒否し、一方、官僚は「私は原稿を出せと迫っているわけではない。そうですよね。だから検閲には当たりません。他のマスコミは事前に原稿を出している、その事実をただ客観的にお伝えしているだけです」と言い回しを変えてきたという。まるで脅しのような話だが、もっと恐ろしいのは、この官僚の言うことがほんとうなら、ずっと前からこうした事前チェックが行われてきたという事実のほうだろう。
林記者はこの一件から文科省記者クラブに所属する記者たちに事前チェックの経験があるかどうかを尋ね、その結果、1社として応じたことはないという返答が得られた。そして、その結果を再び文科省の官僚に伝えているのだが、返事は「文科省の記者クラブに所属しているメディアも記事の事前チェックに応じています。私の知る限りでは最近でもあった。それは間違いない。すべての雑誌は事前にチェックしていますが、記者クラブの記者の場合、正確にそれがどれぐらいの比率なのかまでは分かりません」というものだったという。
果たしてどちらの言い分が“真実”なのか。ただ、この強弁ぶりを見ると、すべてではなくても事前チェックは実際に行われているのだろう。
それにしても、これほど脅しのような事前チェックを迫られても屈することなく、ジャーナリズムの原理原則を死守し、しかも記事にして世に問うた林記者の姿勢は、じつに真っ当なものだ。ぜひ本記事を読んでいただきたいと思うが、今回の記事があきらかにしたのは紛れもない〈国家権力の横暴〉である。そしてそれは林記者も指摘するように〈電波停止を示唆することで、放送局の報道をすべてコントロール下に置こうとする高市発言と同じ傲慢さ〉だ。
もちろん、こうした国家権力による圧力の存在自体、許されるものではないが、この問題が根深いのは、圧力に簡単に屈してしまうメディア側の体質が背景にあることだ。
たとえば、雑誌の芸能人などへのインタビューでは、当たり前のように事前の原稿チェックが行われている。今回の鈴木大地・スポーツ庁長官も、選手時代ならばインタビュー記事が掲載される前にその内容を確かめることは“普通に”あっただろう。これを「当然のこと」と考えている編集者は多いかもしれないが、たんに利害の衝突を避けているだけで原理原則からは外れた行為。逆にいえば、こうした「馴れ合い」を繰り返しているため、強い力をもった芸能プロダクション所属のタレントのスキャンダルは報じないという歪な報道姿勢になってしまうのだ。
しかも、芸能人と政治家では根本的に社会的立場がまったく違う。為政者に対して「馴れ合い」を許せば、批判や告発といった“都合の悪い”記事は世に出せなくなってしまうからだ。とくに、為政者は発した言葉に責任を負う必要があり、訂正は効かない。事前チェックなど言語道断の行為だ。
しかし、「発言者には口を挟む権利がある」という権利意識の高まりに伴って、為政者に対しても同じ意識でいる記者は数多くなった。いや、由々しきことに、自ら事前チェックを申し出る記者もいるという話さえある。記者たちの「話を聞かせていただいている」という意識が、権力者を増長させ、検閲を許すという構造をつくり出しているのではないか。
林記者のように権力の介入に断固として応じない記者がいることには安心感を覚えるが、これは気骨があるとか、そういう話ではない。自分が権力の手足となっているということに気づかない記者が存在する、それがマスコミ報道の危ない現状なのだろう。
(水井多賀子)
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