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[政 その瞬間]三方一両損(01年 小泉首相) 医療制度改革 聖域にメス
2001年4月の自民党総裁選で世論の圧倒的な支持で勝利した首相、小泉純一郎。「聖域なき構造改革」を訴えて7月の参院選で圧勝した。その具体化に向けて02年度予算編成で柱に掲げたテーマの一つが医療保険制度改革だった。
01年11月、政府・与党協議会の大綱はサラリーマン患者負担を「必要なとき」に3割に引き上げることで決着
医療費は年30兆円を超え、国民所得の伸びや成長率を上回る増加ペース。政権は保険料と患者負担の引き上げ、医療機関の収入を減らす改革案を練り始めた。
8月27日、政府と労働団体との会議。小泉は「三方一両損で落としどころを相談したい」。患者、保険者、医療機関が負担を分かち合うという改革の趣旨を端的に表現し、理解を求めた。厚生労働省は(1)サラリーマン層の患者負担を2割から3割に引き上げ(2)診療報酬引き下げ(3)高齢者医療費伸び率に上限設定――などの試案を掲げた。
日本医師会など関係団体は反発。会長の坪井栄孝は「財政偏重の誤った改革で、将来、国民の健康不安を招く」と批判した。呼応する党厚生族議員が抵抗する中、小泉は上限制などで妥協する一方、目に見える改革にこだわり、12月17日、診療報酬を薬価分などを含め過去最大の2.7%引き下げる方針を決めた。
サラリーマンの患者負担の引き上げは最後までもつれた。患者減を懸念する医師会と厚生族は強く抵抗。保険離れを危惧した党医療基本問題調査会長の丹羽雄哉は「自民党の9割が反対している」と訴えた。11月末、幹事長の山崎拓が3割負担の時期を「必要なとき」と玉虫色にする妥協案を示してひとまず決着した。
族議員は「しばらく上げない」と安堵したが、小泉は02年の年明け早々、3割負担を盛り込む法案に時期を「03年4月」と明記すると明言。2月11日、官房長官の福田康夫、厚労相の坂口力、与党3党幹事長、政調会長で合意し、党内の反対を押し切って決定した。
=肩書は当時、敬称略
(福岡幸太郎)
◆「政 その瞬間」は政治が大きく動いた場面を検証し、象徴する言葉とともに人間模様を描きます。
和感を覚え 制度離れ懸念
丹羽雄哉・元自民党医療基本問題調査会長 「三方一両損」を聞いたとき違和感を覚えた。国が痛みを伴わないのは不条理だと言った。サラリーマンの負担引き上げに反対したのは、なし崩し的に負担割合が増えると保険の意味が薄れて制度離れが進む可能性があったためだ。(03年4月の時期明記方針は)決着がついたと思っていたので驚いた。(インタビューを電子版に▼Web刊→紙面連動)
[日経新聞2月21日朝刊P.]
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丹羽雄哉氏「医療制度、官邸の言いなりでは大変なことに」
(2月21日付朝刊 日曜に考える・政界面関連インタビュー)
2016/2/21 3:30
2001年4月、自民党総裁選で構造改革を訴えた小泉純一郎氏は世論の圧倒的な支持を集めて勝利、首相に就いた。「聖域なき構造改革」を掲げて7月の参院選も大勝し、その後、具体化に向けて取り組んだ柱の一つが医療制度改革だった。サラリーマンの患者負担引き上げ、診療報酬の大幅な引き下げなどを実現した。当時「厚生族」の有力議員で、党医療基本問題調査会長として政府と調整にあたった丹羽雄哉元厚相に当時の状況を聞いた。
■「三方一両損」に違和感
小泉政権の医療制度改革で、丹羽氏は政府との調整にあたった
――小泉氏は「自民党をぶっ壊す」と公言し、族議員を「抵抗勢力」と位置づけて改革路線を前面に出した政権運営を進めました。
「ぶっ壊す、というのは既得権益にしがみついている自民党をぶっ壊すということだ。彼のことはよく知っていたので、それほど驚かなかった。自分は既得権益を守っていたわけではないので脅威だとかは思わなかった」
――小泉氏は医療制度改革を「三方一両損」と表現し、患者、(企業など)保険者、医療機関にそれぞれ応分の負担を求めました。
「この『三方』に違和感を覚えた。私は本来は国、医療機関、国民が三方だと思った。国民の負担を増やしておいて、国に痛みを伴わないのは不条理だと主張した。当時の社会保険庁(現・日本年金機構)は無駄なことをたくさんしていた。例えば所管の社会保険病院の多くは赤字が常態化していた。そういったものを見直さずに国民負担だけを増やすのには疑問を持った」
――小泉氏から「抵抗勢力」とレッテルを貼られる恐れを感じませんでしたか。
「そういう危機感はなかった。国民負担を増やそうとするのを抑えようとしているのだから。国でやるべきことがあると私は訴えていたので、そこは郵政民営化などとは少し違う」
――サラリーマンの自己負担を2割から3割に引き上げようとする政権の主張と対立しました。
「負担の割合が3、4、5割となし崩し的に上がっていくと、保険に入っている意味がなくなる。そうなると、皆保険制度が崩壊すると危惧した。小泉氏は厚相のときに被用者保険は3割、大病院では外来5割負担という案を検討していた5割負担論者だ。首相官邸の言いなりになったら大変になると思って抵抗した。財政のことは考えないといけないが、それありきで患者負担を増やす発想では社会保障ではなくなるという心配があった」
■厚労省幹部への「脅し」も
――保険制度を維持するには自己負担の引き上げは必要だったのではないでしょうか。
「厚生労働省内部では、(中小企業のサラリーマンらが加入する)政府管掌健康保険の保険料率をわずかに上げれば3割負担にしなくても当面は保険財政の黒字が維持できるという案を検討していた。当時の官邸は首相の求めに対して消極的な厚労省幹部を『更迭するぞ』と脅した」
――3割負担は01年末に「必要なときに引き上げ」と玉虫色でいったん決着した後、翌年に小泉氏が「03年4月実施」を法案に明記すると主張し、最後は押し切りました。
「3割負担が続いているのはあのときの合意があったから」と語る丹羽氏
「決着がついたと思っていたので驚いた。02年2月11日、ゴルフをするために沖縄に行っていたときに厚労相だった公明党の坂口力氏や自民党の麻生太郎政調会長(当時)から電話があった。首相の方針は変わらないということで3割負担導入を決められ、私たちは『打ち首』になった」
「条件闘争に入らないといけないと思い、03年4月1日からの自己負担引き上げを了承する一方で、3割負担を将来にわたって堅持し(それ以上は上がらないように)法的に担保することや、社会保険庁の見直しなどを提示し、2月22日に合意した。この合意事項を履行するため法案の付則に明記することも了解された。財務省は今でも引き上げを狙っているが、現在も3割負担が続いているのはあのときの合意があったからだと自負している」
(聞き手は福岡幸太郎)
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