日本共産党や旧民主党のほうがよっぽどひどい。 なぜ私は日本共産党と組めないのか 非現実的な「22島返還」 2016年4月24日、今年の夏の参院選の前哨戦とも言われている、衆院北海道5区の補欠選挙が行われます。 補選は2015年に亡くなった町村信孝氏の死去に伴うもので、自民党は町村氏の娘婿である和田義明を擁立。一方、民主党は池田真紀氏、日本共産党は橋本美香氏が出馬表明していましたが、「国民連合政府」を提唱する日本共産党がオール野党結成を呼び掛けて出馬を取り下げ、自民党VS野党統一候補という構図になろうとしていました。 しかし、ここで私が代表を務めている新党大地が待ったをかけ、新党大地は自民党公認候補を支持することを表明しました。 理由はただ1つ、日本共産党を入れての統一候補などは有り得ないからです。これは昨日今日考えついたことではなく、「日本共産党とは組まない」というのが私の信念です。実際に、私は2015年のうちから反対していました。 そもそも日本共産党とは国家観、世界観が全く違います。例えば日本共産党は公式HPを見てみれば、今なお「共産主義の社会をめざして」という文言を掲げて、その旗は降ろさないと宣言しています。共産主義など、自由と民主の理念からは到底相容れないものですし、いまだ破防法に基づく調査対象の団体として監視されている政党です。そんな政党と組めるわけがない。 また、私は日露関係、北方領土問題にかけては、誰よりも一所懸命やってきたという自負があります。その北方領土に関して、日本共産党は北方4島だけでなく、ウルップ島からシュムシュ島までの18島を含む22島返還を要求しています。 戦後70年を経ても、4島のうち1つも返ってきていない状況なのに「18島も返せ」というのは、あまりにも非現実的でしょう。名越健郎氏(拓殖大学海外事情研究所教授)が『クレムリン秘密文書は語る』(中央新書、P72〜117「日本共産党のソ連資金疑惑」)で書いているように、かつて日本共産党には旧ソ連からの資金援助があった。考え併せると、日本共産党のこの要求は「問題解決をしないため」の方策としか思えません。 そんな日本共産党と一緒に行動すれば、北方領土交渉は完全に行き詰まってしまう。だから私は、日本共産党とは行動はしたくないのです。 いま日本共産党は路線を微妙に修正し、世論を味方につけようとしています。 その最たるものが、国会の開会式に出席したことです。日本共産党はこれまで、「天皇陛下が開会式で述べるお言葉に政治的な内容が含まれ、憲法が定める国事行為を逸脱する」という理由で出てこなかった。ところが2016年1月4日、69年ぶりに開会式に出席をした。 志位和夫委員長はその理由を、「お言葉の内容に政治的発言はなくなり、形式的、儀礼的なものになった」と説明していました。では、これまでの開会式の陛下のお言葉は政治的発言だったのでしょうか? これまでの陛下のお言葉を聞けば、民から選ばれた衆参議員に、国家の繁栄と国民のために尽くすことを願っておりますーという内容のもので、政治的な要素は皆無です。仮に現在なくなったというのなら、これまでの天皇陛下がどんなご発言をなさっていたのか、どこがどう政治的ご発言だったのかを、きちんと説明してもらいたいものです。 しかも出るだけで終わればいいものの、「高い玉座が設けられ、(天皇陛下の)お言葉を賜るという形式は日本国憲法の主権在民の原則に反する」として改善を求めるという。 結局、出席したのも、参院選での野党共闘を睨んで、「日本共産党は変わったのだ」というポーズを示したいからでしかない。 改竄文書に騙されて 日本共産党は、間違いを犯しても決して謝らないことを、私は身に沁みて知っています。 例えば、私がいわゆる「鈴木宗男事件」で国会に参考人招致された時、日本共産党の佐々木憲昭議員が、「日本人とロシア人の友好の家」は現地では「ムネオハウスと呼ばれている」と発言しました。しかし、現地のロシア人は英語を使いませんから、「ハウス」なんて呼ぶわけがない。 