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※日経新聞連載
[やさしい経済学]グローバリゼーションと反動
(1)金融危機後、保護主義の機運
京都大学准教授 柴山桂太
貿易や金融を通じて世界経済が統合に向かう現象をグローバリゼーションといいます。1980年代から各国経済は地球規模(グローバル)の結びつきを強めてきました。ところが世界金融危機を契機に、その潮流に変化が生じています。
85年から2007年までの間に世界貿易は世界経済の倍のぺースで増加しました。金融危機後はこの伸びが鈍化しています。世界貿易機関(WTO)の予測では今年の世界貿易の伸び率は1.7%と、世界経済の成長率を下回っています。
世界的な景気低迷が主な原因ですが、それだけではなく、各国で保護主義の機運も高まっています。通商政策監視機関グローバル・トレード・アラートによると、保護貿易措置の件数は昨年、過去最高でした。
今年6月、英国は国民投票で欧州連合(EU)からの離脱を決めました。米国では反移民と反自由貿易を掲げる共和党のトランプ候補が大統領選挙の台風の目になっています。英米は80年代のサッチャー・レーガン改革でいち早く自由化路線に舵(かじ)を切った国です。その両国で保護主義が支持を広げつつあるという事実が、歴史の潮流変化を雄弁に物語っています。
30年代の大恐慌期には各国が相次いで保護貿易やブロック経済に転換し、世界経済の秩序は大崩壊しました。同じことが繰り返されるのでしょうか。当時と違い、現在では自由貿易で不利益を被る層への補償が強化されています。国際機関の力も大きく、30年代のような崩壊がすぐに起こる可能性は低いと言えます。
しかし、世界を見渡す限り、反グローバリゼーションの波が収まる気配はありません。低成長や格差の拡大で、人々の不満は高まっています。テロへの懸念から、人の越境を厳しく制限すべきとの政治的主張も勢いを増してきました。
グローバリゼーションは新しい現象ではなく、過去にも何度か起こり、その都度、縮小や崩壊を余儀なくされてきました。それはなぜなのか。本連載では歴史と理論の両面からこの問題について考えていきます。
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しばやま・けいた 京大大学院博士課程単位取得退学。専門は経済思想史
[日経新聞10月26日朝刊P.26]
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(2) 保護主義台頭で崩壊の歴史
京都大学准教授 柴山桂太
グローバリゼーションという言葉が使われるようになったのは1990年代からです。しかし、モノ・カネ・ヒトが国境を越えて活発に移動する現象それ自体は、古くからあります。
グローバリゼーションの起源については諸説あります。経済史家のフリンと米パシフィック大のヒラルデス教授は、大航海時代に着目しています。スペインがマニラを建設し、大西洋から太平洋まで一つの交易ルートで結ばれた1571年がグローバリゼーションの開始年だという主張です。
しかし、当時は輸送手段が未発達で、交易対象も限られていました。生活必需品まで含めた大量貿易は、蒸気船や鉄道が登場する産業革命期に始まります。英オックスフォード大のオローク教授と米ハーバード大のウィリアムソン名誉教授は、鉄や小麦などの国際価格が均等化に向かう1820年代にグローバリゼーションの起点を見ています。
どちらの説を採るにせよグローバリゼーションには長い歴史があります。重要なのは、その歴史が紆余(うよ)曲折に満ちていることです。大航海時代に始まる近世グローバリゼーションは、新大陸諸国の相次ぐ独立と、ナポレオン戦争によって幕を下ろします。19世紀のグローバリゼーションは第1次大戦と大恐慌でとどめを刺されました。
なぜ19世紀のグローバリゼーションは崩壊したのでしょうか。カール・ポラニーは『大転換』の中で、その理由を「社会の自己防衛」に求めました。自由貿易、金本位制などによって生活の極端な変動にさらされた人々が社会の保護を求めて政治運動を展開。それが関税引き上げや管理通貨制の導入、労働者保護、移民制限となって、モノ・カネ・ヒトの国際的流れを干上がらせたという解釈です。
ポラニーはグローバリゼーションの崩壊は必然だったとみています。保護主義が台頭した背景には労働者の権利意識向上とナショナリズムという歴史の大きなうねりがありました。いつの時代にも反グローバリゼーションは左派、右派の双方から生まれてきます。この点、米大統領選の予備選でサンダース、トランプの両氏が人気を博したのは象徴的だと言えるでしょう。
