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常軌を逸した米同盟国フィリピン ドゥテルテ大統領は南シナ海問題で中国に平身低頭 「米国と決別」の裏に憤りの半生
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投稿者 軽毛 日時 2016 年 10 月 24 日 14:39:32: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

【社説】常軌を逸した米同盟国フィリピン
ドゥテルテ大統領は南シナ海問題で中国に平身低頭
北京の人民大会堂で演説するフィリピンのドゥテルテ大統領 ENLARGE
北京の人民大会堂で演説するフィリピンのドゥテルテ大統領 PHOTO: ASSOCIATED PRESS
2016 年 10 月 24 日 12:38 JST

 ベネズエラのチャベス前大統領が死去し、アルゼンチンでキルチネル前大統領は表舞台を去った。北朝鮮を除けば現在、世界で最も常軌を逸した指導者として、フィリピンのドゥテルテ大統領が名乗りを挙げている。ドゥテルテ氏は先週に中国を訪問した際、自身の反米感情を顕示し、中国に対して平身低頭して見せた。

 同氏は18日、北京の人民大会堂で「私はこの場で米国と決別することを発表する」と宣言。「したがって、今後は常に皆さん(中国)が頼りだ」と語り、「米国は今や(フィリピンを)失ったのだ」と付け加えた。

 ドゥテルテ氏は反米的な発言を重ねた。いわく「米国の影響はもう要らない。米軍演習も要らない。友よさらば、と言う時だ」と。これとは対照的に「(中国は)東洋の特質を備えている。人々を侮辱して回るようなことはしないのだ」と述べた。これは、フィリピンでの超法規的殺害に対する米国の非難に言及したものだ。

 フィリピンに戻ったドゥテルテ氏は21日夜、発言の一部を撤回しようとし、米国からの決別発言は自らの外交政策にのみ当てはまると主張した。しかし、それは依然として、南シナ海におけるフィリピンの権利を中国が踏みにじることへの黙従を示唆しているように見える。それは例えば、フィリピンの漁民に対する嫌がらせ、石油探査船への妨害、そして、フィリピン沿岸から約200キロ沖合にあるスカボロー礁周辺の漁場の占拠だ。

 同氏の前任者であるアキノ前大統領は、中国を相手取ってハーグの仲裁裁判所に提訴したり、米国との関係を改善したりした。いまやドゥテルテ氏は、生命線でもある南シナ海の航路を中国の管理に委ねる可能性があると同時に、「弱い者いじめ」が効果的であることを中国に(そしてロシアとイランにも)知らせようとしている。

 ドゥテルテ氏のレトリックは、自身が進められる範囲を超えている可能性がある。フィリピンの人々は依然として抜きがたく親米的だ。例えば最近のソーシャル・ウェザー・ステーションズ(フィリピンの世論調査機関)の調査では、米国を「大いに信用している」と答えた人は76%に達し、中国を大いに信頼していると答えた22%を大幅に上回った。

 フィリピン国民は、中国の南シナ海での行為について知っている。また2013年に台風ヨランダに襲われた時、米国は空母を派遣して2000万ドルを援助したのに対し、中国からの支援は当初わずか10万ドルだったことも覚えている。

 北京で先週合意された二国間協定も、貿易、観光、投資に集中する控えめなものだ。中比双方は若干の沿岸警備での協力開始、そして南シナ海について協議するメカニズムの確立で合意した。しかし海洋資源あるいはスカボロー礁に関する発表は一切なかった。

 ドゥテルテ氏は、1951年の米比相互防衛条約を破棄するつもりはないと述べたし、2014年の協定(防衛協力強化協定)に反対する動きも見せていない。米軍部隊がフィリピンの基地を巡回するよう招へいした協定だ。同氏は米国との合同軍事演習を停止すると約束したが、それにさえ先週、疑問符が付いた。フィリピンのロレンザーナ国防相が、演習停止は閣議で一度も協議されなかったし、最終決定も下されていないと述べたのだ。同相は議会で、「それ(演習)は依然として継続している」と語った。

