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原爆慰霊碑に献花する(左から)岸田文雄外相、ケリー米国務長官、ハモンド英外相=広島市の平和記念公園で2016年4月11日、川平愛撮影 :毎日新聞
歴史問題をごまかして政治決着を繰り返す安倍首相の大罪
http://xn--gmq27weklgmp.com/2016/04/30/post-4432/
30Apr2016 天木直人の公式ブログ
これから書くことは、とても重要な視点であると自画自賛するが、はたして読者はどう判断するだろう。
オバマ大統領の広島訪問がほぼ確実視されるなかで、それを手放しで歓迎できないとする意見が見られるようになった。
たとえば4月28日の毎日新聞「記者の目」で、広島支局の竹内麻子記者が書いている。
オバマ大統領には被爆者に会ってその声に耳を傾けてほしいと。
原爆投下の事実と向き合って核兵器がもたらす悲惨さを米国や世界に発して欲しいと。
たとえば4月29日の朝日新聞「余滴」で、社会部の加戸靖史記者が書いている。
オバマ大統領の広島訪問が実現しても、割り切れない気持ちが残ると。
オバマ大統領は「核兵器のない世界」の理想を語るだろう。しかし、その前にぜひ被爆者の言葉に耳を傾けてほしいと。
いずれも比較的若い記者だ。
なぜ、若い記者からこのような意見が出てくるのか。
それは、若い世代に語り継がれていく歴史が、曖昧な形でやり過ごされてはいけないと言う思いがあるからに違いない。
もしオバマ大統領の広島実現が、報道されている通りの形で行われるなら、日米双方の思惑の違いが残ったまま、米国大統領の歴史的広島訪問という「偉業」だけが残り、それ以降、この問題は終わってしまう。
米国大統領のはじめての被爆地訪問は「偉業」である事に間違いないから、誰もそれを正面から批判できない、しない。
「偉業」を成し遂げたオバマ大統領と安倍首相の功績だけが喧伝され、歴史に刻まれる。
原爆を人類に投下した唯一の国である米国と、投下された唯一の国である日本との真の和解は、うやむやのまま歴史の彼方に追いやられることになる。
二度とこの話が持ち出されることはないだろう。
そういえば、つい最近、同じような事を我々は目撃したような気がする。
その通りだ。
昨年12月の慰安婦問題についての日韓合意であり、その半年ほど前の8月の安倍談話である。
いずれも表面的には歴史問題に決着をつけた形となった。
しかし、一番重要な歴史認識のところがまったく曖昧にされたままだ。
和解どころか対立したままだ。
それにもかかわらず、歴史問題の決着という「偉業」だけが語り継がれていく事になる。
それを目撃した我々が生きているうちはまだいい。
しかし、若い世代がすべての時代になれば、すべてが忘れ去られ、「偉業」だけが残ることになる。
みずからの手柄のために、歴史問題を曖昧決着し続ける安倍首相は、はかりしれないほど罪深いと思う(了)
◇
<記者の目>被爆地・広島でG7外相会合=竹内麻子(広島支局)
http://mainichi.jp/articles/20160428/org/00m/070/004000c
2016年4月28日 毎日新聞
被爆者の声、耳を傾けて
米国のオバマ大統領が被爆地・広島を訪問する可能性が高まっている。米軍が原爆を投下してから71年。実現すれば歴史的な出来事になる。この道筋を開いたのは、今月11日、主要7カ国(G7)外相会合で広島市を訪れたケリー米国務長官らの平和記念公園訪問だ。私はこの日、ケリー氏の行動を取材して人間味を感じ、「被爆者の思いが通じるかもしれない」と希望を見いだす一方、被爆者の声を直接聞かなかったことにひどく失望した。オバマ氏が広島で、米国の原爆投下という行為に今度こそ正面から向き合うことを願っている。
71年前のあの日、忘れ得ぬ苦しみ
