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「冤罪」事件は、捜査を行った警察や検察に非難が向きがちだが、「冤罪」を生み出した最終的な責任は裁判官にある。
日本国憲法第三十八条第3項は、「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」と規定している。
旧今市市女児殺害死体遺棄事件の判決は、憲法のこの規定に反するものである。
「冤罪」のほとんどは、裁判官が憲法第三十八条に従った判決を行えば防げるものである。
自白があれば有罪、自白しなければ(罪を認めなければ)反省なしと量刑を重くするという刑事裁判の実態が続く限り、とにかく自白させれば“勝ち”という警察・検察の姿勢は変わらないだろう。
裁判官が自白はあくまで参考資料という態度を貫けば、警察や検察の捜査や取り調べは、まともになるだけでなくレベルも向上する。
自白は、有罪の証拠になるものではなく、有罪の証拠(物証)を収集する突破口にすべきものなのである。
※関連投稿
「<栃木女児殺害>「録音・録画で判断決まった」裁判員ら会見:違憲の判決!取り調べ可視化が逆に冤罪増加の温床に」
http://www.asyura2.com/13/nihon31/msg/713.html
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2016年04月08日 (金) [NHK総合]
「取り調べの録音・録画 どう機能したか」(時論公論)
橋本 淳 解説委員
栃木県で小学生が連れ去られて殺害された事件で、裁判所は「捜査段階で被告が殺害を認めた自白は信用できる」として無期懲役の判決を言い渡しました。裁判では、取り調べの様子をビデオカメラで撮影した動画が異例の長さの7時間以上にわたって公開され、注目が集まりました。刑事司法改革の柱である取り調べの録音録画はどう機能したのかを考えます。
解説のポイントは2つです。録音録画は裁判員制度の導入をきっかけに運用が広がっていますが、取り調べの内容を客観的に判断できる点で有効だということです。本格的に試された今回の裁判からその意義を見ていきます。とはいっても、取り調べをすべて撮影しておかないと効果が半減してしまいます。その課題が2つ目のポイントです。
まずは、事件と裁判を振り返ります。平成17年12月、栃木県の旧今市市、今の日光市で、小学1年生だった吉田有希ちゃん(当時7)が下校途中に行方不明になり、翌日65キロ離れた茨城県常陸大宮市の山林で遺体で見つかりました。そして8年余りがたったおととし6月、勝又拓哉被告(33)が有希ちゃんを車で連れ去りナイフで殺害したとして逮捕・起訴されました。
1審の宇都宮地裁の裁判員裁判で、被告は「まったく身に覚えがない」と無罪を主張しました。この事件では凶器とされるナイフや女の子の持ち物などが見つかっていません。犯人につながる物的証拠が乏しい中で、検察にとっては捜査段階で殺害を認めた供述だけが大きな支えでした。取り調べでの被告の話は二転三転し、自白から否認へ、否認から自白へと大きく揺れ動きましたが、起訴される直前に犯行の一部始終を語った供述調書が作成されました。証拠の中で供述調書の比重が極めて大きく、被告が言うように自白はうそだったとすれば一気に無罪に傾く、そうした危うさをはらんだ構図になっていたのです。
宇都宮地裁は被告の主張を退け、求刑通り無期懲役を言い渡しました。「自白は信用できる」と判断した根拠の1つが取り調べの録音録画です。検察と警察は、取り調べの一部をおよそ80時間にわたってビデオカメラの映像と音声で記録し、これを見て弁護側が同意した7時間13分の動画が法廷で再生されました。取り調べの録音録画は、法制化に先駆けて捜査当局が実務上の運用で実施するようになっていますが、7時間以上もの動画が公開されたのは極めて異例です。一般的に供述調書は捜査側が被告の話を要約して文章化するのに対し、動画には受け答えの微妙な言い回しや表情、態度がありのままに記録されています。検察は「映像の様子からも、うその自白をしているとは思えない」と主張したわけです。
