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中国人に間違えられた「アフリカの弱者」の私
旅の形、国の形(ザンビア)
2016.11.12(土) 原口 侑子
ザンビア・ルサカのバスターミナル(筆者撮影、以下同)
ザンビアのリビングストンを出る夜行バスの発車直前に、手品師のような男の両替詐欺に遭った。バスの発車後に気付いた私は運転手や乗客に助けを求めたが、誰一人として私に協力してくれなかった。バスは止まらず、私は怒りながら着席した。
アフリカの移動では私を助けてくれる人にしか出会わなかったので、両替詐欺に遭ったことよりも、誰も助けてくれなかったという事実の方が衝撃だった。エチオピア南部の片田舎で携帯をすられたときなどは、スリの男を追いかけてくれた地元の人たちのおかげで、携帯はものの3分で奪い返された。うち何人かはスリに殴りかかり、もういいよと私が言う羽目になったほどだった。
だから、バスに座りながら、私の中にある気持ちは怒りや憤りよりも、なぜだろうと思う不可解な気持ちの方が強かった。
「ザンビアでは最近、反中感情が強いんだ」
「きみ、災難だったね」と、隣のおじさんが話しかけてきた。とても背が高いおじさんだった。
「ええ」と私はまだ半分不機嫌な面持ちで答える。「誰も助けてくれませんでしたしね」
「ああいう輩は多いんだ。仕方ないよ」と彼は言う。
「仕方ないよで済んだら警察要らないでしょう」と私。
「まあまあ。国境でちゃんといいレートで替えられるように、俺が協力してあげるから」
「それはどうも」
「ところできみは、中国人? 何してるの? 観光?」
「いえ、日本人です。観光客ですが」とそこまで私が話した時に、のっぽのおじさんの顔が固まったのが分かった。「なにか?」
「いや」と彼は口ごもった。「てっきり中国人だと思っていたよ」
よくあることだった。中国のアフリカ進出は目覚ましく、私もアフリカ各地で中国人と呼ばれ続けた。そう言われることは嫌ではなかった。私は各地で中国人の友人の宴に呼ばれて世話になっていた。タンザニアでは駐在中国人と麻雀もした。数年で引き上げる日本の駐在員と違い、5年10年、生涯というスパンでアフリカに賭けている人にたくさん出会った。
「いいんですよ。いっぱいいますからね、中国人。私の友達も」と言いかけたところをおじさんが遮った。
「いや、そういうことじゃないんだ」
「?」
「ザンビアでは最近、反中感情が強いんだ」
「反中感情と」
「鉱山問題があった。数年前に、中国人経営の鉱山で事故があってザンビア人がけっこう死んでね。それがその中国人経営の会社の労働基準とか条件とかに問題があったって話で、それ以来、俺たちは中国人嫌いさ。ぽっと出のよそ者に、搾取されていると思っている」
「・・・ふむ」 私はあいまいに頷く。
「だから、さっきのも、みんな、きみのこと中国人だと思って、助けてくれなかったんじゃないか」 のっぽのおじさんは自分を弁明するように言った。私はカッとなった。
「え、じゃ、中国人だったら助けないわけ? それとこれとは違うんじゃないの?」
「違くないんだよ」彼は静かに言った。「彼らは、よそ者だ」
「正気なの?」と心配するおばさん
私は同じザンビアで乗った、また別のバスで出会ったおばさんのことを思い出していた。それは首都ルサカから観光地リビングストンへ向かう12時間のバスだった。彼女は私の席の後ろに座った、とても太ったおばさんだった。以下、ビッグ・ママと呼んでみる。
「ねえ、膝がつっかえるから、席倒すのやめてくれない?」 最初に話しかけてきたのはビッグ・ママで、それはクレームだった。
「え、でも私の前の席も倒れてるから、私がきついんですけど」
「それでも」
ビッグ・ママに寄り切られる形で私は席を倒すのをやめた。それから、何となく気まずいままに彼女と私は会話を交わすようになった。12時間走り続けるバスだ。休憩のお茶も、野外トイレも、全部一緒にする。
「あんたひとりなの?」とビッグ・ママはずけずけ聞いてくる。
「どう見てもそうでしょう」と私も答える。
「大丈夫なの?」と次に彼女の口から出た言葉が気遣わしげだったことに私は驚く。
「ええ、まあ」
「どこに泊まるの?」と彼女は重ねて聞く。「ホテルは取ってあんのよね?」
「いや」と私。「取ってません。安宿のあるエリアに行って、裏庭にテントが張れる宿を探すの」
「ええー!」と大げさな身振りで驚くビッグ・ママ。「正気なの? 危ないわよ。そりゃリビングストンは観光地だし治安もいいけど、でも着くのは夜じゃない」
「はい」
「どうやって行くの? 歩いていくのね、私がついていくわ。このあたりのことは分かってますからね」
「いや、・・・いいんですか?」
「いいんです、なに言ってんのよ、あんた女の子なんだから。テント持って旅行してるなんて! 正気なの?」
結局ビッグ・ママは、安宿街までついてきてくれた
「自分の属する場所」と「そうでない場所」
このザンビアのビッグ・ママが私に優しくしてくれたのはどうしてだろうと思っていた。
「女の子なんだから」という言葉を思い出し、ああそうかと気づく。彼女にとっては、私は女という「同類」であり、「大変よね」の対象であるのだ。「搾取している先進国の人間」とか「鉱山問題で嫌悪感のあるアジア人」とかいうよりも。彼女と私の関係は第一に、「この大陸における(一般的に抑圧された)弱者として、助け合わなければいけない、女と女の関係」なのだった。だから今回は、「女」という境界の内側にある場所が、「アフリカ人/アジア人」という境界の向こうにある場所に先んじた。
個体で移動しているときにはふわっとあいまいになっていることだが、どこかに定点を作ると世界はすぐに、「自分の属する場所」と「そうでない場所」に分かれるようになる。その場所も多層的ではあるが、根本的に人は帰属欲求を持っているから、帰属を自分の中で内在化し、場所に自分の存在を絡めて生きている。
基本的に人は、属する場所の内部にいる「同類」には優しい。だったら「同類」の範囲を膨らませれば世界は平和になるような気もするが(ビッグ・ママと私のように)、現実はそうもいかない。両替詐欺のバスで会ったザンビア人と仮想中国人の間には、しばらくはどうあっても「同類」とならない断絶があったし、だいたい同類の範囲を広げてもその中にまた別の境界を作ることは可能なのだ。
帰属というのはそもそも、外部を規定することで内部に場所を作るという行為でもある。そこには本質的な不寛容が含まれている(ことが多い)。不寛容に対して寛容を強要するのもまた、不寛容の一つのあらわれなのかもしれず、だとすると完全な寛容などないのかもしれない。
変化の大きな時代に、私たちは「帰属」とどう向き合えばいいのか。まだ私にはよく分からない。
ちなみに中国人嫌いののっぽのおじさんは、国境での両替に協力してくれた。おかげで私は詐欺被害額以上の損をしないで済んだ。私はありがとうと言い、おじさんはお安い御用と答えた。人に優しくするかどうかは、帰属の内外や寛容・不寛容の問題とは関係ないのかもしれない。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48366
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