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外務省と防衛省が首相をハメ、辺野古に戻させた
http://tanakaryusaku.jp/2016/02/00012907
2016年2月4日 23:48 田中龍作ジャーナル
極秘文書”をかざす鳩山元首相。右肩に『極秘』とあるが、公文書にあるべき「発出元の記載」と「通し番号」がない。メモ書きに過ぎないことが分かる。=4日、都内 撮影:筆者=
民主党政権時の2010年4月19日、防衛、外務の官僚たちが、官邸に鳩山首相を訪ねた。
前年夏の総選挙で鳩山が唱えていた「米軍基地の沖縄県外への移設」についてレクチャーするためだ。
官僚の一人は「アメリカ大使館と交渉した結果こうなった」と言って、3枚つづりの文書を鳩山に差し出した。
文書のタイトルは「普天間移設問題に関する米側からの説明」。右肩には『極秘』の判が麗々しく押されている。
“極秘文書”には米軍のマニュアルとして次のように書かれていた ―
「航空部隊と陸上部隊の訓練の一体性を考えると、移転先は普天間から65マイル(105km)以内に限る」。
沖縄全島は70マイル。沖縄以外はダメということだ。(移転先の候補にあがっていた)徳之島はあきらめろという内容である。
「アメリカがそういう条件であれば、沖縄以外に持って行くことは不可能」。鳩山は県外移設を断念した。
「最低でも県外」の選挙公約は果たせなくなったのである。沖縄県民の失望をマスコミが「怒り」へと煽り立てた。鳩山は退陣に追い込まれる。
“極秘文書”を手にした官僚たちが官邸を訪れてからわずか44日後(2010年6月2日)のことだった。
米軍キャンプシュワブ。この沖に辺野古基地が建設されようとしている=2015年11月、名護市 撮影:筆者=
鳩山は決定打となった米軍マニュアルについて琉球新報に調べてもらったが、そんなマニュアルはどこにもなかった。
極秘の指定期間は2015年4月18日。極秘が解除されたため、鳩山側近の川内博元衆院議員が外務省に問い合わせた。
文書を扱う大臣官房総務課は「公文書ではない。外務省が作成したものかどうか分からない」と回答した。“極秘文書”はガセだったのである。
「アメリカではなくて日本の役人の知恵でこういう物(“極秘文書”)が出てきた。信じた自分が悪かったが、相当に巧妙だった」。鳩山は悔しがる。
安倍政権になって、在日沖縄米軍ヘリコプター部隊の訓練基地を佐賀県へ移設することが提案された。沖縄と佐賀はゆうに200kmを超える。
「移設は65マイル(105キロ)以内」は真っ赤なウソだったのである。
田中は鳩山に聞いた。「辺野古に戻したのは外務省と防衛省ですね?」
「そういうことです」。鳩山は奥歯を噛みながら答えた。 (敬称略)
〜終わり〜
◇
本記事は4日、日本プレスセンターで行われた鳩山由紀夫元首相の講演会をもとに作成しました。文末の質問と回答はエレベーターホールでの ぶら下がり です。
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