[日経新聞10月27日朝刊P.33]
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(3)世界経済の統合、19世紀と類似
京都大学准教授 柴山桂太
グローバリゼーションは過去に何度も起きていますが、現代とよく比較されるのは19世紀のそれです。1820年代から1914年にかけて世界経済の統合はかつてない水準に達しました。歴史家はこの時代をグローバリゼーションの「第1期」と呼んでいます。
背景に蒸気船や鉄道、電信など輸送通信技術の革新があったのは確かですが、それだけではありません。
例えば通商条約です。19世紀半ばに自由貿易の旗振り役だった英国を中心に各国で2国間の通商条約が結ばれました。その複雑なネットワークの絡まり合いは昨今の自由貿易協定(FTA)で問題視される「スパゲティ・ボウル現象」のさきがけと言われます。ウィーン経済大のランプ教授は19世紀半ばの自由貿易の水準は関税貿易一般協定(GATT)の東京ラウンドに匹敵すると述べています。
グローバリゼーションを実現するには、貿易や資本移動にかかる費用の大幅な削減が必要です。輸送・通信技術の進歩のほか、通商条約による関税削減や金本位制の下での平価維持など政府の政策も取引費用の削減をもたらしました。
ただし、現代と比較すると、「第1期」の自由貿易は基礎が脆弱でした。19世紀後半にはドイツやフランスを中心に関税を引き上げる動きが強まります。金本位制は、固定レートと資本移動の自由を維持する代わりに自律的な金融政策を採れないという弱点を持っていたため、大恐慌期に完全に放棄されてしまいます。
20世紀末から始まったグローバリゼーションの「第2期」は、「第1期」よりも深い経済統合に向かっています。輸送・通信技術は飛躍的に進歩しました。世界の関税水準はWTO(世界貿易機関)体制下でかつてなく下がりました。その上、環太平洋経済連携協定(TPP)などでは、多分野の非関税障壁が削減の対象です。ユーロ圏のように通貨を統合して域内取引の為替リスクを完全に無くした地域もあります。
金融危機で世界経済は大打撃を受けましたが、自由貿易体制の崩壊には至っていません。では「第2期」のグローバリゼーションは今のまま順調に進んでいくのでしょうか。
[日経新聞10月28日朝刊P.29]
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(4)民主主義か国家主権が犠牲に
京都大学准教授 柴山桂太
グローバリゼーションを徹底するには、民主主義か国家主権のどちらかを犠牲にする必要がある。米ハーバード大のロドリック教授は著書『グローバリゼーション・パラドクス』で、そのように主張しています。
どういうことでしょうか。貿易や国際金融を活発にするには、国によるルールや規制の違いが障害となります。各国が行う産業政策も、外国企業の参入を妨害しかねません。
そのため、グローバリゼーションを推進するには、安全、環境、労働、投資、知的財産などに関わる基準を統一し、排他的な産業政策を制限する必要が出てきます。世界貿易機関(WTO)のルールや2国間・多国間の貿易協定は、そうした必要から生まれました。
しかし、ルールや規制は国の民主主義が生み出すものです。産業政策も新興国の発展に欠かせません。
各国が文化や発展段階の違いに応じて異なった社会目標を持っていますし、多くの国はその目標を民主的手続きによって決めています。関税でさえ、その国の議会政治が残存を強く要望しているものです。民主主義の現実には、グローバリゼーションの理想と相反する部分があるのです。
グローバリゼーションと民主主義を両立させる道もあります。国家統合を進めて超国家機関にルールや規制の決定権限を与える代わりに、その意思決定を民主的に行うという方法です。欧州連合(EU)が目指す理想はそのようなものでしょう。ただし、この場合、各国の国家主権は犠牲にされます。現にユーロ圏諸国では通貨を統合しているため、各国政府は自律的な金融政策を採れません。ユーロに参加していないEU加盟国も、その主権は共通政策に縛られています。
グローバリゼーション、民主主義、国家主権はそれぞれ、現代国家が追求すべき3つの理想ですが、現実にはこの3つを同時に達成することはできません。ロドリック教授はこれを「世界経済の政治的トリレンマ」と名付けました。民主主義の制約や国家主権の犠牲は必ず反発を招きます。近年、反グローバリゼーションが勢いを増している背景には、そうした事情があるといえるでしょう。
