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「ポピュリズムにどう向き合う:民主主義の機能不全映す:「ポピュリズム勃興→民主政危機」ではなく「民主政危機→ポピュリズム勃」
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ポピュリズムにどう向き合う
(下)有権者の情報不足、解消を
「責任政党」の役割重要
加藤創太 国際大学教授
ポピュリズムの広がりが指摘されている。フランスでは極右政党の国民戦線(FN)が地方選挙で得票率トップを一時獲得し、他の欧州諸国でも排外的な極右・極左政党が議席を増やしている。米国では移民や宗教を巡り差別発言を繰り返すドナルド・トランプ氏が共和党の候補者指名争いで支持率トップに立つ。日本では低年金受給者への臨時給付金などが、参院選を意識したポピュリズム的なバラマキだと批判される。
ポピュリズムという語はもともと、数で勝る大衆を動員し政治エリート層に対抗させる思想や政治行動を指した。最近では大衆迎合主義の意味で使われ、広く流布している。大衆の判断が適切なら大衆への迎合は問題ではない。ポピュリズム論者は、大衆の政治嗜好、政治判断が国全体の将来にとって適切でない場合が多々あるとの前提に立つ。
実際、フランス革命後の惨劇や、第1次大戦後の独ワイマール共和国でのナチスの台頭など、多数派の判断が悲劇を呼んだ歴史的事例は少なくない。日本でも太平洋戦争に突き進んだ一因に世論の熱狂があったと指摘される。
他方で民主主義は多数決原理を一つの核としており、多数を占める大衆の意思への安易な懐疑は、民主主義制度自体の軽視や否定へとつながりかねない。もし多数者の政治嗜好が適切でないなら、いったい誰の政治嗜好が適切なのか、その適切性を判断するのは誰なのかという問題も生じる。昨今は保守・リベラル双方が高みから、お互い自分の気に入らない政策をポピュリズムと安直にレッテル付けし嘆いているようにもみえる。
しかし有権者の誤った政治判断に基づき政府が誤った政策を遂行すれば、その最大の被害者となるのは通常、有権者自身だ。戦争や財政破綻がその極端な例だ。ではなぜ、どういう時に、有権者は自らが被害者となる判断さえしてしまうのか。緻密な分析が必要となる。
以下では2つのケースに分けて論じたい。1つ目は多数者が自らにとっても不利益な判断をしてしまうケースだ。2つ目は多数派が数の力に任せて自らの利益や欲求を押し通し少数派を抑圧する「多数者の専制」のケースだ。
歴史上、有権者は自らの利益にとっても一見「愚か」な政治選択を多くしてきた。平均的な有権者は「愚か」と切り捨てるのは簡単だ。しかし問題の根源は有権者の判断能力よりは情報の不足にある。これ以上バラマキを続ければ財政が破綻する、これ以上相手国を刺激すれば勝ち目のない戦争になる危険性が高い、という正確な情報を有するのに、その先に突っ走る有権者は多数を占めないだろう。
また賢明な有権者であればこそ、判断に必要な情報が不足し不確実性が高い状況では政府のバラマキ政策支持など短期利益の優先に走る、つまり近視眼的な行動をとる。
ポピュリズムといわれる問題の多くは、多数者が正確かつ十分な政治情報を有していれば回避できるのだ。しかし、各国の有権者が驚くほど乏しい政治知識しか有していないことは、政治学者の実証研究で明らかにされている。
有権者が適切な政治判断に必要な情報を得るために欠かせないのは、政府による徹底した情報の開示だ。しかし情報開示だけで、十分な政治情報を有権者間に流通させることは非常に難しい。有権者は多忙であり、自らの一票で国政の選挙結果を変えられない現況では、時間をかけて政党の公約を読み込んだり、経済財政データを取り寄せ分析したりするなどの政治情報収集コストを支払うインセンティブ(誘因)がないからだ。
よって政治情報の流通にとって重要なのは、いかに有権者の情報収集コストを下げるかだ。その意味でメディアやシンクタンクが政府・有権者間の情報の媒介者として互いに競い合いながら、政治経済の現況や、政府の活動とその評価をわかりやすい形で有権者に伝えるのは有益だ。また有権者は周囲から貴重な政治情報を得ているため、各種コミュニティーの維持・発展も有権者の情報収集コスト削減に資する。
政治プロセスに時間をかけることもそれ自体が意味を持つ。政治情報は流通に時間がかかるからだ。例えば米国の政治学者の多くは、トランプ氏がこのまま共和党の大統領選候補者となる可能性は高くないと考えている。情報が時間をかけて流通するとともに米国の有権者がより多くの情報を基に冷静な判断をするようになると考えるからだ。
多くの民主主義国家で、有権者の情報収集コスト削減に特に大きな役割を果たしているのが政党だ。有権者は自分の立場に近く信頼できる政党を見つけることができれば、時間をかけて多くの情報を集めなくても「この政党なら大丈夫」と投票行動を決定できる。消費者が複雑な機能を持つ製品を購入する際にブランドが果たす役割と似通う。ブランドを信じて購入することで、消費者は製品の性能の詳細を調べる時間を省ける。
しかし日本では、有権者の情報収集コストを大幅に削減できるような、一貫した政策スタンスを維持するいわゆる「責任政党」が少ない。他方で無党派層も拡大している。民主党解党の可能性が取り沙汰されるが、前の製品の出来が悪かったからと名前をすぐ変更するようなブランドでは、消費者の信頼が得られるはずがない。責任政党の確立こそが有権者の適切な判断にとって非常に重要となる。
2つ目は古典的な「多数者の専制」のケースだ。昨今の欧州の移民問題、アラブ諸国の宗派対立などでみられる現象である。その回避策として従来有効とされるのが多元主義の実現だ。互いに交錯する様々な政治的対立軸で多数派と少数派が自由に競い合えば、一つの対立軸の多数者が少数者を抑圧する可能性は低くなる。
このケースで最近目立つのは、ある民主主義制度の「内」にいる有権者が「外」にいる者を抑圧するという構図だ。欧州の難民問題に加え、日本では膨張する財政赤字問題を通じて、選挙権を有する現役世代が将来世代に借金をつけ回しているという指摘がなされている。前者はグローバル化の進展、後者は国家の借金能力の大幅な拡張と少子高齢化という、いずれも時代の流れに伴い生じた構図だ。
「多数者の専制」は、有権者の利益や欲求が直接的に出ることで生じる問題だ。よって有権者の情報不足などが大きな要因である第1のケースに比べて、より直接的で強力な制度的措置も考慮する必要がある。健全な多元主義の実現のために必須とされる分厚い中間層が世界的に先細り気味の現況ではなおさらだ。
例えばドイツなど欧州の一部の国ではいわゆる「戦う民主主義」が導入されており、多数者の賛同を得たとしても、民主主義の基本的な価値を侵すような立法などは禁止されている。日本でも、憲法の根本に関わる原則までは改憲できないという憲法改正限界論が、憲法学者の間では通説となっている。現役世代による将来世代の搾取の問題についても、選挙制度のあり方などを含めた抜本的な制度改正の検討が必要となろう。
安易な民主主義懐疑論ではなく、人間の本質に遡った緻密な分析とそれに基づく具体的な制度論争を、今後のポピュリズム論争には求めたい。
ポイント
○有権者の持つ政治知識は驚くほど乏しい
○責任政党は情報収集コストの削減に貢献
○多数者の専制回避には直接的な制度必要
かとう・そうた 東大法卒。ミシガン大博士。専門は比較政治経済。東京財団上席研究員
[日経新聞2月5日朝刊P.29]
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