実はこれは当時、参議院議員で鈴木宗男疑惑の日本共産党追跡チームの責任者だった筆坂秀世氏による創作でした。外務省から”鈴木潰し”のための”情報”が来て、それを佐々木氏に回して国会で発言させたわけです。後に筆坂氏は日本共産党をパージされ、彼もそれが間違った情報だと分かったので私に「申し訳なかった」と謝罪し、私もそれを受け入れましたが、しかし日本共産党自体からは未だに謝罪も何もない。 これより酷いのは、志位和夫委員長です。外務省の機密文書を入手して、「鈴木宗男は北方領土の二島先行返還交渉をロシア側と密かに進めていた」と追及し、これによって私は右翼から売国奴だ、国賊だと非難された。世論からも「そんな悪いやつは早く逮捕してしまえ」という声が大きくなり、私が逮捕される事件の大きな流れとなっていったのです。 ところが、この文書は改竄されたものでした。本物の外交機密文書を10カ所以上も改竄して、私の「二元外交」を強調するものになっていたのです。当時の川口順子(よりこ)外相も記者会見で、「こういった文書は外務省にはない」とはっきり否定しました。 しかし改竄文書だと発覚しても、日本共産党は「調査中」の一点張りで明確な説明を避け、謝罪も反省もない。 この鈴木宗男疑惑では、民主党の原口一博氏、社民党(当時)の辻元清美氏からもかなり批判されました。 原口一博氏は、秘書のムルアカが偽造パスポートを持っていると批判しましたが、調べてみれば正規のもので、ちゃんと私にもムルアカにも謝罪をしました。 辻元清美氏は、国会で私を「疑惑の総合商社」とまで言っていました。しかし国土交通副大臣になった時、衆院外務委員会で、当時のことを自民党の小野寺五典(いつのり)衆院議員から質問され、 「私も色々な事がございました。ですから、国会論戦ではお互いに熱くなったり言い過ぎたりということもあるということも経験をし、それが自分には跳ね返ってくるということもみんな理解しているところであります。当時はそういう状況の中で、鈴木委員長に対して私はそのような言葉遣いをしたということは、今では反省をしております」 と謝罪をした。私にしてみれば遅すぎるとは思いましたが、しかし公の場で間違いを認めて謝罪したのだから、それは多とします。 しかし、日本共産党だけは、間違った指摘をして改竄文書まで振りかざしていたのに、謝罪も反省もない。これは人間的に問題ではないでしょうか。そんな政党と組むなんて、考えられません。 安倍総理との1時間 実は、北海道5区で新党大地が自民党と協力することになった発端は、単に日本共産党が嫌いだったからだけではありません。 話は2015年末まで遡ります。この頃は、すでに日本共産党とは協力できないと明言していましたが、まだ自民党と協力する考えはありませんでした。 2015年12月22日、内閣制度創始130周年の記念式典がありました。首相官邸で開かれ、歴代首相や現職閣僚ら219人が参加し、私も出席をしました。 その場で安倍総理とご挨拶する機会があり、安倍総理から「鈴木先生、たまには官邸に来て日露の話を聞かせてください」と言われたので、「お忙しい総理の日程に合わせて、いつでもお伺いいたします」と答えると、すぐに日程の調整をしていただき、2015年12月28日にお伺いすることになった。 通常、来客が多い官邸では5分、10分しか総理とお話しできる時間が取れないのが普通なのに、1時間近い時間を割いていただきました。 最初の30分は日露の話をしました。2016年は日ソ共同宣言(1956年)から60年の大きな節目、プーチン大統領を日本に呼ぶ、または安倍総理が訪露するといった考えがあることを安倍総理は話してくれました。 2016年はアメリカは大統領選挙一色になるので、日本だけの立ち位置と判断で動くことができるー。 そういったことを情熱一杯に話してくださり、「日露関係で鈴木先生が取り組んできたことは理解しております。日露関係の重要性は承知しているので、協力ください」と言われ、もちろん私も快諾しました。 