 それにしても、ドゥテルテ政権の米国離れは急激に過ぎる。それは、依然として尊敬を集めるラモス元大統領が今月、ドゥテルテ氏の言動に「大いに失望した」とたしなめたほどだ。ラモス氏はドゥテルテ氏に大統領選に出馬するよう促した後見人だ。またフィリピン最高裁のアントニオ・カルピオ判事は、スカボロー礁におけるフィリピンの主権を損なうような取り決めをドゥテルテ氏が最終的に結んだら、「弾劾に値する」と述べた。

 フィリピン国民と海外の友人たちは、事態の悪化に備えねばならない。米国は、できるだけ多くの生産的な関係をマニラと維持し、同盟関係を公式にも非公式にも推し進めなくてはならないだろう。

 ドゥテルテ氏は常軌を逸した人物なのかもしれないが、米国がルールに基づいたアジア秩序の根幹を悪化させるままに放置すれば、彼の行動はリスクとなる。環太平洋連携協定(TPP)は、オープンな市場と経済関係強化という米国のビジョンを代表しているが、米議会での批准支持は不透明だ。厳しい軍事予算、オバマ政権による世界からの撤退、そして共和党大統領候補ドナルド・トランプ氏のレトリックはいずれも、アジアへの米国のコミットメントをめぐる懸念を高める要因になった。このような懸念ないし疑問が、ポピュリスト(大衆迎合主義)的な政治家たちに大混乱を引き起こさせる隙を与えるのだ。

