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京都市長選では共産党推薦の本田久美子候補が現職の門川候補に敗れた。京都・法観寺の八坂の塔(資料写真)
首長選挙で惨敗続く共産党、原因はどこにあるのか 「安保法制」廃止の宣伝のために利用された京都市長選
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46074
2016.2.16 筆坂 秀世 JBpress
野党の中で存在感を増し、選挙でも好調を伝えられてきた共産党だが、この間の注目される首長選挙では、ことごとく惨敗を喫している。大阪府知事選、大阪市長選、宜野湾市長選、京都市長選がそれだ。
いまから4年前、5年前といえば、共産党が長期低落傾向の真っただ中にあった。その時よりも苦戦しているのはどうしてなのか。その理由を探ってみたい。
■京都市長選挙で惨敗した理由
直近の2月7日に行われた京都市長選挙では、現職の門川大作候補(自民、民主、公明が推薦)に、共産党推薦の本田久美子候補が挑んだ。結果は、門川候補の25万4545票(得票率63.8%)に対し、本田候補は12万9119票(32.4%)であった。門川候補が本田候補のほぼ倍の得票で3選を果たした。
4年前の選挙ではどうだったのか。同じく現職の門川候補に共産党推薦の中村和雄候補が挑んだ。選挙結果は、門川候補が22万1765票(53.8%)、中村候補が18万9971票(46.1%)だった。3万票程度の差であり、僅差であった。それが大差になってしまったのである。
この選挙結果について、山下芳生共産党書記局長は、「結果は残念だった」とした上で、「戦争法(安保法制)廃止の国民的共同が京都市長選を通じて、また一段と大きく発展した。非常に大きな希望だと感じた」と述べている。かつては同僚であり、何度も酒を酌み交わした山下氏のことはよく知っている。多少、教条的なところはあるが、こんな強弁をする人間ではなかったと思っていただけに驚いた。
さらに山下氏は、「京都から戦争法廃止のメッセージを世界に発信したいという本田氏に対し、全国から戦争法廃止を求めて戦う学者、市民が続々と支持を表明した」「本田氏の姿勢は大変大きな共感を得られたのではないか」と強調したという。京都市長選挙で、全国の学者や市民が支持を表明しても、何の意味もないだろう。現に何の意味もなかった。
この山下氏のコメントに、共産党惨敗の理由が見事に語られている。要するに京都市政のことはどうでもよかったということなのだ。共産党にとって、京都市長選挙は「戦争法(安保法制)」廃止の宣伝のために最大限に利用する場でしかなかったということだ。
だから小学校教諭で教組の役員経験はあるが、どう見ても憲法の詳しい人とは思えない本田候補のキャッチフレーズを「憲法市長」などとしたのだろう。これでは、地下鉄の赤字改善やバス路線の拡充を図るなど、観光都市京都の充実に実績をあげてきた現職候補に勝てるわけがない。まさに惨敗すべくして惨敗したのだ。
■SEALDsの運動は「市民革命」なのか?