[日経新聞10月31日朝刊P.18]
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(5)民主主義の再生求める声拡大
京都大学准教授 柴山桂太
米大統領選挙で反自由貿易を掲げる共和党のトランプ候補が台風の目となっています。民主党のクリントン候補は、本音は反自由貿易ではないようですが、国内で高まる保護主義に配慮し、環太平洋経済連携協定(TPP)に反対の姿勢を打ち出しています。
日本でもTPPには農業団体を中心に根強い反発があります。グローバリゼーションをさらに推し進めるべきだと考える人々の目には、反対運動は長期的な国益を損なうものと映ることでしょう。しかし、民主主義の理念は、少数者の利害や意見を尊重することにあります。TPP反対が少数意見だとしても、民主主義国である以上、その意向を無視はできません。
米議会ではTPPに反対する議員が多数を占めています。誰が大統領になるとしても議会の意向を無視できず、米国のTPP批准は先延ばしになるどころか、合意自体がほごにされる可能性も出てきました。
欧州連合(EU)では、国家主権の回復を唱える政治勢力が支持を広げています。英国のEU離脱もそうした動きの一環です。経済統合だけでなく政治統合も進め、グローバリゼーションと欧州規模での民主主義を両立させようとするEUの理想は、各国で反EU派が台頭したことで大きな壁に突き当たっています。
ユーロ圏経済が抱える問題も深刻です。「第1期」グローバリゼーションの金本位制は各国の金融政策から自律性を奪ったため、1930年代の大恐慌で崩壊を余儀なくされました。ユーロは欧州中央銀行が発行量をコントロールできるという点で、金本位制よりも柔軟な運用が可能です。
それでも、経常収支の赤字国のみが不均衡是正の義務を負う非対称性は、金本位制とユーロ体制に共通の特徴といえます。米カリフォルニア大のアイケングリーン教授はユーロ体制の欠陥を、金本位制の「金の足かせ」の連想から「紙の足かせ」と呼んでいます。
グローバリゼーションの進行が、それに反対する動きを生み出すのは歴史の必然です。民主主義の再生や国家主権の復活を唱える声は、これから大きくなることはあっても、小さくなることはないでしょう。
[日経新聞11月1日朝刊P.28]
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(6)社会不安の防止、大きな政府に
京都大学准教授 柴山桂太
ブレグジット(英国のEU離脱)やトランプ人気は格差拡大が主な原因といわれます。グローバリゼーションの進展で仕事を失うか所得を減らした人々が、その怒りを既成の政治にぶつけているという見方です。
南カリフォルニア大のサエズ教授らが整備した世界トップ所得データベース(WTID)を見ると、英米では上位1%や10%の所得シェアが1980年代半ばから急増していることが分かります。反グローバリゼーション運動が盛り上がる背景に、所得や富の不平等拡大があるのは間違いありません。
貿易による所得再分配は以前から指摘されていました。自由貿易は競争力のある産業に従事する人々の利益を増やす半面、それ以外の人々に失業などの不利益をもたらします。長期的に見れば、自由貿易は国民全体の利益を増進するかもしれませんが、短期的には利益を受ける層と不利益を被る層の格差を広げてしまうおそれがあります。
格差拡大による社会の不安定化を防ぐには、所得移転や社会保険の拡充が欠かせません。つまりグローバリゼーションを持続させるには、「大きな政府」が必要ということです。
経済開放と政府規模の関係については様々な実証研究があります。社会保険制度が欧州で最初に導入された19世紀後半は、「第1期」グローバリゼーションの進行時期と重なります。第2次大戦後の欧州諸国では福祉国家の規模が急拡大しました。これは欧州経済共同体の下で各国の経済開放が進んだことと無関係ではありません。グローバリゼーションが進行すると、不平等の是正や社会保険動機に基づく福祉の充実を求める声も大きくなるのです。
経済開放には政府規模の拡大が必要ですが、政治が人々の要望に応えられなければ、政府への信頼は失われ、社会不安が高まるでしょう。特に問題が大きいのは新興国です。所得移転や社会保障の仕組みが未整備なため、経済開放によって政権転覆などの政治的リスクが大きくなるからです。
欧州と比べると低い日本の国民負担率ですが、グローバリゼーションの進展に伴い、引き上げざるを得なくなるでしょう。
