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元記事http://blog.livedoor.jp/donnjinngannbohnn/archives/1897551.html
「上位1%に支配される99%の民衆」――よくこのような表現がされる。現在の社会運動の多くは、1%対99%の争いとして想定されるが、私は0.01%対99.99%の争いだと思っている。元財務官の高橋洋一氏によれば、上位1%とは平均年収1000万円以上の階層を指す。実感が湧かないかもしれないが、貧しくなったわが国の冷酷な現状だ。
わが国の0.01%はおよそ1万人。少なくとも幕末から暗躍する世界のエスタブリッシュメントのカウンターパートの血筋に連なる人数と想定する。
新自由主義とは、中間層をなくすことと解する。消費税や相続税、固定資産税などへの課税強化とグローバル企業への法人税減税はその一環である。中間層の排除や戦争が下層階級のさらなる貧困化や徴兵をもたらすのは必至だが、彼らはその深刻さに気付いていないか、それに甘んじる構えでいる。
上位1%も上位0.01%も大衆を味方に付けるため宣伝を展開しているが、形勢は上位0.01%に圧倒的有利な状況だ。上位1%の最大の弱点は、マスメディアを持っていないこと。新自由主義と闘う学者や元政治家、作家などがかつてテレビに出演していたのは、その期間、支配権力と利害が一致していたから。わが国の民衆は働き蜂として期待され、軍備免除で国を富ますよう誘導する知識階級が必要とされた。
私は下層階級との連帯を図る上位1%を支援するため、野党共闘や市民による安倍政権打倒の集会を取材することがある。しかし、高校生デモを取材した際、考え込んでしまった。立派なチラシや音響機器を積んだトラックが用意され、共産党の代議士があいさつをする。集まった生徒たちは、愛知や大阪、岡山からも来ていた。ある女子に参加のきっかけを尋ねると、「民青に入っているんで」と正直に答えた。民主青年同盟は日本共産党の下部組織である。
複雑な気持ちになったのは、日本共産党が裏で支えてる図式が見えたからではなく、その奥に国際金融資本の影がちらつくからである。世界権力は資本主義と共産主義を対立させることで、民衆を支配してきたと考える。
日露戦争で日本の戦費の半分を融資したのは「クーン・ローブ商会」のジェイコブ・シフである。シフ家はロスチャイルド家の米国における代理人だが、このシフ家がレーニンとトロツキーにも各2000万ドルを資金援助し、内と外からロシア革命の成就を助けた。
中国を共産主義に売り渡したのは、王立国際問題研究所の太平洋地域における実行部隊「太平洋問題調査会(IPR)」だが、W・クレオン・スクーセン著『世界の歴史をカネ出動かす男たち』(成甲書房)によれば、この組織は「モルガン商会とロックフェラーの利権同盟に支配された連合グループ」である。わが国の国立大学の大半でマルクス経済学が教えられているのは、IPRの「成果」に違いない。
そもそも共産主義思想は、ユダヤ金融資本が国家を寡頭支配する道具として生まれた。MI6の高級将校だったジョン・コールマン博士によれば、ロスチャイルドは欧州の王室国家を横領するためユダヤ人のカール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスに「科学的社会主義」を研究させた。日本共産党の幹部は上位1%だが、彼らを動かしたのは上位0.01%の人々にほかならない。
もちろん、今の野党共闘+市民国民と自公の対決では、前者に加勢する。このまま戦争に突入されては、かなわないからである。しかし、米国に足場を置くいわゆる「戦争屋」に対峙(たいじ)する欧州の「金融屋」は、混血化した奴隷階級(ゴイム)を統一政府が管理する社会を目指す。ジョージ・オーウェルが『1984』に描いた監視社会である。
マイナンバー制度の導入をはじめ、ICチップや生体認証、監視カメラの普及、控除から給付への転換、労働者派遣や増税、同性愛の奨励と家族の解体、民族のアイデンティティーを破壊するほどの大規模な移民、差別の創造による言葉狩りなどはその一環である。これら「金融屋」の施策が国際関係の悪化と競って展開されていることに注意が必要だ。
かつてのマルクス主義対ファシズムの対立は現在、グローバリズム対新自由主義という形で存続する。グローバリズムと新自由主義を止揚した先に現れるものこそ、世界統一政府ではないか。
日本共産党がTPPや消費増税、戦争法に反対するのは、政権奪取のための過渡的な戦略と理解する。世界が赤色化すれば、もはや関税もへったくれもない。戦争もしようがない。あるのは、住民をいかに管理・収奪するかという関心だけ。税制を含め、政策与奪の権を握るだろう。
このようなことを書くと、「高校生デモ=共産党」のツイートを連投して自公票を増やそうとする者が登場するかもしれない。今回の高校生デモでも、「選挙に行こう」というコールがあった。しかし、選挙に行くしか事態打開の余地がないのは、支配権力の締め付けが強化されてきた証しである。
1960年代末の全共闘運動は武力闘争を辞さず、議場の中で対立を演じる日共勢力を軽蔑していた。しかし、学園封鎖の解除から始まった徹底弾圧で懲りた学生や市民にとって、闘いの場は議場と裁判所しかなくなった。問題・反応・解決の弁証法を使った、支配権力の常とう戦略とみる。
社会科学者のマックス・ウェーバーによれば、普通選挙法は少数者が多数者を支配するための政治制度である。1925年、わが国で普選法が成立したときに一緒に議会を通ったのが治安維持法だった。民衆の政治参加機会を、4年に1度体育館で候補者の名前を鉛筆で書く行為のみに制限したのである。
今のわれわれは、政治に不満でも、選挙での投票選択しか余地がない。しかも事実上の二大政党制制で、どちらも毒を含んでいる。戦争か監視社会かといった具合に。ウェーバーは未完の大著『経済と社会』の第一章の終わりに次のように記す。
「民主主義における大衆の役割とは、その投票が選挙時に獲得の対象とされるのみである」
自分で考えて行動したつもりでも、ずっと上の方で用意された戦略に利用されていたにすぎない――。政治運動に携わった多くの人が後で漏らす感想である。それを承知の私でさえ、期待する政治家が相次ぐ裏切りに遭い、孤立化したのを見て、政治を追い掛ける意欲をなくした。
選挙で自分の票を有効にしようとすれば二者択一の選択を迫られ、政治家以外の国民は選挙以外に政治参加の道はほとんどない。デモ行進や討論会を催しても、投票結果が全てを決める。有権者への訴えが重要だが、マスメディアをしのぐ効果的な宣伝は見たことがない。
しかし、無力感に支配させていたら、支配者の思うつぼである。宇宙原理からすれば、われわれが暮らす3次元(時間を入れれば4次元)世界は精神状態の表れである。政治状況を改善するには、物欲に執着するわれわれの低い精神次元を高めることが先決なはずだ。
中間層がなくなって得するのは、上位0.01%だけである。中間層の消滅とともに、労働者の賃金も一律1000円に向かうだろう。戦争を止めなければ、家庭を持つ意味もない。自由な暮らしを守るためには、並行する監視強化の施策にも反対するしかない。
宣伝に踊らされず、心の声に耳を傾けて生きたい。既成の枠組みにとらわれず、主体的に振る舞おう。何者にも利用されない、強い気持ちで。それが支配権力の最も嫌がることだから。
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