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効率至上主義を根本から見直す必要があるー(植草一秀氏)
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21st Jan 2016 市村 悦延 · @hellotomhanks
バス事故の原因究明が進められている。
前途有望な若者が尊い命を失い、また、多くの若者が負傷を負った痛ましい事故である。
亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、負傷された方の一刻も早い回復を祈念する。
事故現場から250メートルほど手前を猛スピードで走行するバスの映像も公開された。
ブレーキランプが点灯したままであること、
ブレーキに異常が発見されていないこと
などが報じられている。
原因の究明は、今後の捜査を待つ必要があるが、
本ブログ、メルマガでは、規制緩和の行き過ぎ、
市場原理主義の行き過ぎが、労働条件の悪化をもたらし、
これが事故の遠因になったのではないかとの見解を示してきた。
夜間のバス運転は極めて過酷な労働である。
条件が一定であるなら、走行が容易な高速道路を走行せずに、一般道路を走行することは考えにくい。
とりわけ、事故発生地点は交通の難所のひとつとしてよく知られる碓氷峠を通過した直後の地点である。
平坦な道路状況の良い個所で高速道路ではない一般道路を通行することなら、
さほど不自然ではないが、一般道路と高速道路の走行状況に大きな隔たりがあるこの箇所で
一般道路を通行した理由は分かりにくい。
会社が高速道路料金を負担して、どちらを選択しても、運転手の賃金に差が生じないなら、
普通は高速道路通行を選択するだろう。
ところが、このバスの運転手は一般道路を選択した。
バス会社は、高速道路料金は会社が負担するので、
一般道を選択した特別の理由はないとの見解を示しているようだが、
実態をもう少しよく調べる必要があるだろう。
公開された映像では、猛スピードで走るバスが、ブレーキランプを点灯したままであったことを示している。
運転手がバスのクラッチを切って走行すると、車は傾斜地の場合、
重力によってエンジンブレーキがかからない状況で走行する。
エンジンブレーキがかからない状況であるから、当然のことながら加速し、猛スピードが出る。
スピードを抑制するにはブレーキを踏むしかない。
通常はエンジンブレーキを利かせて、できるだけブレーキを踏まずに走行することが安全運転の鉄則だ。
ブレーキを踏み続けると、ブレーキが利かなくなってしまう事態が発生しやすいからである。
仮に、クラッチを切った状況でバスを運転していたとするなら、その理由は何か。
考えられるのは、ガソリンの節約である。
下り坂でクラッチを切ると、重力でバスは速い速度で走行する。
しかし、下るエネルギーは重力であるから、ガソリンはほとんど消費しない。
アイドリングの状況と変わらぬ程度しかガソリンを消費しないのである。
これはあくまでも仮説であるが、運転手に対する支払いが、
高速道路代、ガソリン代込みで支払われていたとするとどうか。
運転手は高速道路代とガソリン代を節約すればするほど、自己の収入が増えることになる。
このようなシステムが採用されているなら、
走行が楽な高速道路を選択せずに、一般道路を選択すること
も
下り坂でクラッチを切って運転することも考えられることになる。
あくまでも仮説にすぎないが、このバス会社の運転手への支払い方式を
チェックしてみる必要はあると思われる。
過当競争で優良な人材を確保することが難しい。
そうしたなかで、このような「インセンティブ」を付与する方式が編み出されたとの推理を
一笑に付すことができないのではないか。
会社が一般道路の走行を規定することは恐らくできないだろうから、
高速道路代、ガソリン代込みの報酬体系にして、運転手の自主判断に委ねて、
実質的な運転手の手取り金額を増やす余地を作ったとの推理も、あるいは、考えられるような気がする
いずれにせよ、背景にあることは、