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フィリピン大統領、「米国と決別」の裏に憤りの半生(前編)
71歳のドゥテルテ大統領はどのような人生を歩んできたのか?
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米国と距離を置く姿勢を鮮明にするフィリピンのドゥテルテ大統領 PHOTO: PPD / REY BANIQUET /HANDOUT/EUROPEAN PRESSPHOTO AGENCY
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TREFOR MOSS
2016 年 10 月 24 日 08:33 JST
 同盟国である米国と距離を置く姿勢を鮮明にするフィリピンのドゥテルテ大統領。71歳の大統領がどのような人生を歩み、どのようにして今のような考え方を持つに至ったかを探れば、米国がなぜフィリピンとの関係を失う恐れがあるのかが見えてくる。
 9月にラオスで開催された東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議を機に行われる予定だったオバマ米大統領との会談は、ドゥテルテ氏が暴言を吐いたことでキャンセルとなった。その2日後、ドゥテルテ氏は米・ASEAN首脳会議も欠席した。フィリピンの当局者によると、ドゥテルテ氏はオバマ大統領が自分を対等に扱わなかったと感じたいう。
 友人や家族、同僚の話によると、ドゥテルテ氏は米国に憤りながら生きてきた。フィリピンに対する米国の態度に傲慢さを感じ取り、腹立たしく思っていた。米国にとってアジアの中でも極めて重要な関係を解消の危機に追いやったのはこうした不満感だった。
 そうしたドゥテルテ氏の心情は今月20日、明確になった。中国を公式訪問中のドゥテルテ氏は北京の人民大会堂で軍事的、経済的関係に関する演説を行い、「私はこの場で米国と決別することを発表する」と宣言したのだ。大統領は「米国人は騒々しく、乱暴なときもある」と述べると突然、礼儀に欠けるという米国人の話し方をまねし始めた。
 翌21日、ドゥテルテ氏は記者団に対し、「決別」とは同盟関係を断つことではなく、米国政府の方針とは必ずしも一致しない外交政策を行うことだと釈明した。
フィリピンとの関係が悪化すれば、米国にとって南シナ海で軍事プレゼンスを拡大するための選択肢が狭まる恐れがある(英語音声、英語字幕あり)Photo:Erik De Castro/REUTERS
「売られたけんかは買う」
 ドゥテルテ氏の反米感情は環境によって培われた。出身地のミンダナオ島では、住民は100年前に米国がフィリピンに武力を行使し、植民地化したことに今も苦々しい思いを抱えている。ドゥテルテ氏は、のちに起きたいくつかの出来事を米国帝国主義の象徴と受け止め、やりきれない思いはさらに募った。
 子どものころのドゥテルテ氏はけんかばかりしていた。刃物で刺されて帰宅したこともあった。その後、犯罪と戦う市長として政治の世界で名を上げた。ドゥテルテ氏が市長になってから数百人が自警団によって殺害された。
「(ドゥテルテ氏は)売られたけんかを放っておく人間ではない。売られたけんかは買う」。こう話すのは、ドゥテルテ氏の元同級生で政権の一員でもあるジーザス・ドゥレザ氏だ。こうした性質はドゥテルテ氏に深く染み付いていると言う。
 北京滞在中、ドゥテルテ大統領は習近平国家主席とビジネスに関する複数の協定に調印した。ドゥテルテ氏が2国間協議の再開に合意したことの見返りとして、習氏はフィリピンに90億ドル(約9300億円)を超える融資を約束した。
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中国の習近平国家主席(左)と並んで歩くドゥテルテ大統領 PHOTO: THOMAS PETER/AGENCE FRANCE-PRESSE/GETTY IMAGES
 ドゥテルテ氏は北京での演説で「私は(中国の)イデオロギーの流れに同調する」と発言。さらに「ロシアを訪問してプーチン大統領と会談し、中国、フィリピン、ロシアの3カ国は世界と対決していると伝えてもいい」と語った。
 ドゥテルテ大統領は、南シナ海での中国との領有権争いも棚上げした。中国は2012年以降、フィリピン北部ルソン島沖約200キロに位置するスカボロー礁を実効支配している。
 フィリピンとの関係が悪化すれば、米国にとって南シナ海で軍事プレゼンスを拡大するための選択肢が狭まる恐れがある。米国は第2次世界大戦以降、地域の安全保障の守護者を自認してきたが、今後はそれも難しくなるだろう。
フィリピン左派に共通する思い
 ドゥテルテ大統領が「決別」を宣言する前、米国の国防関係者はフィリピンとの関係は今後も機能すると話していた。しかし、決別宣言後には、国務省の報道官はドゥテルテ氏の発言が両国関係と「不可解なほど一致しない」と述べた。オバマ大統領をはじめ米政府関係者はこれまで、フィリピンとの関係を「鉄壁」と表現してきた。
 フィリピンの国防関係者は、ドゥテルテ氏の考えはよくわからないと発言しながらも、大統領が前任のベニグノ・アキノ3世と比べ、より独立した外交政策を構築する意向であることを明言している。
 ペルフェクト・ヤサイ外相は今月、ドゥテルテ大統領について、手足を縛るような米国への依存から「私たちを解放しようとしている」とフェイスブックに投稿した。フィリピン国民は米国の「褐色の肌をした小さな弟分」のような扱いを受けているとも書いた。ヤサイ氏に問い合わせをしたが、回答はなかった。
 ドゥテルテ氏の事務所にも本稿向けのコメントを要請したが、回答はなかった。公の場ではドゥテルテ氏は、中国による領土奪取を止められず、離島を含めたフィリピンの全領土を守ると明確に保証することを拒否したとして米国政府を非難している。
 米国は1898年のフィリピン侵攻と暴力による制圧を償っていない――。ドゥテルテ氏の愛国心は、フィリピンの左派寄りに共通するこうした思いを映し出している。フィリピンは1946年に独立を果たしたが、ドゥテルテ氏ら多くの左派寄りの政治家にしてみれば、米国政府が選んだマニラの腐ったエリートの手に渡ったにすぎなかった。
*この記事の後編はこちらをご覧ください(さらにドゥテルテ氏の生い立ちに迫ります 。


