外国勢力と結託する野党の「正体」 今日の日本には、いくつかの野党がありますが、反日左翼と言っても過言ではない野党もあります。中でも「暴力革命の方針を堅持する日本共産党」は、今でも警察庁の監視下にある組織ですが、過去に何をやってきた政党なのかということを、多くの日本人が忘れていると思います。 彼らは戦後になって、「あの戦争に反対した唯一の政党」などと言っていますが、これは大ウソであり、詰まるところは日本を弱体化させ、ソ連赤軍を日本に上陸占領させるために様々な地下工作活動をしていたのです。悪名高い「治安維持法」は、もともと、日本共産党によるテロ行為の取り締まりを強化する目的で制定された法律です。最近では「護憲政党」などと勘違いしている人も多いようですが、それはあまりにも不勉強すぎます。日本共産党が守りたい日本国憲法の条文は、憲法第9条だけです。 有名な日本共産党の幹部に、野坂参三という人物がいます。1993年に101歳で大往生を遂げた野坂参三は、晩年には親交のあった黒柳徹子さんの番組や、NHKの番組にも出演するなど、良心的な人物という印象を与えていましたが、もともとは日本という国家を打倒するために、ソ連でスパイ教育を受けた秘密工作員でした。 野坂参三は最初、戦前日本にあったキリスト教系の労働団体「友愛会」からイギリスに派遣され、イギリス共産党に入党しており、そこから日本を経由してソ連に密航。戦争が始まる前にはアメリカにも入国していたと言われています。その後、中国共産党と合流して日本軍兵士に対する脱走勧告などを行い、戦後はGHQによって府中刑務所から「解放」された徳田球一らと日本共産党を再建し、衆議院議員となります。 その間に野坂参三は、日本国憲法の草案作成を指揮したGHQ民政局次長のチャールズ・L・ケーディスと懇意になっているのですが、このケーディスという人物はCIAの前身であるOSSの要員でもありました。 こうして見てみると、戦後の日本共産党がどういう人々と繋がってきたのかということが分かりますが、その流れと意向を汲む日弁連が「外国勢力」と結託し、海外での反日活動を煽ってきた源流は、まさにこういった部分にあるのだということが分かります。 今日でも、日本共産党の根本は全く変わっていません。慰安婦問題では韓国を訪れて反日活動を煽るなど、教科書的な基本的反日活動を地道に続けている組織ですが、そもそも、現在の委員長の志位和夫氏の叔父の志位正二陸軍少佐も、かつてはソ連のスパイでした。 志位正二陸軍少佐は戦後、シベリアに抑留されますが、そこでソ連の特殊工作員として訓練を受け、ツーリー・ラストボロフという名のKGB中佐の協力者として日本に帰国します。帰国後は、GHQ参謀第二部で何食わぬ顔をしながら勤務し、日本の自衛隊創設に関する情報をラストボロフに流していたのですが、やがて、当のラストボロフ自身がアメリカに亡命したことをきっかけに、身に危険を覚えたために警視庁に出頭、自らがスパイであったことを自白しました。 ラストボロフは後にアメリカで、日本人36人を協力者として使っていたと証言しましたが、その中には志位正二陸軍少佐以外にも、外務省欧米局や国際協力局、経済局などに勤務する外務官僚らも含まれており、うち1人は取り調べ中に窓から飛び降り自殺したそうです。 一方の志位正二陸軍少佐は、警視庁出頭の後、しばらくして石油会社の役員となったのですが、1973年、シベリア上空を飛行中の日本航空の機内で突然死しました。断っておきますが、これは小説や映画の話ではありません。 このように、長年、外国のスパイ勢力と結託することで生存してきた日本共産党が、今日でもなお、日本の合法的な野党として活動しているということ自体、連邦法で共産党活動が禁止されているアメリカ合衆国の弁護士としての目線で見ると、あまりに異常としか言えません。 日本はスパイ天国である ラストボロフと同じように、後にアメリカに亡命したスタニスラフ・レフチェンコKGB元少佐は、1982年、アメリカ議会の聴聞会において、「日本はスパイ天国である」としたうえで、 「日本では、多くの政治家、官僚、学者、マスコミ人が、ソビエトに協力しているという意識なくソビエトに協力した」 「日本人の大半がソ連の対日諜報謀略工作の実態や目的について驚くほど無頓着。KGBによる対日工作は執拗かつ周到に行われている。日本には防諜法も国家機密保護法もないため、政府が外国諜報機関の活動に効果的に対処できず、日本人協力者に対して打つ手も限られている」 などと述べましたが、この状態はおそらく、今日も全く変わっていないでしょうし、それどころか、その手法や範囲は相当に「進化」しているはずです。 旧社会党系の出身者が今でも多く残る社民党もまた、外国勢力と結託して反日活動を行ってきた政党です。 