http://www.asyura2.com/16/senkyo202/msg/713.html
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http://31634308.at.webry.info/201603/article_11.html
2016/03/12 23:50
3.11の特集が各局で放映された。この中で、津波の被害による復興は、5年間の間に、遅まきながらも徐々に進んでいる。しかし、福島原発により汚染された地域の映像を見ると、なんとも居たたまれなくなる。そこに住んでいた住人のインタビューを聞いていると、自宅に住めない口惜しさ、孫、子供と住めないことを淡々と話している。私なら、思わず東電への恨み言を述べてしまうところであるが、そんな話は出てこない。東北人の人柄を表している。他の電力会社の経営者は、このような話を聞いて再稼働にどう思っているのであろうか?
大津地裁は、高浜原発の稼働中の運転停止の判決を出した。電力会社が上記のような事態に決してならないという証拠を出していないと判断した。心あるマスコミの社説では、この画期的な判決を「よくぞ」出してくれたと評価している。原発に反対する6割以上の国民にとっても歓迎する判決であった。
しかし、この判決に不満たらたらのマスコミが、「読売新聞」である。読売は他社と同じマスコミであるはずが、180度異なる社説である。
以下に、その気になった文を抜粋した。国民の6割が原発の再稼働に反対して話を、その国民の意志とは逆に、今回の判決は、裁判所が安全性を審査などは出来ないと主張している。
また、裁判官が関電に対して、立証が出来ないようなことを要求するなとも述べている。また「原子力規制委員会の安全基準に疑問を呈するな」とも述べ、「冷静、公平な」裁判を求むと結んでいる。つまり、冷静でなく、公平ではないと主張している。
これが一評論家の主張なら、この程度のことを言おうが問題にはならないが、少なくとも国民の世論の代表である新聞社が、裁判所の判断を批判するということは、尋常ではない。
いくら、安倍氏の大友達の新聞とは言え、行き過ぎだ。それにもまして、このような社説を書く新聞にお金を払って購読する読者の気持ちがわからない。
高浜差し止め 判例を逸脱した不合理な決定
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20160309-OYT1T50157.html
2016年03月10日 03時03分
裁判所自らが、原子力発電所の安全審査をするということなのか。
大津地裁は、規制委と同様、関電に原発の安全性の技術的根拠を説明するよう求めた。関電は、審査データを提出し、安全性は担保されていると主張した。
だが、大津地裁は「対策は全て検討し尽くされたのか不明だ」として、受け入れなかた。
司法として、関電に過剰な立証責任を負わせたと言えないか。
今回の決定も、最高裁判例に言及はしている。だが、再稼働のポイントとなる地震規模の想定などについてまで、自ら妥当性を判断する姿勢は、明らかに判例の趣旨を逸脱している。
大津地裁が、規制委の新規制基準に疑問を呈したのも問題だ。
新基準は、第一原発事故を踏まえ厳しくなったにもかかわらず、規制委の策定手法などに対して、「非常に不安を覚える」と独自の見解を示した。原発にゼロリスクを求める姿勢がうかがえる。
関電は、大津地裁に対し、保全異議などを申し立てる。それが認められなければ、高裁に抗告することになろう。裁判所には、冷静で公正な判断を求めたい。
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