フィリピン大統領、「米国と決別」の裏に憤りの半生(後編)
71歳のドゥテルテ大統領はどのような人生を歩んできたのか?
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9月にラオスで開催されたASEAN首脳会議に出席するドゥテルテ大統領 PHOTO: JORGE SILVA/REUTERS
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TREFOR MOSS
2016 年 10 月 24 日 10:12 JST
 米国は1898年のフィリピン侵攻と暴力による制圧を償っていない――。米国と決別すると宣言したドゥテルテ大統領の愛国心は、フィリピンの左派寄り政治家に共通するこうした思いを映し出している。
• フィリピン大統領、「米国と決別」の裏に憤りの半生(前編)
植民地支配が残した傷跡
 ドゥテルテ氏はミンダナオ島の州知事一家に生まれた。生まれ育った地域には、フィリピン政府と米国政府の両方に憤るだけの理由があった。そこは、カトリック教徒が圧倒的に多いフィリピンにあってイスラム教徒が多数を占め、スペインにも全面征服されなかった地域だ。米国がフィリピンを支配すると、住民は激しく抵抗した。
 植民地支配に傷ついたミンダナオの住民は、抑圧されたり尊敬の念を欠いた扱いを受けたりすることに憎悪の念を抱くようになった。ドゥテルテ氏の妹で、ミンダナオ島最大の都市ダバオに暮らすジョセリン氏はそう話す。ジョセリン氏によると、植民地支配している間に起きた犯罪は米国の責任とドゥテルテ氏が考えるようになったのは、イスラム教徒だった祖母の影響だという。
 友人や家族の話によると、ドゥテルテ氏は幼いころから反抗心が強かった。同級生だったドゥレザ氏は、お堅いイエズス会系の学校に通っていたドゥテルテ氏が、神父に青いインクを浴びせて退学させられたことを覚えている。高校時代はけんかばかりしていた。子どもの頃からの友人で、現在は財務相を務めるカルロス・ドミンゲス3世はドゥテルテ氏について「そんなふうにいつもすぐにかっとなる性格だった」と話す。
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ドゥテルテ大統領 PHOTO: EUROPEAN PRESSPHOTO AGENCY
 妹のジョセリン氏によると、ある晩、ドゥテルテ氏はけんかで負った刺し傷を押さえながら倒れるようにして家に帰ってきたという。またドゥレザ氏の話では、大学時代には友人が襲われた仕返しに同級生の足を銃で撃ったこともあった。同級生は回復し、ドゥテルテ氏が訴えられることはなかったという。
フィリピン共産党創設者に師事
 ドゥテルテ氏はマニラの大学に入学、ホセ・マリア・シソン氏の下で政治を学んだ。シソン氏はのちにフィリピン共産党を創設し、1969年には武装闘争を開始した。現在、オランダに亡命中のシソン氏は、ドゥテルテ氏に対しては、米国帝国主義の弊害と、一般市民を犠牲にして国を支配する腐敗した実業家・政治家一族について教えたとしている。ドゥテルテ氏は、こうした支配システムを打倒すると約束している。
 フィリピン共産党は現在、米国務省によって外国テロ組織に指定されている。ドゥテルテ氏は同党に参加したことはないが、共感すると発言したことがある。
‘売られたけんかを放っておく人間ではない。売られたけんかは買う。’
—ドゥテルテ氏元同級生で政権の一員でもあるジーザス・ドゥレザ氏
 法と秩序についてドゥテルテ氏の考えが出来上がったのは、凶悪な犯罪組織がダバオ市を恐怖に陥れた1980年代だ。ダバオ市役所で一緒に仕事をしたというレオ・ビジャレアル氏によると、ドゥテルテ氏は銃を突きつけられて金品を奪われた経験から、犯罪組織の打倒を誓ったという。
 ドゥテルテ氏は1980年代半ばまで市の検察官として働いた。ジョセリン氏によると、ドゥテルテ氏が法科大学院を卒業したことに家族は驚いたそうだ。フィリピンは当時、米国の支持を受けた独裁者フェルディナンド・マルコス氏の下で混乱に陥りつつあった。
