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「中卒・シングルマザー・生活保護受給」の池田真紀候補。勝利まであと一歩だった(写真:日刊スポーツ/アフロ)
勝者も敗者もいない「北海道5区補選」の衝撃 なぜ池田候補は追い上げることができたのか
http://toyokeizai.net/articles/-/115576
2016年04月26日 安積 明子 :ジャーナリスト 東洋経済
「極めて厳しい戦いだったが。勝利を収めることができて良かった」
菅義偉官房長官は4月25日午前の会見で、顔をこわばらせたまま北海道第5区補選での勝利の感想をこう述べた。確かに楽な戦いではなかった。世論調査によると、一時は野党統一候補に逆転されていたのである。
結論から言えば、仮に熊本地震がなかったとすれば、自公候補が敗れていた可能性も高い。この補選が思わぬ苦戦となったことは、安倍晋三首相の専権事項である「衆議院解散・衆参同日選挙」の決断の背中を押すことになるかもしれない。
■急伸した池田真紀候補
まず、この北海道第5区補選の戦いの構図を振り返っておこう。
衆院議長、官房長官、外相、文科相などの要職を歴任した自民党の大物政治家である町村信孝氏が亡くなったのは昨年6月1日。本来なら同年10月に補選が行われるはずだったが、2014年衆院選の「1票の格差」訴訟が継続中だったため、実施が見送られ、ここまで引き延ばされた経緯がある。
町村氏の後継となったのは次女の夫である和田義明氏。早稲田大学卒業後に三菱商事に勤務し、2014年12月から町村氏の秘書になった。そして対抗馬となったのがフリー・ソーシャルワーカーの池田真紀氏。野党共闘の最初の統一候補である。
「誰もが一目で好きになる。オーラがある」。補選中の池田氏は、しばしばこのように言われていた。だが池田氏は最初から高く評価されていたわけではない。当初、町村氏の地盤を引き継いだ和田氏がダブルスコアで池田氏をリードしているとされていた。今年1月30日に行われた民主党(現民進党)の党大会では、明るく笑いあう西岡秀子氏(参院長崎選挙区)や水上美華氏(衆院北海道第12区)などの女性候補から少し離れ、うつむいてスマホをいじる池田氏の姿を見かけた。それほど目立つ存在ではなかったのだ。
そんな状態から、なぜ和田氏を猛追することができたのだろうか。
■「中卒・シングルマザー・生活保護受給」
池田氏は2014年の衆院選では北海道第2区から出馬したが、この時の第2区には自民党の吉川貴盛氏に加え、三井辨雄氏が後継指名した維新の党(当時)の松木謙公氏も出馬。これに不服の池田氏は一時出馬を辞退し、結局は3位で落選した。
そんな池田氏が勢い付いてきたのは、「保育園落ちた日本死ね!!!」のブログが山尾志桜里衆院議員によって2月29日の予算員会で紹介されて以降である。つまり、国会論戦において社会保障に注目が集まったことで、「中卒・シングルマザー・生活保護受給」という経歴の池田氏が脚光を浴びたのだ。
その一方で和田氏は苦戦を強いられるようになった。そもそも弔い合戦は、必ずしも楽勝とは限らない。たとえば1996年の衆院選で、候補者が公示後に死亡した兵庫県第11区がその例だ。
厚相を務めた戸井田三郎氏が投票日1週間前に死去したため、急きょ秘書で長男の徹氏が補充立候補した。三郎氏と同じ厚生族でともに平成研究会に所属していた橋本龍太郎首相(当時)が直々に11区に入って応援するなど、自民党は典型的な弔い合戦を展開した。
しかし徹氏が獲得したのは6万4896票で、次点である新進党の五島壮氏に3711票差まで迫られている。しかも民主党の2万8303票も合わせると、野党の得票は自民党の票を上回っていた。
和田氏の場合、町村姓を名乗らなかったために後継候補として認知されにくい面もあった。二階俊博総務会長などから「姓を変えた方がいい」と忠告も受けたほどだ。しかし和田氏は、「義父(町村氏)からは『政治信条を継いでほしい』と言われた」とこれを拒否。実際は和田氏の母親が姓を変えることに反対していたと言われている。
