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ドナルド・トランプ次期大統領(ロイター/アフロ)
トランプ米大統領、米航空機爆破のカダフィ大佐と親密交際…自宅裏庭にテント設置
http://biz-journal.jp/2016/11/post_17192.html
2016.11.16 文=深笛義也/ライター Business Journal
次期アメリカ大統領に決まったドナルド・トランプ氏の大邸宅の裏庭に、巨大テントが建てられたことがある。ベドウィン(遊牧民)が砂漠で過ごす伝統的な住居。そこにはラクダもいた。
テントに泊まっていたのは、ジャスミン革命の勢いが及んで紛争になったリビアで、2011年10月20日に死亡した、リビア元最高指導者のムアンマル・カダフィ大佐。「砂漠の狂犬」と恐れられた独裁者だ。
テロ支援国家としてアメリカから敵対視されてきたリビアだが、2003年に大量破壊兵器を破棄し査察団を受け入れたことで、06年にはアメリカとの国交が正常化した。
09年9月にカダフィ大佐が訪米したのは、国連総会に出席するためである。カダフィ大佐がテント設営を希望したのはニューヨークのセントラルパークだったが、当局から却下された。テントが建てられたのは、ニューヨーク近郊のベッドフォード。トランプ氏所有の土地である。だが建築法に違反するとして、行政当局から撤去を求められる。そこでトランプは、自宅の裏庭にカダフィのテントを受け入れたのだ。
カダフィ大佐が外国を訪問する際、テントを持っていくのは常のことだった。ロシアを訪問した際にはクレムリン宮殿に、フランス訪問時には迎賓館にテントを建てた。
テントやラクダを空輸するのは、ホテルに泊まるより費用がかかる。ベドウィンの子として生まれた、という出自を強調するためのパフォーマンスであった。テントもベドウィンが使うようなものではなく、軍事用だという説もある。バーベキューグリルや大型のフラットスクリーンテレビも備わり、ベドウィンの生活とはかけ離れている。
09年、ベレー帽を被り国連総会の一般演説に立ったカダフィ大佐は、国連憲章の冊子を両手で広げて「すべての国が平等と記されている」と、その部分を示した。そして安全保障理事会で5カ国の常任理事国だけが拒否権を持っていることに対して、「憲章に反し受け入れられない」と断じ、安保理を「テロ理事会」と罵り、冊子を放り投げた。
■カダフィ大佐の功罪
トランプ氏は昨年、米CNNのインタビューに「サダム・フセインやムアンマル・カダフィが権力者でいたほうが世界にとっては良かった」と答えている。
1969年、当時の国王イドリース1世がトルコに病気療養に行っている間に、将校であった27歳のカダフィは軍事行動で政権を掌握、「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」を建国した。国家の最高指導者になった後も、「カダフィ大佐」との呼称を用いた理由は、建国の理念として「国家元首」の存在を否定しているから、「革命」の初心を忘れないため、など諸説がある。
リビアにはアフリカ最大の油田があり、天然ガスなどの資源も豊富だが、イドリース1世の時代には、アメリカやオランダの資本に握られていた。それらの資源をカダフィは自国の手に取り戻した。
資源から得られる莫大な富を元にして、食料、医療、教育、電気など基本的な国民生活は無償で提供されるようになった。卒業した学生が就職できない場合、就職が決まるまで生活費が支給された。
一方、カダフィが独裁者であったことも事実だ。他国を訪問する時はテントを建てるカダフィだが、首都トリポリでは、「バアブ・アル=アズィースィーヤ」と呼ばれる宮殿で暮らした。プールもあれば、対空機関砲や地下壕もあった。
カダフィの護衛をするのは、「アマゾネス・ガード」を呼ばれる30〜40人ほどの女性。全員処女であり、純潔の誓いを立てている。ムスリム文化の中で、西洋式の服装や化粧、髪型をし、ハイヒールなどを着用できるので、若い女性の憧れの的だった。
生活の保障はされている国民だが、言論の自由はない。反政府的な発言をすると、容赦なく投獄され、あるいは命を奪われる。
■テロ支援
リビアがかつてテロ支援国家であったことも事実だ。1985年12月27日、2つの空港でテロ事件が起きる。イタリアのローマ国際空港では、アメリカのトランス・ワールド航空とイスラエルのエル・アル航空のチケットカウンターで、4人の男たちがライフルを乱射、手榴弾を爆発させた。オーストリアのウィーン国際空港では、イスラエルのテルアビブ行き航空機のチェックインのための行列に3人の男が手榴弾を投げつけた。2つのテロで19人が死亡、140人が負傷した。パレスチナ人のアブ・ニダル率いるテロ組織が犯行を認め、リビアから武器が提供されたことを明らかにした。
当時のロナルド・レーガン米大統領は、カダフィを「狂犬」と呼び標的にした。86年4月15日、アメリカは、エルドラド・キャニオン作戦に踏み切った。地中海に展開する航空母艦から飛び立った戦闘機F−111が、カダフィの宮殿を爆撃。15人の民間人が死亡したとリビアは発表した。カダフィは宮殿におらず、かすり傷ひとつ負っていない。アメリカは空爆を行うまでに同盟諸国に根回しを行っていたが、イタリア政府とマルタ政府からカダフィに情報が伝わっていたのだ。
88年12月21日、ロンドンのヒースロー空港を飛び立った、パンアメリカン航空のボーイング747−100 で貨物コンテナが爆発した。空中分解した機体は、スコットランド地方のロッカビー村に落下して爆発。乗員乗客259人と村民11名が死亡する。旅客機の目的地はアメリカで、乗客のほとんどはアメリカ人だった。残骸から発見されたタイマーが、リビアで売られたものであることが判明。リビアの諜報員の犯行であることが突き止められる。アメリカの空爆への報復であった。
2003年にリビアは、パンアメリカン航空の爆破の責任を認め、賠償を行った。テロ支援国家であることをやめたという証を立てたのだ。
カダフィがいなくなった現在のリビアは、無政府状態に陥り国民への福祉はなくなった。そしてISの温床としてテロリストの養成所と化している。確かに比較としては、カダフィがいた頃のほうがよかったといえる。
豊かな資源を元に国民への福祉を実現していたカダフィには、経営的センスがあったとみていいだろう。女好き、過激な発言など、トランプとカダフィには共通点が多く、意気投合したであろうことは想像がつく。カダフィ大佐のテントをトランプが自邸裏庭に受け入れたのは、自然なことだったのだろう。
(文=深笛義也/ライター)
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