その後、私の娘、鈴木貴子の話になりました。 官邸では普通、お茶かコーヒーしか出ないのに、その時はケーキまで出て、安倍総理もパクパク召し上がっていた。私も食べていたんですが、娘の話題になるとは思っていなかったので、驚いて思わず、ケーキを落としてしまいました(笑)。その日は安倍総理にお会いするというのでエルメスの新しいネクタイをしていったんですが、クリームがべっとりついてシミになってしまい、帰って女房に叱られました(笑)。 「娘さん、評判がいいですね」とおっしゃっていただき、「まだまだ若いですから、よろしくお願いします」という話をした流れで、北海道5区の話が出ました。 安倍総理は「北海道5区の補欠選挙で、先生のご協力をいただければ有り難い」と極めて丁寧にお話しされました。 私はこう答えました。 「総理の先ほどの日露関係への情熱溢れる話に感激いたしました。ついては、総理の思いに応える用意はあります。 私は共産党を入れての選挙協力はないと明言もしております。5区については、きちっと総理の意向に沿う形で、後援会、関係者などをまとめていい返事をいたしますので、お待ちください」 そうしたらさすが安倍総理、スピード感がある。「先生、できたら参議院選挙も協力してもらえないですか」と畳みかけてきた。私は「まずは補選を片付けてからにしましょう」とその時は答えました。 人情味のない民主党議員 年が明けた2016年1月9日、月に1度、札幌で行っている新党大地の勉強会に出るため、朝の7時に羽田空港に行きました。日本航空の控え室に入ると、民主党の北海道代表・佐々木隆博氏がいた。 今年初めて顔を合わせたわけですから当然、「おめでとうございます。今年は選挙の年です。力を貸してください」くらい言ってくるかな、と身構えていたのですが、この人は能天気で「おはようございます」だけで終わってしまった。 その15分後、今度は民主党北海道連代表代行の徳永エリ氏と、北海道支部連合会副代表の小川勝氏が来た。一瞬、「嫌な所で会ったな」と思いました。特に徳永エリ氏は2010年の参院選で、新党大地が全面的に応援して当選させました。その後、彼女の考えや政治活動が相容れなくなったので離れましたが、しかし今年は選挙ですから、嫌々ながらも「お願いします」くらい言ってくるかなと思っていたのですが、何もなし。 民主党のこの3人の姿を見て、「おいおい、大丈夫か」と思い、こんな人情のカケラもない連中には付き合いきれないと思いました。 さらに決定的だったのは、この1月9日は私にとって生涯忘れ得ぬ日、中川一郎先生の御命日なのです。 ですから中川一郎先生から、 「おい、鈴木。俺は反共だったよな。だから青嵐会を作った。その結果、右翼だタカ派だと言われたが、最後まで反共の政治家だった。お前はよく分かっているよな。日本共産党との選挙協力なんてないよな」 そんなお達しがあったような気がしたのです。 そこで、発表する予定はありませんでしたが、この日の新党大地の勉強会および街頭演説で、北海道5区補選での自民党の選挙協力を発表したのです。 全国ニュースとして流れ、すぐさま安倍総理から「有り難うございます」と電話をいただきました。そこでまた「参院選もよろしく」とおっしゃるので、「1月、2月と北海道中を廻るので、その後にご報告いたします」と答え、2016年2月24日に再び官邸に伺い、改めて参院選を一緒にやって参りたい旨をお伝えしたのです。 鈴木貴子離党の裏側 参院選挙で新党大地が自民党と選挙協力することを伝えた2016年2月24日から2日後の2016年2月26日、娘である鈴木貴子が民主党に離党届を提出しました。 私が貴子に働き掛けて民主党から離党させ、自民党に入れようとしているーという報道が見られましたが、真実は違います。私は一切、貴子代議士には相談していません。 娘は女房に似て私の言うことを聞かないので、もし口を出せば別の道を選んでしまうかもしれないからです(笑)。だから私からは何も言わずに、黙って本人に判断させてきました。