さらに致命的だったのは後援会の構成。主要な支持者たちはすでに高齢に達しており、機動力を欠いていたことだ。それは、5区入りした清和会所属のある議員の言葉からもよくわかる。「後援会の名簿を見て驚いた。3000人しか名前がなかった。あれではうちの市議レベルだ。これまで“町村ブランド”だけで戦ってきたんだろうなあ」。
自治相や北海道知事などを務めた父・金五氏の強い地盤を継いだ町村氏だが、2009年の衆院選で民主党の小林千代美氏に約3万票の差を付けられるなど、選挙に弱い面もあった。その翌年の小林氏側の選挙違反事件による衆院補選では、町村氏に世代交代を求める声もあがったほどだった。
さまざまな不安要因を抱える和田氏。選挙戦本番になると、いっそう劣勢を強いられた。
■「負け戦」には首相が現れず
安倍晋三首相は4月17日に第5区入りする予定だったが、見送られる可能性も出ていた。それには前例がある。自民党候補が負けた2014年の滋賀県知事選では、「負け戦に首相を応援させるわけにはいかない」として、安倍首相の滋賀入りは見送られている。
そうしたムードを一変させたのが、4月14日夜に勃発した熊本地震だった。地震への対応ということでは、5年前の民主党政権の失態を多くの有権者が覚えている。危機の際には与党を支持する心情も働く。
熊本地震後、情勢は逆転した。その週末の北海道新聞による調査では、和田氏は池田氏を9ポイントもリードするようになったのだ。もともと野党寄りと見られている北海道新聞で、しかも投票までの1週間で再度逆転するには難しい数字が出たことは、池田氏には非常に厳しかった。
結果として和田氏が13万5842票を獲得し、12万3517票の池田氏に勝利した。その差は1万2325票になる。
これを2014年の衆院選と比較してみよう。
2014年の衆院選で町村氏が得たのは13万1394票。民主党と共産党の獲得票の合計は12万6498票だ。投票率で調整すると、今回の補選で和田氏は2014年の町村氏に比べて6334票増やし、池田氏は2014年の民主党と共産党の合計票数から1266票減らしたことになる。
和田氏の票を増やした要因となったのが「新党大地の票」だ。新党大地は第5区で最大3万5000票持つと自認している。これまで新党大地が北海道全域で獲得した最大票数を2004年の参院選に無所属で出馬した鈴木宗男氏が獲得した48万5382票、現在の新党大地の票は21万票とすれば、第5区での新党大地の票数は約1万5000票と推定できる。この数字は和田氏と池田氏の得票差を上回るのだ。
とすれば、補選での勝利の決め手になったのは鈴木氏ということになる。昨年12月に安倍首相に官邸で宗男氏に面会し、長女の貴子氏の自民党入りを決めた成果が早々と出たわけだ。
実際に北海道テレビによる24日夜の開票中継で、鈴木氏は極めて上機嫌な様子で自民党議員らと最前列に座っていた。「宿敵」ともいえる中川郁子衆院議員とも、時折ほほ笑みあう余裕すら見せた。野党側から与党側に移って最初の選挙は、鈴木氏にとってある意味で賭けだった。ひとまず出だしが好調であることに、鈴木氏は満足したに違いない。
■北海道第5区の補選には、敗者はいない
一方で選挙に負けた野党側も、事実上の勝利宣言をしている。
「選挙結果は残念だけど、当初圧倒的に自民党有利というところを横一線まで押し上げてかなりのところまで自民公明を追いつめた。野党共闘の力が発揮されたと思う。前向きに受け止めている」。これは投開票後に共産党の小池晃書記局長が述べた言葉だ。野党共闘を次期参院選に繋げようという意欲にあふれている。
要するにこの北海道第5区の補選には、敗者はいないということになる。まるで負けを認めた段階で、戦いの舞台から蹴り落とされてしまう、という思いもあるのだろう。反対にいえば、確固たる勝者もいないのだ。そんな不思議さを漂わせたまま、7月には参院選が行われる。冒頭にも記したが、安倍首相は衆参同日選というカードを切りたくなるのではないだろうか。
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