平和記念公園にある原爆資料館をケリー氏らが見学する様子は、私たち報道陣には公開されなかった。資料館には原爆の悲惨さを伝える被爆者の写真や遺品などがあるが、ケリー氏が何を見て、どんな表情をしたのか分からない。ただ、資料館の芳名録にこう残している。「世界中全ての人が、資料館の持つ力を目で見て感じるべきだ」
ケリー氏は心を揺り動かされたのだろう。原爆慰霊碑に献花した後、岸田文雄外相に耳打ちし、急きょルートを変えた。警備の警察官らが大慌てで走り出す中、原爆ドームまで数百メートル歩き、松井一実市長に「どこで原爆が爆発したのか」と尋ねたという。この行動はとても人間的だと思った。この場所を訪れた人が抱く、原爆について知らなくてはならないという思いを、ケリー氏も共有したようだ。
東京都生まれの私が初めて資料館を訪れたのは、父の転勤で広島市に移った小学5年の時だ。熱線を浴びて皮膚が焼けただれた被爆者の写真は恐ろしかったが、目をそらせなかった。友人の多くは被爆3世。それから、8月6日午前8時15分には、黙とうするのが当たり前になった。高校卒業まで広島で過ごし、東京の大学を卒業して新聞記者になり、初任地は希望した長崎で、今年3月までいた。
長崎の被爆者、深堀好敏さん(87)を何度も訪ねた。陽気な人なのに、家族を捜して爆心地をさまよった16歳の時を振り返ると、昨日のことのように涙する。「私は70年前を生きているんです」。その言葉にはっとした。原爆がどれほど多くの人の人生を大きく変えたのか。被爆者の思いに触れ、私の中で原爆はリアリティーを増していった。
ケリー氏や日本政府に言いたい。広島観光をする時間があったのなら、1時間、せめて30分でも被爆者と対面し、その声に直接耳を傾けてほしかった。記者会見でケリー氏は「被爆者の写真をどう思ったか」と問われ、「資料館は、大量破壊兵器のような爆弾が破裂すると何が起こるかということを知らしめた」と遠回しに答えた。被爆者と会っていたら、当事国の国務長官としてそんな一般論のような言い方ができただろうか。
原爆投下の事実、向き合うべきだ
会合でまとめられた広島宣言には、日本政府の政治的なごまかしを感じる。英文では、広島と長崎の人々が経験したことを「human suffering(直訳では『人間としての苦しみ』)」としているが、外務省は「非人間的な苦難」と訳して和文の宣言とした。
「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」共同代表の森滝春子さん(77)は「被爆者が訴える核の『非人道性』という言葉に意図的に似せた」と批判する。「被爆者の『二度とこの苦しみを繰り返してはならない』という訴えは、投下責任などの政治性を超え、核兵器の非人道性を伝えようという考えに基づいている。問題をそういう次元で受け止めてほしかった」と話す。
私は、自分が受けてきた平和教育が、米国に恨みを抱かせるような内容でなくてよかったと思う。だからこそ、米国でも原爆を落とした事実、その結果に向き合ってほしい。日本の子どもが「原爆は恐ろしい、絶対に使ってはいけない」と感じるように、米国や世界の子どもにも感じてほしい。
世界の人々の原爆に対する関心は低くない。広島の資料館への外国人入館者数は昨年度、全体の2割の33万人以上に達し過去最多を記録した。4月に広島支局に赴任し、久しぶりに平和記念公園を歩いて外国人の多さに驚いた。資料館によると、外国人の方が見学に時間をかける傾向にあるという。資料館で被爆体験を聞いた英国人女性(26)は「これまで学んだことと全く違う。絶対に広島に行くべきだと家族に勧める」と話す。
オバマ氏の広島訪問は、核兵器のもたらす悲惨さに米国が向き合う第一歩となるはずだ。ぜひ被爆者の話を聞き、率直な感想を米国や世界に発してほしい。心からそう願う。
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