http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/349.html
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「私たちが暮らす社会は様々な要素が組み合わさってできている寄木細工のようなものだ」
http://sun.ap.teacup.com/souun/19807.html
2016/4/12 晴耕雨読
toriiyoshiki氏のツイートより。https://twitter.com/toriiyoshiki
記事の内容は穏当なものだと思うが、これにどうして「自由、多すぎませんか?」などという内容に無関係な見出しをつけるかね?…
聞くだけ野暮な産経新聞w https://t.co/Saqv3z3Lyj
同じ調査結果のどこをピックアップするかにメディアの姿勢が現れる。
読売の場合はこれ。https://t.co/tzZdj0GtEX
一つの新聞やテレビ局のみを情報源にしていると、同じ社会が全く違うものに見えてきそうだ。
>moriokahiguma GM作物問題を医学健康問題からのみ見て「安全で高収量」と評価するのか、それが用いられる社会的文脈を合わせ見て「零細農民の穀物メジャーへの従属化、作物の遺伝的多様性減少、環境負荷の大きい農法蔓延」とみるか視点を変えれば違うものが見えてくる。原発事故被害も医学健康被害だけで見てはだめ
思わず拡散したくなる正論です。
Twitterではその日のニュースやTLの傾向に反応して呟いているので、今日のように農業について書いたり、あるいは民族問題や原発について書いたり、内容にかなりの振れ幅がある。
いずれも仕事でかなりの取材をしてきたテーマだが、どれ一つとっても「専門」ではない。
ぼくが30年以上にわたってジャーナリストとして追求してきたテーマを大括りに一言で言うなら、「最大多数の最大幸福が実現する社会のあり方への模索」である。
ところが、現実の日本社会は、ぼくが望んだのと全く逆の方向に進んでいるとしか思えない。
それもほとんどあらゆる分野で。
ぼくの呟きが「反権力」的に見えるとしたら、たぶんその所為である。
「反権力」を目的にしているつもりはさらさらないが、現実に目を開けば「反権力」たらざるを得ない、というのが正直なところである。
「最大多数の最大幸福」を今日ぼくのTLで話題になっていた農業(遺伝子組換え作物や大規模経営をめぐる話)に引きつけて言えば、農業については科学(食の安全性)だけではなく、経済、環境、さらには社会(村落共同体の維持)を総合的に考えていかなければいけないということ。
で、そのように考えた結果、ぼく自身は遺伝子組換え作物の導入には反対、農業大規模化には極めて懐疑的、ついでに言えばTTPにも反対という実に「反権力的」(反政府的?)な結論になってしまうのである。
雪が降っているので買物に出るのが面倒臭いなあ…。
釧路では、ぼくの住んでいる場所(幣舞橋より南の旧来の市街地に属する)から和商市場や大型スーパーまで坂道を上り下りしながら徒歩で片道30分くらいかかるのです。
老後を過ごそうと建てた家だが、足腰が衰えたら暮らすのはちょっと辛い。
建てたときはまだ四十前で、そんなことまで考えなかった。
それにその頃は近所にまだ商店があった。
大型店(生協)も。
こうした地方都市の衰退も「最大多数の最大幸福」に逆行した話ではある。
ぼくがいまいる東北海道(根釧台地)は日本最大の酪農専業地域だが、規模拡大を図るのに原野を“開拓”するという時代ではない(もう限界まで木が伐られている)。
ゆえに規模拡大は近所の農家の離農が前提になる。
しかし、これ以上人が減ってしまうと、例えば子どもたちが通う学校を維持できなくなる。
私たちが暮らす社会は様々な要素が組み合わさってできている寄木細工のようなものだ。
だから、農業ひとつをとっても「経済」だけで考えると大きく間違ってしまう。
そして、私たちの社会は、もう数十年にわたってそうした過ちを繰り返してきた。
このうえ、さらに同じ道を進むつもりか?
さて、雪も小降りになってきたので買物に行こう。
きょうは近所の小規模スーパーでいいや。
…といっても、片道10分ほど坂道を歩くことになる。
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