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韓国のソウル中央地裁に入る加藤達也氏〔PHOTO〕gettyimages
韓国は本当に「法治国家」なのか? 産経新聞前ソウル支局長が体験した"驚きの裁判"
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47961
2016年02月22日(月) 週刊現代 :現代ビジネス
■韓国での裁判は「ワンダーランド」
――産経新聞の前ソウル支局長の加藤さんは、'14年8月3日付のインターネット版コラムで朴槿恵・韓国大統領の名誉を毀損したとして同年10月に在宅起訴され、昨年12月17日に無罪が確定しました。約500日に及ぶ闘いの日々を描いたのが本書『なぜ私は韓国に勝てたか』です。
私は'04年9月から半年間、韓国・延世大学で韓国語を研修し、'10年11月から産経新聞ソウル特派員となり、'11年11月から'14年9月までソウル支局長を務めました。
それで'14年8月1日に、10月1日から東京本社の社会部勤務という内示を受けて、帰国の準備を始めていたのです。そうしたらあの記事のために、出国禁止措置を出され、10月8日に韓国検察によって在宅起訴された。これら一連の出来事すべてが、青天の霹靂でした。
――問題となったコラムは、起訴されるとは思えない内容でしたね。
ええ。コラムは以下のようなものでした。
'14年4月16日に起こったセウォル号沈没の日に、朴大統領が7時間にわたって所在が不明になっていた。その間に、大統領が元側近の鄭允会氏と会っていたとの噂がある。そのような真偽不明の噂が取り沙汰されるほど、朴政権のレームダック化は進んでいるようだ――。
それらを、韓国国会で大統領が追及された事実や、「朝鮮日報」が報じたコラムを引用する形で載せたのです。私としては、支局長生命を賭けて勝負するような重要記事ではありませんでした。
それを韓国当局は、大騒ぎして私を起訴し、出国禁止措置を出した。こうした措置は、異常としか思えませんでした。
なぜ、ソウル中央地検は公権力に不都合な記事を書いた外国人特派員を刑事訴追するという暴挙に出たのか。衝撃の手記
――この本には巻末に、「加藤裁判記録 主な攻防」という公判でのやりとりが克明に記されています。
それを読むと原告側が、「韓国メディアが、日本の総理が若い女性と援助交際をしているというニュアンスの記事を書けば、日本人は黙っているでしょうか」と証言したりして、公判ではかなり痛烈なやりとりをされていますね。
告発者は私が日本語で書いた記事の原文さえ読んでいなくて、現地のネットメディアがいい加減に付けたタイトルをもとに、感情に訴えて扇情的に語る。検察は、故意に膨大な資料を積み上げて威圧する。傍聴席には昼間から酒臭い男たちがいて、私のことをヤジる。裁判長は彼らにも発言権を与えたり、私に説教を始めたりする。
公判では、そんなことが一日5時間以上も続くわけです。私は社会部出身で、日本の裁判を多く取材してきましたが、韓国で自分自身が経験した裁判は、日本とはまるで異なる「ワンダーランド」でした。
ただ私の弁護士のパク・ヨングァン氏は大変冷静かつ優秀な方で、随分と擁護してくれたので助かりました。
■感情が法律を超えてしまう国
――加藤さんの裁判は、日本でも公判のたびに大きく報道され、多くの日本人が注目していました。こうした反応をどう感じていましたか。
全面的に支えてくれた家族には感謝したいです。長女は大学受験の真っ最中で、長男は短期留学に出たりしていたのですが、家族で励まし合いました。
それから、会社の人たちがソウルまで対策を相談しに来たので、私が安易に謝罪したりせず戦う意思を伝えると、全面的なバックアップを約束してくれました。実は私は、赴任先で刑事事件として罰せられるような行為を犯したのだったら、会社を辞めなくてはと覚悟していたのです。
裁判では、西日本新聞のソウル支局長をはじめ、アメリカ人ジャーナリストも証言台に立ち、「表現の自由は民主国家の根幹だ」と熱っぽく語ってくれました。日本政府も事あるたびに韓国政府に対して、早急に善処するようプッシュしてくれました。
こうした多方面からの応援の結果、朴弁護士すら予期していなかった無罪判決を勝ち取ることができたのだと思います。皆様に感謝しています。
――他のソウル特派員とはまったく異なる経験をされたわけですが、いま振り返って、韓国という国をどう思いますか?
韓国は法治国家の国というより、情治国家の国だと、つくづく思いますね。感情が法律を超えてしまうわけです。
私の裁判と同時期に、大韓航空のいわゆる「ナッツ姫事件」が起こりました。大韓航空の創業者の孫娘である副社長が、ニューヨークの空港で離陸直前の乗員の態度に噛みついて離陸時間を遅らせた事件です。
結局、女性副社長は一審で実刑判決を受けましたが、この裁判もまさに、法律より国民感情が主導した裁判でした。
――現在は本社に戻り、何の担当をしているのですか。
私が朝鮮半島と関わったそもそものきっかけは、警視庁で外事事件や拉致を担当したことでした。拉致問題は、1980年に産経新聞がスクープして始まったこともあり、わが社は伝統的に力を入れています。いままた古巣の社会部に戻って、主に警察庁と拉致問題の取材をしています。
新聞記者として、ソウルでまたとない体験をしたので、これからの取材活動に活かしていきたいと思っています。
――将来、再度のソウル赴任を命じられたら、どうしますか?
社命が下れば、もちろん再度のソウル勤務も厭わないつもりです。記者として、読みごたえのある日韓関係の取材をし、書いていきたいという希望があるからです。
ただ、今後韓国が、私を受け入れてくれるかどうかは分かりませんが。
(取材・文/近藤大介)
かとう・たつや/'66年東京都生まれ。'91年産経新聞社入社。'99年から社会部で警視庁、拉致問題などを担当。'04年、延世大学で語学研修。社会部、外信部を経て'10年11月からソウル特派員、翌年11月ソウル支局長。'14年10月から社会部編集委員
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