元慰安婦と自称する人々に「証言内容をいちいち指南する」という工作のみならず、反日弁護士のパートナーと一緒になって慰安婦問題を何十年にもわたって世界中に拡散した影の仕掛け人であり、安倍首相の戦後70年談話についても、「何百年経とうが謝らなければならないことはある」と言い放つ福島瑞穂氏など、「本当に日本人なのか」と疑いたくなるような活動ばかり行ってきました。また、かつての党首であった土井たか子などは、北朝鮮の秘密工作員で、原敕晁さんを北朝鮮に拉致した辛光洙の釈放署名運動を行い(菅直人元首相や千葉景子元法相も参加)、中華人民共和国を訪れては南京大虐殺記念館のイベントに参列して、被害者と自称する怪しい人々に対して謝罪までしています。 そもそも、1980年代に建設されたあの南京大虐殺記念館に設立資金を出したのは、田辺誠という元党首が率いる当時の社民党でもあったのです。 北朝鮮による拉致被害者であった地村保志さんのお父さんは、土井たか子に拉致問題の解決のための陳情に行った際には、「北朝鮮による拉致などあり得ない」という北朝鮮の言い分を、そのままぶつけられたと言います。 また、同じように北朝鮮に拉致された増本るみ子さんのお父さんは、亡くなる直前の病床にあって、娘に対するビデオメッセージを残しましたが、その中で、 「るみ子、父ちゃんもこんな姿になった。お前を待っていたが、まだ帰ってこないから、もうこちらから迎えにいけなから、どこかで待っていて。わしも日本を信じる。だからお前も日本を信じろ」 とおっしゃっています。 見ているだけでこちらも涙が出てしまうのですが、社会党系の人々は、こういう拉致被害者家族の思いを何度も踏みにじってきたにもかかわらず、今日でもなお、国民の税金で糧を得て、飽くことなき反日活動を継続しているのです。 村山政権という日本の黒歴史 1990年代には、そんな政党から村山富市という首相が出たのですから、戦後の日本がいかにめちゃくちゃに蹂躙されていたのかが分かります。 村山首相は、あの悪名高い「村山談話」を出して国際的な日本の名誉に致命的な打撃を与えたばかりか、「男女共同参画社会」という美名の下に隠した「性の解放」による日本の家族制度破壊の方針を打ち出しました。 この男女共同参画社会基本法の原案作成者である、東京大学の大沢真理教授は、 「女で妊娠したことがある人だったらメスだと言えるかもしれないけれども、私などは妊娠したことがないから、自分がメスだと言い切る自信はない」 などと言っています。何が言いたいのかよく分かりませんが、少なくとも常識人の発言とは思えない。こんなことを平気で言う人物が、日本の最高学府にあって国民の税金で毎日生活し、未来ある若者たちを、教育と称して洗脳しているのに、なぜ多くの国民は怒らないのでしょうか。 村山政権は他にも、ゆとり教育の推進で3割も学習量を減らし、若者たちの脳ミソを空っぽにしました。また、小学生にセックスのやり方まで教えるといった、まさに常軌を逸した性教育を推進した責任者でもあります。その結果、「援助交際をする権利」などという話も一時期、フェミニストたちの間で広がったくらいですから、村山政権のせいで日本人の高貴な伝統精神がどれだけ破壊されたのかは想像に難くありません。 そういえば、選択的夫婦別姓の導入推進を訴えている堂本暁子氏も社会党出身でしたが、彼女が過去に知事を務めた千葉県のシンボルマークは、「カタツムリ」です。八木秀次(麗澤大学教授)が産経新聞社の『正論』に詳しく書いていますが、これは、カタツムリが雌雄同体であることを取り上げたものであり、2000年に発行された『ハーモニーちば』というパンフレットには、カタツムリがインク瓶をよじ登っているイラストが描かれ、 「カタツムリは雌雄同体。”結婚”すると、両方の個体が土の中に白くて小さな卵を産みます。同じ一匹で雄の気持ちも雌の気持ちも良くわかるなんて、ちょっぴりうらやましいような・・・・・」 といった文言が書かれているのです。 このように、実に不気味な「社会制度解体思想」が、長らく日本社会を蝕んできたわけですが、常に外国勢力と結託してこれらを推進してきたのが、今日でもなお皆さんの税金で賄われている社民党や日本共産党といった、日本の伝統的左翼政党の「正体」なのです。 こんな野党の振り撒いてきた自虐史観がいかにアホらしいかということに、もっと多くの日本人が1日も早く気づかねばなりません。さもなければ、彼らは「戦争反対」「憲法守れ」などの美辞麗句を繰り出し、善良な国民の多くを煙に巻いて、外国勢力と結託し、自らの反日思想を拡散して日本を破壊しようとし続けるに違いありません。
[32初期非表示理由]:担当:要点がまとまっていない長文
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