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ジョーのあした
これほど聡明で、
言葉のコンビネーションを自在に操るボクサーをおら知らない。
敢えて例外を言うなら輪島コウイチやな。
個人の日記に於いても如何なる文献を記す記述者に於いても、
日常のあたり前を語る事はあまりありません。
そらそうで、
豆を握る箸の握り方や、
エレベーターの中で圧をベントしながら音を殺し放屁する女性を、
現代では、当たり前すぎて語るにゃあ足らんのです。
当たり前とは、
眼(まなこ)の辺り(あたり)前でありまして、
すべからくその場と時と空に縛られることを特徴とします。
ですから、
遺った文献を時代が下った者がする解釈が往々にして誤謬を帯びるんのンは、
その場の当たり前から自由になれない学者様に因るところが大であります。
タイトルは亡念したものの、
キャストを違えることなく、同じ家族を題材に、
父と子の二十余年を綴ったドキュメンタリー調の映画からもいたく感動を頂いたものですが、
阪本が描こうとする辰吉の求道(ぐどう)の20年間にも、
物理的衝撃が、漸時、辰吉から言葉を奪って行くのが見てとれます。
言葉を失うとは、
辰吉に自立を促しそっと傷を癒した母なるものと決別であり、
そこに、
父に追いつけ、母よ見たレ、
は済んだモノと読み取れのであります。
どつきあいの天才という点では、先に渡辺二郎がおるのですが、
彼は一時手にした栄華を片手に人生のラインチェンジを図りました。
多少ペテンが利いておりますやろな、何の道も極めたら宜しおま。
ヨッ、コーエン!
ヨッ、ビートルズ!
(敏夫サン風)
道に迷ったところ、
数多の教義を渉猟したとて、
今の自分にドンピシャのセンセしか顕りゃしません。
精々、
禅師を名乗る香具師、ヨーギを騙る詐欺師でっせ。爆笑
求道とは実践の別名だがなもしW
Ed.ジョーのダイヤモンド
- 所謂これもまたエイコ朱里 陣中見舞い 2016/9/13 22:32:14
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