今の時点で動画がまだ消されていないので、 消されないうちに文字起こしをしました。 <スタジオ> 古舘氏 「特集 安倍総理・憲法改正の原点です。 これをご覧になったら、何箇所かは驚かれる部分があると思います。 そもそも59年前になりますが、安倍総理のおじいさんである、当時総理だった、岸信介氏が憲法調査会をスタートさせました。 メンバーは国会議員が20人、そして評論家など有識者の方々が19人という構成でした。 さて、そのだいぶ昔の憲法調査会ですが、現代になりまして、つい最近のことですけども、 憲法を研究、そして取材をずっとやってこられた、86歳になるジャーナリスト鈴木昭典(すずきあきのり)さんが、国立公文書館に入っていろいろ調べている最中にひとつのダンボールの箱を見つけました。 なんとその箱の中には、当時の憲法調査会の議論中の肉声が収録されたテープがまったく未整理の状態で入っていました。 鈴木さんは公文書館にお願いをして、現代のCDに60時間以上にもおよぶ会議の肉声をコピーしていただきました。 そしてご本人が60時間以上のものを聞いて、「ここは」というのものを11分ちょっとにまとめたことを、これからご覧に入れます。」
--------------------------------------------------------------------------- <VTR> 安倍総理 「まさに日本が占領下にあって、この憲法が作られたのは事実であろうと。 指一本触れてはならないと考えることによって、思考停止になる。」
ナレーション 「今から59年前の1957年、安倍総理の祖父、当時の岸総理は憲法改正を目指して具体的な検討を始めた。 舞台は内閣に設けられた憲法調査会。 当時の映像に音声は残されておらず、詳細は知られていなかった。 今回、私たちは実際の議論に録音された貴重な音声データを国立公文書館で発見した。 60時間以上にわたるその肉声からは、岸総理に近い政治家たちが主導していた、激しい改憲論が聞こえてきた。」 <録音テープ音声> 改憲派・国際政治学者 神川彦松氏 「これは決して感情論ではありません。敵国の占領統治下という、日本国民にとっては革命時代にできた憲法でありまして、 この憲法は明治憲法とは違う、外国の権力者が作った憲法でありますからね。」 改憲派・広瀬久忠 参議院議員 「わが国の政治があやまって軍国主義に行き過ぎた、それに対するGHQ司令部の一部の者の反発が非常に強かった。 それが表れてきているのに、われわれはもう今日に引きずられる理由はない。」 ナレーション 「当時まだ40代の中曽根元総理と、調査会会長との激論もあった。 会長は英米法学者の高柳賢三氏で、憲法制定に実際に実際にかかわった人物だ。」 改憲派・中曽根康弘 衆議院議員 「異常な状態で作られた、世界でもまれな占領下の憲法という、特殊事態を全然知らない連中の話です。 何のために憲法調査会が作られたのか因縁もわかりもしないで、この憲法をどうするかという議論が始まるはずがない。」 審査会会長・英米法学者 高柳賢三氏 「憲法改正は子孫に長く伝わる問題で、これをわれわれ現代に住んでいる人だけでもって、軽々しく決めると、とんだことになる恐れもある。 あなた(中曽根氏)は学者というものを非常に軽んじて政治家の道具のように考えているようですけど、あなたは間違っています。」 ナレーション 「憲法調査会が始まったのは、GHQによる占領が終わり、日本が独立を回復して5年後のことだ。 A級戦犯となった岸信介氏をはじめ、戦時中に大臣などを務めて追放された政治家が次々と政界復帰していたころでもある。 こうした公職追放組が、憲法の中身よりも成立過程を問題視する、いわゆる「押しつけ論」を展開した。」 改憲派・広瀬久忠 参議院議員 「非常に重大なのは、憲法が成立する時のことである。 その時の日本の有識者がただ安閑としていたことはないと思う。 必ずや将来の再検討を腹の中で考えていると思う。」 ナレーション 「岸総理が始めた憲法調査会で改憲派は、憲法を日本人が全面的に書き直すべきだと主張したのだ。」 改憲派・政治学者 潮田江次氏 「これはアメリカのハイスクールの生徒の作文で、みっともない前文でして、これはぜひ変えていただきたい。」 改憲派・早稲田大学教授 吉村正氏 「たとえ憲法の内容はいいものだとしても、わが国が完全な独立を回復した今日、 われわれの手で実質的に作り直そうということは、あまりにも当然な要求でないかと思います。」 ナレーション 「押しつけ論に異をとなえたのはリベラルな学者たちだった。」 護憲派・評論家 坂西志保氏 「戦争と敗戦の責任をしょっている私たちが、何を好んでもう一度危険を冒して憲法を改正するのかは、さっぱり意味が分かりません。 私たちは、もう少し謙虚であっていいと思います。 今になって口を拭って、戦争も敗戦の責任も自分たちにないようなことを言う。 