志位和夫委員長は、2016年1月1日付の「しんぶん赤旗」で上智大学の中野晃一教授(立憲デモクラシーの会)との対談で、安保法制反対の戦いについてこう語っている。
「一言でいうと、日本国民の新たな歩みが始まった年となったのではないか。戦争法に反対するたたかいは、一人ひとりが主権者として、自分の頭で考え、自分の言葉で語り、自分の足で行動する、自由で自発的な行動がおこったという点で、戦後かつてない新しい国民運動といえると思います。もっと言えば、日本の歴史でも初めての市民革命的な動きが開始されたといっていい。そういう市民社会の動き、国民運動の動きを、いかに政治の変革につなげていくかが、今年の課題になってくると思っています」
「日本の歴史でも初めての市民革命」とは、よく言ったものである。90年余、革命政党として戦ってきたはずの共産党は何をしていたのか、と問いかけたくなる。
「しんぶん赤旗」の報道によれば、小池晃政策委員長が2015年10月18日の渋谷での街宣で、「SEALDs(シールズ)の皆さんが国会を取り巻いて『民主主義って何だ』『立憲主義って何だ』の声を上げた。この声に答えなければ政党なんて意味がないではありませんか。共産党も皆さんのおかげで脱皮したんです」と演説したという。
小池氏は、共産党がどう「脱皮」したというのだろうか。「国民連合政府」構想のことなのだろうか。そうだとすれば大間違いである。不破哲三氏が今回の提案はすでに17年前からあったと多くの媒体で語ってように、以前からあった構想である。小池氏が勉強不足で知らなかったのか、それともSEALDsに媚を売るためだったのか。
■「市民革命」はラップからという安易さ
志位氏と小池氏の2つの発言を見ると、これまたよく見えてくるものがある。つまり、安保法制反対の運動、SEALDsの運動を高く評価し過ぎているのである。だから「戦争法廃止」と言えば国民多数が支持すると錯覚してしまったのだ。だが、法案が成立してしまった今、どこに「市民革命」の運動があるのか。そんなものは幻想に過ぎない。
中野候補は、京都市長選の演説会の入場でラップ調の曲を使ったらしい。「SEALDs」「若者」といえばラップと思っているのだろう。
前出の志位氏と上智大・中野教授の対談の中で、中野氏は次のように語っている。
「新宿の歩行者天国での集会では、志位さんに対して『カズオ!』(笑い)というような、ロックスター並みの声援が飛びました(笑い)。非常にフラット(対等)な関係ができてきている。『私たちの声を届けたい』『そのために私たちの代表にがんばってもらいたい』という、素朴な意味での代表、私たちの代わりに表してくれるということが、国会議員に対する声援となっていったと思います。
また、繁華街で休日の昼間に多くの人が集まって、それも色とりどりのプラカードを掲げ、年齢や男女にしてみても多様です。市民革命との関連でいうと、主権者意識という非常に強いものがあります。『自分たちの政治だから自分たちで担う』『自分たちの代表だから自分たちで声を上げる、後押しをする』と」
この程度で「市民革命」とは、あまりにも評価が安直すぎるだろう。国会議員の応援ぐらいで革命ができるとでも思っているのだろうか。
主権者意識というのであれば、「日本の国をどう防衛するのか」について、どこまで深く考えているのだろうか。主権者というのは、誰かに守ってもらう立場ではない。自らが立ち上がってこの国を守る覚悟と責任が求められるのだ。だからこそ主権者なのである。ジャン・ジャック・ルソーが民主主義の基本は「徴兵制」だと語っている理由がそこにある。
若者が入党してこない共産党だから、SEALDsに媚を売る気持ちは分からないでもない。だがあまりに過大評価をするとそのツケは共産党に回ってくることだろう。
■「オール沖縄」が敗れた宜野湾市長選挙
宜野湾市長選挙では、「オール沖縄」が支持する志村理一郎候補が、自民、公明が推薦する現職の佐喜真淳候補に大差で敗北した。「オール」がオールではない方に負けてしまったわけで、まるでブラックジョークだ。共産党の山下書記局長は、「これは民意ではない」と語ったそうだ。何を言ってもいいが選挙結果を「民意ではない」と言ってしまうようでは、もはや終わりだろう。
名護市の市長選挙では、辺野古移転反対派が勝ったが、選挙結果は拮抗したものだった。「オール名護」など存在しないのである。
そもそも「オール沖縄」などという言葉を多用することの危険性について、分かっていないようだ。「オール沖縄」という言葉には、辺野古移転容認の人々を精神的に圧迫する作用がある。一種のファシズム的傾向すら持つということを自覚すべきである。
最近、9条をめぐっても、9条を守るための「総がかり行動」とか「オール○○」などという言葉が多用されている。私が住む埼玉県でも「オール埼玉総行動」という運動があるそうだ。私のまわりでこれに参加した人など1人もいないのだが。景気づけだか何だか知らないが、ごくごく一部の人間で「オール埼玉」などと自称するのは、詐欺のようなものだと言いたい。
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