過当競争
と
そのなかでの
労働条件の悪化
があることは間違いな。
国民の生命を守るためには、命にかかわる業務について、必要十分な規制を設けることが必要不可欠だ。
真相究明がまずは求められるが、そのうえで、行政の責任が厳しく問われる必要がある。
適正なサービスには適正なコストがかかる。
適正なサービス、適正な商品を入手するには、相応の対価が必要である。
しかし、過当競争が行き過ぎると、このバランスが崩れてしまう。
適正な商品やサービスを適正な価格で提供することが難しくなってしまう。
法外に安い価格を提供するには、過大なコストをかけることは不可能である。
コストが過大になれば、事業は赤字化して、存立し得なくなってしまう。
消費者が受け入れる過当に低い価格が市場を支配すれば、適正なコストを投じる事業は成り立たなくなる。
必然的に、事業者のコスト構造は適正なサービス、商品を提供できるものではなくなってしまう。
その対象が、人の生命や健康に影響を与える場合、弊害は極めて深刻になる。
人体に有害な影響を与える商品が提供されてしまう。
今回のバス事故のように、人命を預かる旅客輸送事業の場合、
安全を確保するための各種の措置が欠落したのでは、人命が危険に晒されてしまう。
これは農業でも同じだ。
東京大学の鈴木宣弘教授は著書
『食の戦争 米国の罠に落ちる日本』(文春新書)
の冒頭で、
「今だけ、金だけ、自分だけ」
の言葉を紹介している。
鈴木氏は、この著書のなかで、消費者が食の本物の価値をしっかりと認識して、
それに正当な対価を支払うことが当然だという価値観を持ってもらうことが大事であることを強調する。
そのなかで、山間の傾斜地が多いスイスが、
食料の生産性でドイツ、フランスにとても及ばないながら、
小国ならではの高付加価値の新しい農業像を見せていることを紹介する。
農業には多面的な価値、機能がある。
ナチュラル、オーガニック、アニマル・ウェルフェア(動物愛護)、
バイオダイバーシティ(生物多様性)、美しい景観など、農業には多面的な価値、機能があり、
農業を単なる効率だけで対応することは誤りであると鈴木氏は指摘する。
鈴木氏がスイスを訪問した際、スイス国民経済省農業局は、
スイスの消費者が、「スイスの農産物は決して高いわけではない。
安心安全、環境に優しい農業は当たり前であって、我々は多少高いお金を払っても、
こういう農産物を支えるのだ」と説明したという。
このスイスでは、小学生くらいの女の子が1個80円もする国産の卵を買っていたので、
なぜ輸入品よりもはるかに高い卵を買うのかとの質問に対して、女の子が
「これを買うことで、農家の皆さんの生活が支えられる。
そのおかげで私たちの生活が成り立つのだから当たり前でしょ」
と答えたというエピソードも紹介している。
市場原理、効率至上主義、過当競争、資本の利益至上主義
には、大きな落とし穴があることを、私たちは知るべきである。
本当に良い仕事をする生産者を、消費者が支える必要がある
価格は多少高いけれども、その価格に見合う、
十分な価値を持つ商品やサービスを提供する生産者を大切にすることによって、
優良な生産者が支えられる。
そのことが、ひいては、消費者の利益につながるのである。
価格競争が激化するこの時代、
少しでも安い商品やサービスを求める消費者の行動を責めるわけにはいかない。
個人を取り巻く経済環境が著しく悪化し、ほとんどすべての国民が、
少しでも価格の低い商品やサービスを求めるのは当然のことだからだ。
しかし、そのことによって、消費者にとってもっとも大事なもの、
生命や健康が損なわれてしまうのでは、本末転倒である。
この問題を解決するには、どうしても政府の介入が必要になる。
消費者がさまざまな情報を正確に把握できる環境整備も重要である。
あるいは、消費者の生命や健康を確実に守るための各種規制、管理も必要である。
価格原理至上主義、効率至上主義、過当競争による歪みが広がっていることを、
私たちは知り、その是正を図らねばならない。
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