そして「将来の世代のために憲法を改正することは自分たちの使命である」というふうに聞かされますと、私は非常に強い憤りを感じます。 そういう人たちがなぜあの戦争を止めることができなかったのか。」 改憲派・政治評論家 細川隆元氏 「私は現実の必要によって小規模に改正すべしという私たちは現実的改正論者です。 中身がいいか悪いかが問題であって、制定経過がどうしてそんなに大事だろうか? 新憲法は外国の干渉があったからこそできたと思います。」 改憲派・早稲田大学教授 吉村正氏 「私は完全無欠なものとしても、やはり外国人が作ったものと、我々自身がつくったものとは違うんです。」 ナレーション 「改憲派の狙いは、戦争放棄を定めた憲法9条だった。 日本は戦力を持たないとしたものの、朝鮮戦争を機にアメリカの要望に応える形で、 1950年に警察予備隊を創設。 そして、1954年に自衛隊が誕生した。 時は米ソ冷戦の真っただ中、改憲派は「非武装中立では現実に対処できない」と主張したのだった。」 改憲派・木暮武太夫 参議院議員 「現在の国際情勢より見れば、固有的とともに集団的自衛の必要がある。 第9条は改正して、自衛のために軍隊を保有し、 国連平和警察軍への参加を認めるように、国民一般に明確にわかるように規定すべきものである。」 改憲派・広瀬久忠 参議院議員 「現行憲法の平和主義は非常に高い理想であるが、それは理想倒れであって、実際の政治には合致しない。」 護憲派・お茶の水女子大学名誉教授 蝋山政道氏 「やはり「海外派兵もできるんだ」、「核兵器も持てるんだ」と。こういう風な意味が改正の趣旨であるとすれば、大変相違になってくるんです。」 ナレーション 「この9条の議論でも押しつけ論が問題となった。 戦争放棄の条文は誰の提案で生まれたのか? GHQのマッカーサー最高司令官であったのか? それとも当時の幣原(しではら)総理だったのか?」 今回発見した音声データには、憲法調査会が開いた公聴会での、ある証言が残されていた。 憲法制定当時、中部日本新聞政治部長だった、小山武夫氏のものだ。 中部日本新聞・元政治部長 小山武夫氏 「第9条が誰によって発案されたのかという問題が当時から政界の問題となっていました。 そこで、幣原さんにオフレコ(非公表)でお話を伺ったわけであります。」 第9条を発案者という限定的な質問に対して幣原さんは 「それは私であります。私がマッカーサー元帥に申し上げて、そしてこういうふうな第9条という条文になってきたんだ」とはっきり申しておりました。」 ナレーション 「調査会はGHQの最高司令官を務めたマッカーサー本人からも書簡で直接証言を得ていた。」 マッカーサー(翻訳) 「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原総理が行ったのです。 私は総理の提案に驚きましたが、私も心から賛成であると言うと、 総理は明らかに安どの表情を示され、私を感動させました。」 ナレーション 「今回、憲法調査会の音声データを発見したジャーナリスト鈴木昭典さん(86)は、 16歳の時に新聞で初めて新憲法について知った。 (映像 1946年3月7日 朝日新聞 主権在民・戦争放棄を規定という見出し)」 当時の1面に象徴天皇、主権在民、戦争放棄いわゆる三原則が報どっていた。 ジャーナリスト鈴木氏 「当時おなかがすいている。焼け跡だらけでいったい、日本が今後どうなるのかがわからない時でした。 そこにとにかく新憲法は戦争しないわけですから、まあ当時の国民にとってはすごい贈り物だし、励みにもなりました。 憲法調査会では新しい時代が始まってるんだという感覚がほとんどない人たちがしゃべってるわけです。」 (安保闘争デモの映像が流れる) ナレーション 「憲法調査会が始まって3年、憲法改正を目指した岸総理は、日米安保条約改定に反対する声が日本が覆う中、退陣に追い込まれた。」 (BGM 坂本九 「上を向いて歩こう」、東京タワー、高度成長期の映像) ナレーション 「かわって1960年に誕生した池田勇人政権は所得倍増を掲げた。 時代が安保から経済へと移り行く中で、憲法調査会はさらに4年続く。 しかし、憲法改正するのかしないか結局結論を出さないまま、幕を閉じた。 調査会の会長、高柳氏は最終盤でこう述べていた。」 審査会会長・英米法学者 高柳賢三氏 「第9条はユートピアに見えるかもしれないが、戦争放棄を不変ならしめるものでなければ、人類が滅亡してしまうというビジョンが含まれている。 第9条はひとつの政治的宣言と解釈すべきである。」 (現在の国会前・安保反対デモの映像) ナレーション 「憲法調査会が幕を閉じてから半世紀、再び反対の声が国会を取り巻く中、安倍総理は安保法を成立させた。 そして、祖父が果たせなかった憲法改正への道を突き進む。」 岸・元総理 「占領下にできた憲法を改めて、日本にふさわしい自主憲法を作りたい。」 安倍総理 「これは占領時代に作られた憲法である。私たちの手で憲法を変えていくべきだ。」 --------------------------------------------------------------------------- <スタジオ> 古舘氏 「木村さん、ご専門の立場でいっぱいお伺いしたいところがあるんですけども、まず驚いたのは、 今と59年前が本当に合わせがらみになっているということ。 それから、これは私の感覚ですけども、戦争責任があると言われていた人たち、あるいは公職追放された人たちは、私憤や怨念、いろんな思いがGHQやアメリカに対してもあったかもしれない。 そういうものが憲法を改正して自分たちの憲法を作るんだと、やっぱり感情的に・・・「感情的でない」と言っても、言っているように聞こえるなど、びっくりすることだらけだらけだったんですけど。」
首都大学東京 木村草太准教授 「そうですね。やはり押しつけ憲法論のまま思考停止してしまっている人が結構いると思います。 また安倍首相も国会でも押しつけ憲法論を振りかざすまでに至っていますが、やはり今の憲法がGHQの押しつけだというのは、制定過程の理解としては不十分、不正確と言わざるを得ないと思います。」 古舘氏 「やっぱりそうですか。」 木村氏 「まず日本政府は太平洋戦争を終結するために、ポツダム宣言を受諾したわけですが、ポツダム宣言には「民主主義の復活強化」それから「基本的人権の保障の確立」ということが条件とされていて、これは国際社会の当然の要求であると同時に、当時の国民の希望、ねがいでもあったはずです。 GHQは最初は日本政府に憲法改正を委ねていたはずですけれども、しかしその内容が民主主義の復活強化というふうには、あまりにも不十分だったということで、GHQが草案・原案を作るに至ったわけです。」 古舘氏 「いったん変更するわけですね。」 木村氏 「はい。その後に、当然英語で書かれていてまた、日本法にも明るくないこともありますから、日本の官僚や政治家が翻訳作業やあるいは日本法との整合性をとるための調整作業。ここでしっかり日本にふさわしい原案を政府案として作って帝国議会に提出したわけです。 さらに帝国議会は日本初の男女普通選挙で選ばれた帝国議会の議員たちが審議をして制定したわけですから、やはり押しつけだと単純に評価するのは、当時の国会議員、あるいは官僚、そして彼らを選挙で選んだ国民への侮辱になっているということに気づくべきだと思います。」 古舘氏 「そういう捉え方ですね。」 木村氏 「はい。もちろんGHQの占領が終わった段階で改めて見直そうという動きは理解できるんですけども、しかしなぜ改正が行われなかったのか。 それは自民党内の改憲派が望むような改憲案を国民が支持してこなかったからであって、70年近くにもわたって憲法が改正されなかったのは、まず日本国憲法が世界標準に照らしてもかなり優秀な内容であったということもありますが、さらに国民が望む、より良い憲法にするような提案を国会議員がしてこなかったということだと思います。 国民主権原理のもとで憲法というのは、国家が権力を乱用して国民の自由・権利を侵害することを防ぐためにあるわけです。 ですから、憲法改正を実現したいのであれば、押しつけ憲法論をアピールするのではなく、憲法に対する感情的な反発ではない、より国民が望む改憲がどういうことなのかを考えてアピールすべきだと思います。」 古舘氏 「そこですよね。さっきのああいう議論(テープ)を聞いてますと、女性の方(護憲派 坂西志保氏)があの戦争の悲惨さ、国民がどういう味わい方をしたか、それがどういう心境をしているのかをおっしゃっていて非常にわかりやすくて印象に残りました。 そのほかの改憲の方々の話を聞いてると、やっぱり国家と自分と合立していて、「まず国家としてどうなんだ?」となるんですけども、それも大事かもしれませんが、国民一人で構成されている国民のための国家だと考えたときに、戦争に行って死んだ人、悲しい人、そして戦争に行かなかったけどもどれだけ苦労したか、身内を失った方・・・ そういった人たちの悲しみの総和というものを考えてみたら、そう簡単にいろんなことが改正できなかったのかなという気がしますね。」 木村氏 「そうですね。憲法というのはその国をこはくにたらしめているルールです。将棋が将棋のルールなしに存在しないように、国家は憲法なしには存在しないわけですし、国家を大事にするというのは、憲法を大事にするということでもあると。 やはり今の憲法に憎しみを持っている方は、それから解放されないと、建設的な改憲論は永遠に不可能だということを自覚すべきだと思います。」 古舘氏 「どうしても人間ですから感情というものがありますからね。それを抜いた上でやっていくというような、ある種の気が遠くなるような作業を経ないと、こういうものは簡単に決められないということに戻ってきますね。」
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