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宮崎謙介・金子恵美夫妻
育休国会議員〈宮崎謙介・35〉の“ゲス不倫”撮った
http://9321.teacup.com/sinpo/bbs/2054
「週刊文春」2016年2月18日号 :東京新報
育休取得を宣言した宮崎議員。取りづらい世の雰囲気を打破し、子育て支援を打ち出したその姿勢は仕事との両立に苦労する女性たちの賛同を得た。だが、妻がついに出産するという時にしでかした事はまさに言語道断。イクメン政治家の本性を暴くゲス不倫スクープ!
〈お陰様で本日(朝方)3212gの元気な男の子を無事出産致しました。皆様から頂いたお励ましに心から感謝申し上げます。
子供を授かり、責任感と共に更に確固たる強い信念を持ち、皆様からの負託にお応えすべく強い女性として一日も早く復帰したいと思います〉
二月五日の朝方、自民党二階派の金子恵美衆院議員(37)が都内病院で無事男児を出産した。これは同日夕刻にフェイスブックに書き込まれた感激の第一声である。
同じく自民党二階派の夫・宮崎謙介衆院議員(35)も、前日から病院に駆け付け、出産に立ち会った。彼もブログにこう綴っている。
〈本日、2月5日午前8時19分、無事に男児が誕生しました。昨日の夕方から陣痛が始まりましたが、私は陣痛に苦しむ妻(この時は23時頃に出産予定と診断)を東京の病院に送り届けて京都市長選の応援にいきました。皆様のご配慮で演説の順番を繰り上げていただき、早い新幹線で病院に戻ることができました。
何とか23:30に到着しましたが、まだ先が長そうでした。立ち会いに間に合い安堵していたのですが、妻の戦いはそこから始まりました。定期的に陣痛の波がくるのですが、私はひたすら妻の腰をさすりました(今日は軽く筋肉痛)。その他にも勉強した陣痛を軽減させるテクニックを駆使してサポートをしたつもりですが、本当に辛そうでした。壮絶ですね、出産は。
壮大なドラマを経て、長男が出てきてくれました。これから2人で大切に育てていきたいと思います〉
そもそも金子氏の出産には注目が集まっていた。というのも、夫の宮崎氏が昨年十二月二十三日、自らの結婚式後の囲み取材で出産後約一カ月の「育児休暇取得宣言」をぶち上げたからだ。妊娠中の妻が切迫流産の危機で絶対安静状態となった事態に直面し、積極的な育児参加を決めたのだという。「一億総活躍のため国会議員の立場から男性の育児参加を推進する」と発言した。
これには国会内外で賛否両論の声が沸き上がった。
「国会を放り出して一カ月も休むとはけしからんといった批判が殺到し、野党はもちろん、党内からも反発の声が上がった。何の相談もなく、マスコミを通じて発表したことに党の幹部も激怒し、宮崎氏のお目付け役である二階派の伊藤忠彦国対副委員長などは彼を呼びつけ、『子供を使って売名行為をするのか』『面倒みきれない』と怒鳴りつけたそうです」(政治部記者)
もっとも安倍首相は宮崎氏を激励し、「それでこそ政治家だ」と讃えた。また、菅義偉官房長官は「育休の議員立法を超党派で作ったらいいのでは」と前向きに提案。塩崎恭久厚労相も「子育てを応援するのが安倍内閣。イクメンをやってもらわないと厚労相として困る」と後押しした。野田聖子前総務会長も「上の人たちがブツブツ言っているが、親の自覚を持って育休を男性自身が作ってもらいたい」とエールを贈った。
パフォーマンスだとの批判にも、当の宮崎氏はこう反論している。
■妻の妊娠にも「別れたくない」
「宣言してみると、想像以上の逆風だった。パフォーマンスだとの批判もあったが、それは否定しない。(中略)もともと育児に積極的な『イクメン』を意識していたわけではなかった。でもここまで批判があるなら、絶対に折れるわけにはいかない。女性だけに産め、働け、育てろなんて不可能だ。男性の育児参加がなければ、女性活躍と少子化対策の一方は諦めなくてはならなくなる。議員の育児参加が無理なら、政策決定の場に育児や両立の当事者がいなくなってしまう。男性国会議員が育休を取ることは、働き方の見直しや少子化対策にも密接に関係している」(毎日新聞二月二日付)
だが、この男にそのような高邁な理想を振りかざす資格などない。敢えて言おう。宮崎氏は国会議員である以前に、人としてあまりに“ゲス”であると――。
