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なぜ翁長知事と大田元沖縄知事は辺野古阻止で協力しないのか
http://xn--gmq27weklgmp.com/2016/04/12/post-4312/
12Apr2016 天木直人の公式ブログ
きょう4月12日は普天間基地返還が合意された日から20年に当たる日だという。
その事もあって、今日の各紙は記念特集記事を一斉に掲載している。
その特集記事の中で私は読売新聞の次のくだりに注目した。
すなわち、1996年4月の返還合意を成し遂げた当時の橋本龍太郎首相は、1999年12月1日の読売新聞への寄稿で、大田知事に普天間基地返還合意を電話で伝えた際、普天間基地にかわる代替基地を沖縄県内に移設する事が前提である事を大田知事に伝えた、と証言したという。
いうまでもなく辺野古移設問題の大きな論争点は、それが単なる普天間基地の移設ではなく、普天間返還を口実にした、全く新しい米国の新基地建設ではないのか、という問題がある。
それと並んでもう一つの大きな問題は、1995年の沖縄少女暴行事件がきっかけで起きた普天間基地返還要求が、いつのまにか代替基地建設が普天間基地返還の前提になってしまった、その経緯についての不透明さにある。
そして、代替基地建設が普天間返還と一体になっていることは、少なくとも橋下龍太郎首相がモンデール駐日米大使と合意を取り交わした1996年4月には日米両国の合意になっていたという事だ。
しかもそれを橋本首相は当時の大田知事に伝えていたと橋本首相は証言した。
しかし、この重要な橋本首相の証言にもかかわらず、大田知事はこの橋本証言を否定しているという。
どちらが正しいのか。
これを徹底的に検証する事は、辺野古新基地が沖縄海兵隊の基地の移転にとどまらず、最新機能を備えた在日米軍のあらたな基地建設であるかどうかの検証とともに、決定的に重要な事だ。
そのカギを握っているのは、橋本首相亡き今となっては大田元知事が握っているはずだ。
そして大田元知事の証言は、そのまま翁長知事の「辺野古には新基地は作らせない」という決意に対するこれ以上ない応援になる。
辺野古阻止についての願いは、翁長知事も大田元知事も寸毫の違いもないはずだ。
なぜ大田元知事は翁長現知事を応援し、ともに安倍政権に立ち向かわないのか。
私の最大の疑問である。
その答えのなかに辺野古問題解決の正否があるに違いない(了)
◇
普天間基地返還 日米合意から20年 事態進展せず
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160412/k10010475561000.html?utm_int=news_contents_news-main_001
4月12日 5時01分 NHK
沖縄のアメリカ軍普天間基地の返還に日米両政府が合意して12日で20年になります。沖縄県は、名護市辺野古沖への移設を条件とせず基地の早期の運用停止を求めていますが、進展の見通しは立っていません。
日米両政府による普天間基地の返還合意は、20年前の平成8年4月12日に発表され、基地の機能を沖縄県内に移設することを条件に、5年から7年以内に返還するとしていました。
しかし、沖縄県内の名護市辺野古が移設先となったことを巡り、推進する国と反対する沖縄県が対立して計画が進まず、現在は、裁判での和解を受けて双方が円満な解決を目指して協議を進めています。
沖縄県の翁長知事は、辺野古沖への移設を条件とせず普天間基地の5年以内の運用停止を実現するよう引き続き求めていくことにしています。これに対し政府は、普天間基地の危険性除去のためには辺野古への移設が唯一の解決策で、運用停止は移設計画への沖縄県側の協力が不可欠だとしています。
政府と沖縄県は、今週、会合を開いて意見を交わすことにしていますが、双方が基本的な立場を堅持するなか、普天間基地の返還合意から20年がたつ今も事態が進展する見通しは立っていません。
20年前の全面返還合意とは
沖縄のアメリカ軍普天間基地を全面返還するとした合意は、20年前の平成8年4月12日に、当時の橋本総理大臣とアメリカのモンデール駐日大使が発表しました。
その後、SACO=日米特別行動委員会の報告で、普天間基地を含む沖縄県内の合わせて11か所のアメリカ軍施設の返還に合意したことが発表されました。返還が予定された面積は、当時、沖縄にあったアメリカ軍施設の20%に当たるおよそ5000ヘクタールに上ります。
しかし、それから20年がたつなか、返還されたのは、読谷村の読谷補助飛行場、金武町のギンバル訓練場、北谷町のキャンプ桑江の一部など合わせて6か所のおよそ400ヘクタールで、予定された面積の8%にとどまっています。
返還された跡地では、スポーツ施設の建設や農地や住宅地としての再開発が進んでいますが、普天間基地や国頭村と東村にまたがる北部訓練場など残る5か所では当時と変わらない状況が続いています。
北部訓練場 沖縄最大の米軍施設
アメリカ軍北部訓練場は、沖縄本島最北端の国頭村と東村にまたがる沖縄で最大のアメリカ軍施設で、面積は7800ヘクタール余りに上ります。アメリカ軍は、山林の地形を利用してジャングルでの対ゲリラ作戦を想定した歩兵部隊やヘリコプター部隊の演習などを行っています。
訓練場には、現在、22か所のヘリコプター発着場があり、沖縄県によりますと、沖縄が本土に復帰した昭和47年以降、訓練場やその周辺でヘリコプターの墜落事故が6件発生しています。また、訓練場の外で大量の銃弾が見つかるなどのトラブルも起きています。
周辺の一帯は、国の特別天然記念物のノグチゲラや天然記念物のヤンバルクイナの生息地となっていて、地元の村では、国立公園と世界自然遺産への登録を目指しています。
北部訓練場の返還 見通し立たず
アメリカ軍北部訓練場の返還計画は、およそ7800ヘクタールある敷地のうち、半分を超えるおよそ4000ヘクタールを返還するもので、返還予定の区域にある複数のヘリコプター発着場のうち6か所を残る敷地に移設することが条件になっています。
新たな発着場は東村内の敷地に2か所、国頭村内に4か所移設される計画で、沖縄防衛局が平成19年に工事に着手し、これまでに東村内の2か所が完成しています。一方、国頭村内の4か所については、市民グループが工事現場の出入り口の県道をテントや車両で塞いで抗議活動を続けていて、工事が中断しています。
政府は、北部訓練場の一部返還が実現すれば大幅な負担軽減になるとして、県道を管理する沖縄県に対し、抗議活動によって工事用の車両が立ち入れない状況を解消するよう求めています。
沖縄県の翁長知事は市民グループに文書で指導する考えを示しているものの、配備に反対しているオスプレイが発着場を利用することから移設に慎重な姿勢を示しています。
北部訓練場の一部返還は、当初、平成14年度末がメドとされましたが、現在も返還の見通しは立っていません。
米政府 現計画推進を改めて示す
日米両政府が沖縄のアメリカ軍普天間基地の返還に合意してから20年になることについて、アメリカ国務省のトナー副報道官は11日の会見で「計画の前進に向け関与していく」と述べ、現在の移設計画の推進に取り組んでいく考えを改めて示しました。
アメリカのオバマ大統領は先月末、ワシントンを訪れた安倍総理大臣と会談した際、普天間基地の移設計画を巡る裁判で日本政府と沖縄県の和解が成立したことに関連し、計画の遅れに懸念を示していました。ただ、現行の移設計画が唯一の選択肢だというアメリカ政府の方針にかわりはなく、トナー副報道官は「日本政府と緊密に協力し続ける以外、特段の措置はない」と述べ、計画の前進に向け日本政府と緊密に協力していく考えを強調しました。
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