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Photo: Brendan Smialowski/AFP/Getty Images
米国の有力メディアとヒラリー・クリントンの親密な関係を再確認させる電子メールが公表された
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201610100000/
2016.10.11 15:48:19 櫻井ジャーナル
アメリカの大統領選挙で有力メディアはヒラリー・クリントンと友好的な関係にあり、彼女を支援している。その対立候補であるドナルド・トランプも決して誉められた人物ではないが、巨大金融資本や戦争ビジネスを後ろ盾にし、イスラエルと緊密な関係にあり、ロシアや中国との核戦争に向かって驀進中のクリントンよりはましだろう。そのクリントンと有力メディアの友好的な関係を再確認させる電子メールが公表されている。
勿論、驚くような話ではない。有力メディアが支配層のプロパガンダ機関にすぎないことは公然の秘密だと言っていいだろう。1932年の大統領選挙でニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが巨大金融資本の担いでいた現職のハーバート・フーバーを破って当選した後、ウォール街の大物たちはファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画した。この計画はアメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラーの議会証言で明らかにされているが、クーデターでは新聞を情報操作の道具として使うことになっていた。
第2次世界大戦後、アメリカではメディア支配をシステム化するため、支配層が「モッキンバード」と呼ばれるプロジェクトをスタートさせる。1948年のことだ。その中心にはアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、そしてフィリップ・グラハムがいた。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)
ダレスは大戦中からアメリカの破壊活動を指揮していた人物で、ウィズナーやヘルムズはその側近。グラハムはワシントン・ポスト紙の社主だった。ダレスとウィズナーはウォール街の弁護士でもあり、ヘルムズの祖父にあたるゲイツ・ホワイト・マクガラーは国際的な投資家で、アスター財団の理事。ニューズウィーク誌にも大きな影響力を持っていたという。グラハムの義理の父、ユージン・メイアーは金融界の大物で、世界銀行の初代総裁だ。つまり、このプロジェクトは金融資本と深い関係がある。
グラハムは1963年8月、ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される3カ月前に自殺、会社は妻のキャサリン・グラハムが引き継いだ。新社主にはポリーという友人がいたが、この女性はフランク・ウィズナーの妻である。
プロジェクトには有力メディアの幹部が協力している。例えば、CBSの社長だったウィリアム・ペイリー、TIMEやLIFEを発行していたヘンリー・ルース、ニューヨーク・タイムズ紙の発行人だったアーサー・シュルツバーガー、クリスチャン・サイエンス・モニターの編集者だったジョセフ・ハリソン、フォーチュンやLIFEの発行人になるC・D・ジャクソンなどだ。ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の瞬間を撮影した「ザプルーダー・フィルム」を隠すように命じたのは、このC・D・ジャクソンだ。
ウォーターゲート事件の影響なのか、日本ではキャサリン・グラハムを「言論の自由」の象徴だと思い込んでいる人がいるようだが、実体は違う。同紙はベトナム戦争に賛成するなど好戦的だ。21世紀に入り、その傾向は強まっている。そうした視点からデタント(緊張緩和)へ舵を切ったリチャード・ニクソン大統領を失脚させたウォーターゲート事件を見直すことも無意味ではないだろう。
このスキャンダルの調査で中心になったのは若手記者だったボブ・ウッドワードとカール・バーンスタイン。ウッドワードの情報源「ディープスロート」から得た情報を利用してバーンスタインが取材し、記事を書いていたようだ。
ウッドワードは海軍出身で、トーマス・モーラー海軍作戦部長(後に統合参謀本部議長)とアレキサンダー・ヘイグとの連絡係として1969年から70年までホワイトハウスに出入りしていた。当時、ヘイグはヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官の軍事顧問だ。
そしてウッドワードをメディアの世界へ導いたのはワシントン・ポスト紙のポール・イグナチウス社長。(Russ Baker, “Family of Secrets”, Bloomsbury, 2009)イグナチウスは1969年まで海軍長官を務めていた。
ウッドワードの上司になるベンジャミン・ブラドリーは大戦中、海軍情報部に所属していた人物。ブラドリーが再婚した相手、アントワネット・ピノチョトの姉、マリーが結婚した相手はCIAの幹部だったコード・メイヤー。パリのアメリカ大使館で働いていた際、ブラドリーはアレン・ダレスの側近で秘密工作に関わっていたジェームズ・アングルトンに協力している。アングルトンの部下で、平和運動を監視していたリチャード・オバーともブラドリーは親しかった。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)
一方、バーンスタインは1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、その直後に「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。それによると、400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)
また、最近では、フランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)の元編集者、ウド・ウルフコテもドイツを含む多くの国でジャーナリストがCIAに買収されていることを明らかにした。人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを、そうしたジャーナリストは展開しているのだという。
情報操作のシステムとしては、1980年代に作られたBAPを忘れてはならない。イスラエルのパレスチナにおける破壊と殺戮がエスカレートし、イギリスの労働党が親イスラエルから親パレスチナへ転換、ヨーロッパの内部でもイスラエル批判が高まった時代のことだ。
そうした状況を懸念したロナルド・レーガン米大統領は1983年にルパート・マードックとジェームズ・ゴールドスミスといった親イスラエル派で知られるメディア界の大物を呼び、軍事や治安問題で一緒に仕事のできる「後継世代」について語ったのが始まりだとされている。BAPメンバーには米英の有力メディアの幹部が参加、イギリスではイスラエル政府やネオコンの傀儡だったトニー・ブレア英首相を支えた。
そして、このメディア人脈は今、ヒラリー・クリントンを支援している。
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