出産の六日前、宮崎氏は臨月の妻を放り出し、遠く離れた京都にいた。伏見城の大手門に連なる大手筋通り。京都三区に地盤を置く宮崎氏は、商店街の裏路地に佇む築三十年のマンションに部屋を借りている。彼は平日を東京・赤坂の議員宿舎で過ごし、週末はこの京都の自宅に戻ることが多い。だが、この部屋の存在は地元でもあまり知られていない。
一月三十日夕刻、京都市長選の応援演説を終えた宮崎氏は自宅で東京からの来訪者を待っていた。かねてから宮崎氏と密かに関係を続けている不倫相手、宮沢磨由(34)である。あまり知られていないが、芸能活動を続ける現役タレントで、身長百六十八センチ、バスト九十センチのプロポーションを売りに、グラビアや舞台などで活動している。
宮沢の知人が説明する。
「西川史子やフジテレビの斉藤舞子アナらを輩出した『ミス湘南』などで優勝した経歴を持つミスコンの常連です。仕事のメインは撮影会で、二十代の若いタレントに混じって、真冬でもボディラインを強調するような薄着で頑張っています。実家は代々の資産家。着物の着付けもプロ並みという、女子力の高い美女です」
宮崎氏との接点はナンパだったという。宮沢をよく知る芸能関係者が匿名を条件に告白する。
「昨年冬頃、ある会合で宮崎さんから声をかけられた宮沢は、ひと目で彼を気に入り意気投合。連絡を取りあうようになってすぐ、深い関係になったと聞いています。はじめは政治家の火遊びに過ぎなかったが、よほど相性がよかったのでしょう。議員宿舎からほど近い赤坂のホテルでたびたび密会するようになったそうです。当然、彼女は彼に奥さんがいることも、出産を控えていることも知っています。それでも『絶対に別れたくない』と言って、周囲を心配させているのです」
年明け一月四日には、宮崎氏の誘いで“国会見学”にも出掛けていったという。
「宮崎さんの手配したパスで議員会館の中に入り、食堂でランチを食べたそうです。料理の写真を嬉々としてブログにアップしていたのを見て、バレたら危険だと思いました」(同前)
この日は通常国会が召集され、各党が仕事始め式を行った。宮崎氏は、すっかりお腹の大きくなった金子氏と並んで、夫婦むつまじいツーショットをマスコミに披露していたが、その裏で別の女性も招きいれていたというのだ。
「宮沢は周囲に、近々京都まで宮崎さんに会いに行くことも嬉しそうに話していたそうです。赤坂のホテルでは時間差で部屋に入ったりと人目を忍ぶデートばかり。金子さんの目の届かないところで、少しでも羽を伸ばしたかったのかも知れません」(同前)
■距離を置き見詰め合う二人
三十日、東京・目黒区の自宅を出た宮沢は黒縁のメガネに黒いコートを着て品川駅へ向かった。品川から乗った新幹線が京都駅に着いたのは午後七時過ぎ。私鉄に乗り換えてたどりついたのは、ほかでもない宮崎氏の自宅だった。
マンションに入っていった宮沢が、再び外に出てきたのは約二時間後。その直後、わずか数秒差で出てきたのは、ダメージジーンズに黒いダウンを羽織った宮崎氏だった。
このとき宮崎氏は大きなマスクで顔を覆っていたが、トレードマークでもある百八十八センチの長身痩躯は際立っていた。
周囲を警戒するように、距離を置いて歩き出す二人。外で言葉を交わすことはなかったが、十字路で別れる刹那、互いに振り向き、じっと見詰め合う二人の表情は笑顔でほころんでいた。
だが、不倫デートがこれで終わったわけではない。宮崎氏が、地元の支援者らしき若者と食事をしている間に、宮沢はひとりで夕食を取り、一時間ほどでマンションに戻ってきた。オートロックを開け、勝手知ったる様子で中に入る。
宮崎氏は地元の焼肉店の個室で支援者と会合を楽しんでいた。会合は盛り上がり、「SMAPが〜」といったワイドショー談議が洩れ聞こえてくる。氏が店を後にしたのは深夜〇時過ぎ。酒も入ったのか、支援者に借りたキックボードを駆り、上機嫌で周囲をぐるぐる走り回っていた。タクシーで自宅に戻ったのは午前一時頃。宮沢は約三時間、部屋で彼の帰りを待ち続けていたのだ――。
宮崎氏は、幼少時代をフィリピンで過ごし、早大商学部を卒業後、IT関連会社などを経て人材紹介のベンチャーを起業。〇六年に加藤紘一元幹事長の三女・鮎子氏と結婚し、加藤姓を名乗っていたが、わずか三年で離婚。宮崎姓に戻している。