ダバオ市長時代にも米国への怒り
 1986年の「ピープル・カラー」革命でマルコス氏が失脚すると、フィリピンの刑事司法制度は崩壊した。富める市民が賄賂を使って起訴を免れる事態が頻発する一方で、裁判が何年もかかる事件もあった。ドゥレザ氏によると、ドゥテルテ氏はこうした司法プロセスを「遅れたり妨害されたりする可能性があるもの」と受け止め、直接的な行動こそが変化をもたらす唯一の方法と考えるようになったという。
 ドゥテルテ氏は1988年にダバオ市長に選出されると、夜間外出を禁止したり喫煙や飲酒を制限したりと厳しい政策を実施した。ジョスリン氏によると、シンガポールの厳格な指導者、故リー・クアン・ユー氏がモデルだったという。
• ドゥテルテ比大統領、市長時代に殺人命令か
 政策は人気を呼び、ドゥテルテ氏は住民からは「パニッシャー」(罰する人)と呼ばれた。任期を制限する規定から連続とはいうわけにはいかなかったが、ドゥテルテ氏は2016年まで合わせて7期にわたって市長を務めた。
 この間もドゥテルテ氏は米国の態度をフィリピン軽視と受け止め、怒りを感じていた。2002年には米国人が滞在していたダバオ市のホテルで爆弾が爆発、その後、この人物が不可解な状況下で国外に脱出するという事件があった。友人によると、ドゥテルテ氏は米中央情報局(CIA)による陰謀を疑い、何年もこの事件について考えていたという。
 在マニラ米国大使館は「米国市民に医療救助を支援する通常の領事業務を提供する以上の措置は一切行わなかった。業務執行時にはフィリピン当局と緊密な協議を行った」とコメントした。
 ある友人によると、この事件の直後、米国はドゥテルテ氏への査証(ビザ)の発給を拒否、看護婦であるパートナーの就労ビザも取り消された。その理由について、ダバオ市で司法手続きを経ずに処刑が行われていたことを米国が懸念していたためとこの友人は説明している。米国大使館はこの件についてコメントを差し控えた。
「私の市には米国兵士は要らない」
 2002年以降、米国はイスラム系分離主義者の制圧に手を貸してほしいというフィリピン政府からの要請に応じて、ミンダナオ島の各地で反テロ活動を支援した。2007年には、フィリピン政府が米国との年次合同軍事演習をダバオで行うことを示唆した。
 これに激怒したドゥテルテ氏はダバオ市議会を説得し、米軍が市内で演習を行うことを恒久的に阻止する決議を可決させた。地元メディアによると、ドゥテルテ氏は議会に対し、「米国の兵士は私の市には要らない」と伝えたという。「米国人は傲慢さと偉ぶった考え方ゆえに、サダム・フセインを殺害しようとイラクに侵攻したが、結局、イラクを破壊しただけだった。われわれにはそんなことは起きてほしくない」
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フィリピン大統領選でのドゥテルテ氏の支持者ら(5月) PHOTO: AFP/GETTY IMAGES
 フィリピン大統領選でドゥテルテ氏は当初、支持者からの出馬要請を断っていた。翻意したのは昨年11月で、本人の話では、2012年まで米国国籍を保有し、当時の世論調査でトップだったグレース・ポー氏が当選することに耐えられなかったからだという。
 選挙期間中はやんわりと米国を批判するだけだったが、大統領に就任し、外国からの批判にさらされると、対応に変化が生じた。
 ラオスの首脳会議の場にいた人物によると、ドゥテルテ氏は100年前に米国が犯したとされる戦争犯罪をめぐってオバマ大統領を激しく非難した。会議場でフィリピン人の遺体の写真を掲げ、自分の先祖だと説明したという。
 ドゥテルテ氏が用意された原稿から逸脱して感情を爆発させることについて、側近の一部からもとまどいの声は上がっている。
 ある広報担当官はこう話す。「私たちにできるのは演説原稿を書くことだけ。大統領に原稿を読ませることはできない」
*この記事の前編はこちらをご覧ください。
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