[日経新聞11月1日P.28]
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(7)特権層への怒り、ポピュリズムに勢い
京都大学准教授 柴山桂太
反グローバリゼーションの運動は、第1期グローバリゼーションの時代には保護主義と呼ばれました。現在の第2期では、ポピュリズムがそれにあたるようです。ただし、保護主義とポピュリズムは、必ずしも重なり合いません。
保護主義はグローバリゼーションに対して「社会の保護」を求める運動です。その批判は不安定な市場経済の現実に向けられます。それに対してポピュリズムは、反対概念がエリーティズム(エリート主義)であることからも分かるようにエリートの独善や腐敗を批判の対象としています。
政治がワシントンやウォール街、あるいはEU官僚が集まるブリュッセルによって独善的に牛耳られていると感じる人々が、怒りや不満を政治にぶつけています。つまりポピュリズムは政治が特権層の意見や利害によって動かされている民主主義の現状に対抗しようとする運動なのです。
ポピュリストの主張が反グローバリゼーションに傾くのは、グローバリゼーションの推進が一部の特権層だけで決められ、その利益も独占しているとみるからです。本当は、グローバリゼーションの恩恵は安価な消費財を享受する中間層にも及んでいます。しかし、そうした主張を繰り返しても、上位1%層だけが所得や富を増やしている現実が目の前にある限り、ポピュリズムの台頭を抑えることはできないでしょう。
ブランコ・ミラノヴィッチによると、1988年から2008年までの間に所得を増やしたのは、グローバルな1%と新興国の中間層で、先進国の中下層の所得は増えていません。これは技術革新の影響もありますが、グローバリゼーションの影響を無視できません。新興国の労働者に仕事を奪われ、国内のトップ1%に意思決定を独占されていると感じる中下層の不満が、特に格差の大きい英米でポピュリズムに勢いを与えています。
ポピュリズムの潮流は英米を皮切りに他の先進国を飲み込んでいく可能性もあります。危険な政治的混乱を避けるには、国内の所得移転を進めるだけでなく、グローバリゼーションのあり方自体の見直しが必要になるかもしれません。
[日経新聞11月2日朝刊P.2]
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(8)経済発展と政治安定の両立を
京都大学准教授 柴山桂太
グローバリゼーションの歴史をたどると、拡大期が長く続いた後に反動が生じ、戦争などで暴力的に終わるというサイクルを繰り返していることが分かります。第1期グローバリゼーションは、第1次大戦と大恐慌で幕を下ろしました。
第2次大戦後は、戦前の反省から、金本位制は廃止され、資本移動についても各国の管理が強化されました。関税貿易一般協定(GATT)体制で工業製品の関税は段階的に下げられましたが、保護措置を講じる余地は残っていました。また、農業やサービスの分野は自由化の対象から外れていました。グローバリゼーションは今より低い水準に抑えられていたのです。
先に述べた「世界経済の政治的トリレンマ」は、グローバリゼーション、民主主義、国家主権の3つを同時に達成できないという説でした。この説に従えば、グローバリゼーションを先に進めるには、民主主義か国家主権のどちらかを犠牲にせざるを得ません。民主主義を制限すれば、政治がポピュリズムに飲み込まれる危険があります。国家主権を犠牲にすれば、ナショナリズムがいずれ爆発するでしょう。現在の第2期グローバリゼーションの先に待つのは、こうしたシナリオのようにも思えます。
残るのは、民主主義と国家主権を尊重し、グローバリゼーションを今よりも低い水準に抑えるという道です。ロドリック教授はそのモデルを戦後のブレトンウッズ体制に見ています。もちろん、現実には貿易摩擦が絶えないなど多くの問題を含んでいました。ただ、この時代の世界経済が資本主義の歴史でも特筆するほどの成長と平等、中間層の躍進と政治的安定を達成できたのは確かです。
グローバリゼーションを巡る議論は「開国か鎖国か」「推進か反対か」といった二分法に陥りがちです。しかし、真に探求すべきは、世界経済の発展を促しつつ各国政治の安定を実現する道です。グローバリゼーションが暴力的に途絶した過去の歴史を繰り返さないためにも、ブレトンウッズの理念から学ぶべきことは多いと言えます。
[日経新聞11月4日朝刊P.13]
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