「鮎子氏との離婚も女性問題が原因のひとつ。義父の怒りを買って、追い出されるように逃げ出したと聞いている」(与党担当記者)
二〇一二年に京都三区から出馬し、初当選を果たしたのも、加藤氏の後押しではなく、「むしろ、彼は加藤氏の圧力に潰されることを恐れていた。選挙に出たのは、自民党職員に早大の後輩がいて、『どうやったら国会議員になれるの?』と聞いたことがきっかけ。公募のことを知り、京都三区をあてがわれただけのことなのです」(別の政治部記者)
親戚が選挙区内に住んでいるものの、地元には支援者の少ない落下傘候補だった。京都の女性有権者が語る。
「背の高いイケメンだから、若い女性には人気があるけど、実績は何もないし、地元での評判はイマイチ。自民党だから票を入れるという人が大半でしょう。大手筋をよくうろついていて、女性と写真を撮るときに必ず肩に手を回すのがクセ。口説き文句のように『僕はここにいますよ』と言うんです。好きでもないのに、耳元で言われるとゾッとしますよ」
お泊まりの翌朝九時、ニット帽を深くかぶった宮崎氏は近所のパン屋で菓子パンとペットボトルのお茶をふたつずつ購入。再び部屋に戻った。
宮沢がマンションを出たのはすでに日も高い昼の十二時過ぎ。その足で観光名所でもある伏見稲荷神社へ。熱心に祈りを捧げる彼女の後ろ姿には鬼気迫るものがあった。さらに電車を乗り継ぎ、訪れたのは、パワースポットとして知る人ぞ知る陰陽師ゆかりの鎌達(けんたつ)稲荷。すぐにツイッターにこう綴っている。
〈最後の神頼み、一発逆転をしたい方にオススメなんですって!!〉
道すがら宮崎氏の選挙ポスターを見つけると、健気にも彼女は必ずスマホで写真を撮っていた。
■名前すら「知らない」と宮崎氏
滞在計十六時間のお泊り不倫。小誌は宮崎氏の携帯に電話をかけて質(ただ)した。
「いやいやいや……もう勘弁してくださいよ。どういう時期か分かってるでしょ!」
深い溜め息をついたあげくまさかの逆ギレ。一方的に電話を切った。
宮崎氏は宮沢の名前すら知らないとトボケたが、電話の直後、宮沢のブログやツイッターから二人が会っていた一月三十日と三十一日の記述がなぜか削除された。事務所にも質問状を送り、対面取材を求めたが、回答はなかった。
一方の宮沢にも目黒の自宅付近で声を掛けたが、口を真一文字にして記者を睨みつけ、走り去った。
二月五日午後九時、金子氏の見舞いを終え、病院から離れた場所にいた宮崎氏を改めて直撃した。
――不倫を否定しないのか。
「……」
――相手女性は(京都旅行の)ブログを削除した。
「いや勘弁してください。よく分かんない話です」
――宮沢さんという女性のことは。
「知らないよ。知らない、知らない」
――土日に二人が泊まったのを見ている。
「へへへっ」
――育休を取ろうという議員が、なぜ奥さんを支えようとしないのか。
「……」
薄ら笑いを浮かべ、何を聞いても口ごもる宮崎氏。記者を振り払い、逃げるようにしてタクシーに乗り込んだ。もはやまともに問題と向き合う姿勢はない。
宮沢の母はこう答えた。
「娘から何となくは聞いています。でも、その議員さんは子供が産まれたばかり。結婚も二度目でしょう。娘は独身ですが、分別ある年齢です。まさかそこまで馬鹿じゃないと思う。私は娘を信じています」
現在、男性の育休取得率は民間でも二〜三%。「一億総活躍社会」を掲げ、女性の社会進出を推進する安倍政権は、これを二〇二〇年までに一三%に引き上げることを目標にしている。
宮崎氏の育休宣言について、毎日新聞が実施した世論調査では「賛成」が四五%と「反対」を上回った。特に女性からの支持が厚く、「子育ての在り方を考え直すよい機会になる」と期待の声も大きかった。
教育評論家の尾木直樹氏はブログで〈国会議員さんが率先してくだされば波及効果絶大です!! 尾木ママ大賛成!〉と発言。ジャーナリストの乙武洋匡氏は〈次世代のためにもこうした仕組みづくりを検討すべきだと思う〉、江川紹子氏も〈宮崎議員がんばれ!〉とツイートしていた。
妻だけでなく、男性の育休取得を応援するすべての人の期待を裏切り、改革の機運に自ら水を差した宮崎議員。彼は自らの犯した過ちの落とし前をどうつけるつもりなのか。
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