この件も、2016年2月25日の夜に貴子から「離党する」と話があって、その時に知ったほどです。 私は「分かった。それでいいんじゃないか」と声をかけました。彼女も前々から日本共産党と組むことはないと明言していたので、恐らくそれが理由だろうとも察しました。 実際に記者会見では、日本共産党と共同歩調を取る民主党の対応を「国家観が全く異なる。今のままでは地元有権者との約束を果たせない」と批判し、離党すると言っていました。非常に筋が通っていて、自分の立ち位置、政治家としての姿勢を明確にしていたので良かったなと思いました。 すると離党を受けて岡田克也代表は、貴子が比例代表当選者であることを踏まえ、「彼女の政治家としての将来を考えても、議員辞職すべきだ」と発言。 枝野氏に至っては、 「離党するのであれば議席をお返しいただきたい。もし、どうしても離党されるということであるならば、あわせて民主党で預かっている議席を返上されたほうが、あなたの将来のためでもある」 とまで言いました。 しかし私に言わせれば、勘違いも甚だしい。 確かに鈴木貴子は、平成26年12月の比例区単独1位でした。しかしそれは、民主党から「北海道で新党大地が選挙協力してくれるのならば単独1位にします」と言ってきたのです。 新党大地は私が立候補した選挙で、比例区で45万票を得票し、私が出ていない時でも35万票の支持を受けていた。その実績を当時、選挙対策副本部長だった玄葉光一郎氏と、民主党北海道連会長だった横路孝弘氏が評価してのものだったのです。 そもそも平成24年12月の衆院選挙で、民主党は北海道の小選挙区では全敗し、議席はゼロ。比例得票は約47万8000票でした。 それが、新党大地が協力した選挙では小選挙区で3議席を獲得し、比例区では約68万9000票獲得したのです。つまり、その差分である21万票は新党大地の選挙協力あってのものであるのは明白でしょう。実際に2015年1月24日の北海道の大会でも、新党大地との選挙協力が成功した、と総括していました。 にもかかわらず、貴子が離党するとなったら「その枠は民主党のものだ」と言ってくる。おかしいのではないでしょうか。 信念なき政治家はやめろ さらに後ほど聞いた話では、離党届を出し、立ち上がって「失礼します」と部屋を出ようとしたら、その背中に向かって「議席は民主党の議席だ。離党届は受理せず、党のルールで処分する」と言葉を投げつけてきたそうです。 面と向かって言うのならともかく、去ろうとする背中に向けて・・・・・これを聞いて貴子は「へたに『残念です』などと言われなかったので、ホッとした」と思ったそうです。 確かに、岡田氏や枝野氏が「惜しい人材を失った。我々も反省しなくてはいけない」くらい言っていたら、貴子への批判が強まっていたでしょう。民主党がいかに人間味のない人たちの集まりなのか、またそれによって失っているものがあることがよく分かるエピソードでしょう。 最近まで、民主党は維新と新党を立ち上げて名前をどうこうすると騒いでいましたが、しかしその前に、「一緒になって何をやるか」ということのほうが大事でしょう。 こういう日本にする、こういう政治をやるのだという意志、まずそれがあっての政党のはずで、ただ数合わせのためにくっついて後から綱領を考えるなんて、民主主義に反していると言わざるを得ません。 その勘違いの最たるものが、やはり日本共産党との選挙協力です。民主党だけでなく、小沢一郎氏も日本共産党と組もうとしている。聞くところによれば、志位和夫委員長の指南役は小沢一郎氏だと言われているほどで、これにも驚きました。 私は、政治家は信念がなくなったら、もう政治家を辞めたほうがいいと考えています。確かに政治家はその時々の判断で、組んだり組まなかったりがあるでしょう。しかし信念だけは持ち続け、どこかで「これは駄目だ」という線引きが必要なはずです。 いかに選挙のためとはいえ、国家観の違う日本共産党と組む民主党に明日があるのか、と思います。
[32初期非表示理由]:担当:要点がまとまっていない長文
|