では、自白の信用性を認めた裁判所は、取り調べの録音録画のどの部分に注目したのでしょうか。判決はこのように指摘しました。「殺人について聞かれた時に激しく動揺したり、『気持ちの整理のための時間がほしい』と話したりする様子は、あらぬ疑いをかけられた者にしては極めて不自然だ。処罰の重さに対するおそれから、自白すべきかどうか逡巡、葛藤している様子もうかがえる」。判決はこう述べて取り調べでの態度を重視しています。その上で、犯人でなければ語れない内容も含まれていることと合わせて、取り調べの動画を有罪の大きな根拠としました。
とはいえ、自白の真偽のほどを見極めるのはプロの裁判官でも難しい作業です。とりわけ、今回のように供述の内容が変化した場合はより慎重さが求められます。犯人ではないのに取り調べで強く言われるとなかなか反論できず、相手に迎合して捜査側の意に沿う供述に変えてしまう人がいるからです。一方、犯人であっても自分を守りたいという気持ちや刑罰への不安から最初のうちは虚実とりまぜて供述し、矛盾点を指摘されて徐々に真実を語るケースもあります。供述の変化は無実の人の迎合によるものか、それとも犯人の心の葛藤の表れなのか。これまでの裁判は供述調書を基本とし、法廷で被告と捜査側の言い分を聞いてその信用性を判断していました。しかし、供述調書は一問一答の形式で書かれておらず細かなニュアンスまでは伝わってきませんし、法廷での言い分にしても双方の主張が平行線のまま水掛け論に終わり真相は闇の中ということも多かったのです。この点、取り調べをありのまま記録した動画があると、裁判所が判断するための情報量が飛躍的に増えることになります。取り調べの録音録画はより客観的に判断でき、冤罪の温床となる強引な取り調べを抑止する効果もあることから今後、積極的に活用される方向です。今回の事件でも取り調べの動画がなければ検察は起訴に踏み切らなかったかも知れません。それほど録音録画の存在感が高まってきています。
ただし注意しなければならないのが、解説ポイントの2つ目。すべての取り調べを録画しておかないと、その効果を最大限に生かせないということです。
仮に、捜査側が自白を強要した時にカメラを回さず、被告が諦めてうその自白をした時にだけ恣意的に撮影したとしたら、裁判で検証しようがありません。今回の事件でも、被告は「警察官から暴力を振るわれ、『ごめんなさいを50回言わないとご飯抜きだ』と言われるなど自白を強要された」と主張。警察官はそのような事実はないと反論しましたが、その日の取り調べは録画されておらず映像で確かめることができませんでした。これについて判決は、「撮影された部分を見る限り取り調べは適切に行われ、暴力や自白の強要があったとは認められない」としたものの、根拠が釈然としない印象も拭えず、すべての取り調べが録画されていればより明快になったのにといわざるを得ません。
取り調べの録音録画は刑事司法改革の柱です。去年、政府は一部の事件を対象に録音録画を義務化する刑事訴訟法の改正案を国会に提出しました。衆議院を通過し参議院で継続審議になっています。法案では、対象事件の取り調べは原則としてすべての過程を撮影するとしていますが、「容疑者が十分に供述できない」と捜査当局が判断した時には例外的に撮影しなくてもよいとされています。この例外規定については基準があいまいなため、捜査側が都合よく適用するおそれが指摘されていて、不当な取り調べがあってもわからないといった批判が根強くあるところです。例外を極力認めず密室での取り調べが全面ガラス張りになるよう、今後、国会での議論を今一度深めてもらいたいと思います。
今回の事件は供述以外に決定的な証拠がなく自白頼みの捜査でした。過去に相次いだ冤罪事件の反省から、捜査当局は取り調べに偏った姿勢を改め客観的な裏付け証拠を重視しようという教訓を学んだはずです。刑事司法改革の狙いもそこにあります。今回は自白の信用性を認めて有罪とされましたが、取り調べの録音録画があるからといって自白一辺倒の捜査を大目に見る免罪符にはならないことを忘れてはなりません。
(橋本淳 解説委員)
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