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ドミノ倒しか 中南米の左派政権
編集委員 飯野克彦
2016/9/4 3:30
ブラジル上院は8月31日、5月から職務を停止されていたジルマ・ルセフ大統領の弾劾裁判で、正式に大統領を罷免しました。これを受け、リオデジャネイロ五輪の開幕式に「国家元首」として出席するなど大統領代行をつとめてきたミシェル・テメル副大統領が、晴れて大統領に昇格しました。ルセフ氏の与党である左派の労働党は、13年ぶりに政権の座から転落したのです。
隣のアルゼンチンでは昨年12月に、中道左派から中道右派への政権交代がありました。ベネズエラやボリビアでは左派の政権が追い詰められ、あるいは失速しています。あたかもドミノが倒れるように、中南米の左派政権は次々と苦境に陥っているわけです。いったい何が起きているのでしょう?
■99年から06年にかけて誕生、「反米大陸」に
実は中南米では、前世紀の末から今世紀の初めにかけて左派の政権が相次いで誕生しました。皮切りは1999年、ベネズエラの大統領選でウーゴ・チャベス氏が当選したことです。次いで2002年のブラジル大統領選挙でイグナシオ・ルラ氏、03年のアルゼンチンの大統領選でネストル・キルチネル氏、05年のボリビア大統領選でエボ・モラレス氏、06年のニカラグア大統領選とエクアドル大統領選でダニエル・オルテガ氏とラファエル・コレア氏が、それぞれ勝利しました。いま起きつつあるように見えるドミノ倒しは、99年から06年にかけての流れが逆回転し始めた印象です。
それぞれの政権交代にはそれぞれに事情があるのはいうまでもありませんが、上に紹介した6つの左派政権の誕生がいずれも選挙によって実現したことには、注目に値します。各国の国民の選択だったのです。そこには共通する背景があったことも指摘できるでしょう。一つは米国を警戒する姿勢です。この点で有名なのはなんといってもベネズエラのチャベス氏で、06年の国連総会で当時のジョージ・ブッシュ米大統領を「悪魔」と呼ぶなど、挑発的な反米姿勢で世界に話題を提供しました。他の指導者たちも濃淡はありましたが、米国と距離を置く姿勢は共有していました。
「米国の裏庭」。こう呼ばれるほど、中南米は伝統的に米国の影響力が強い地域です。とりわけ冷戦の時代、米国は露骨なまでの干渉と介入をくり返し、結果として米国に反発する気分を中南米に広げました。さすがに米国内でも批判の声が高まり、冷戦が終わった90年代から露骨な干渉は控えるようになったのですが、中南米ではその後も反米的な気分が漂い続けました。99年から06年ごろまでの左派の台頭を踏まえ中南米を「反米大陸」と呼んだ人もいましたが、それは米国が冷戦のころのような干渉をやめる一方で気分としての反米が残っていたから、という面があります。
もう一つ、反米の気分と共鳴し合いながら左派を後押ししたのが、「新自由主義」と呼ばれる経済思想への反発でした。周知の通り新自由主義は、市場の役割を最大限に生かすため経済に対する公的な介入をできる限り控えるべきだ、といった考え方です。米国は新自由主義を押しつけようとしている――。そんな受け止め方が中南米で広がったのです。
背景にあったのは、中南米などの途上国が債務危機に陥った際に救済の役割を担った国際通貨基金(IMF)が、緊縮財政や金融の自由化、国有企業の民営化といった厳しい条件を課したことです。97年からのアジア通貨危機に際してIMFがタイやインドネシアに過酷な条件を押しつけて事態を悪化させ、後に自己批判を余儀なくされたことがありますが、実は同じような「被害」を受けた国は中南米でも少なくなかったのです。そしてIMFは米政府の代理にすぎない、との見方は広く浸透していました。
上記の6カ国ではその後、昨年のアルゼンチン大統領選まで政権交代がありませんでした。アルゼンチンでキルチネル大統領が07年に亡くなると、妻のクリスティーナ・フェルナンデス氏が後を継ぎました。ブラジルではルラ大統領が退任すると、同じ労働党のルセフ大統領が11年に就任しました。ベネズエラでチャベス大統領が13年に死去した後の大統領選では、チャベス政権のナンバー2だったニコラス・マドゥロ氏が当選したのです。トップの顔こそ変わりましたが、基本的に政権は継続したといえます。
中南米の左派政権がそろって長期政権となった最大の要因は、経済の好調だったといっていいでしょう。高成長を続けていた中国が「爆食」とも呼ばれる勢いで原油などの資源や大豆などの農産物などの輸入を急拡大しました。国際相場は高騰し、資源の開発や農地の開拓のための投資も膨らんだのです。資源や農産物の生産・輸出余力に恵まれた中南米の国々が、空前といえるほどの好景気に沸いたのは、当然です。
■1次産品価格が低迷、行き詰まる経済政策
逆に、足元で進行しつつあるドミノ倒しの最大の原動力は、経済情勢の暗転です。より具体的には、14年後半からの原油安など1次産品価格の下落です。実のところ中南米の多くの国が1次産品価格の低迷に苦しんでいるのですが、なかでも深刻な打撃を受けているのが左派政権なのです。原因は左派政権に共通する経済政策にあります。
左派は労働者や社会的な弱者への配慮を重視します。貧富の格差の激しい中南米ではとりわけ重要な姿勢だといえるでしょう。問題は、弱者重視が規律を欠いたばらまき政策に流れてしまいがちなことです。市場の役割を無視した政策によって国民経済全体の健全性を損ないがちなことも、大きな問題です。わかりやすい例は、「世界最大の原油埋蔵量」を持つベネズエラでしょう。
チャベス政権と、その後を継いだマドゥロ政権は国営石油会社(PDVSA)を打ち出の小づちのように使ってきました。たとえば、同社の収益をもとに食料品や日用品を安価に提供する仕組みを立ち上げ、幅広い支持を集めてきたのです。けれど、一時は1バレル100ドルを超えていた原油の国際相場が50ドルを割り込むほどに下がると、PDVSAに資金的な余裕がなくなり、生活必需品を十分に提供できなくなりました。当たり前といえば当たり前です。
結果として、ベネズエラは今、とても深刻な物不足にあえいでいます。消費者物価の上昇率は年率700%を超え、長い列に並んでも必需品を手に入れられない人たちの一部は隣国のコロンビアへと買い出しに押し寄せています。略奪の頻発など治安の悪化も伝えられています。国連の潘基文事務総長が「人道的な危機が起きている」と語ったほどです。
物不足の最大の原因は、PDVSAが原油の輸出で得た外貨で日用品や食料品を輸入し、割安な値段で国内に供給する仕組みを整えたことです。生産コストをも下回る代金で手に入れられる消費者は大喜びだったかもしれませんが、生産者はたまったものではありません。国内の製造業が衰退したのは理の当然でしょう。輸入に必要な外貨が原油安によって少なくなれば、物不足は起きるべくして起きたといえます。
経済学の教えるところでは、資源に恵まれた国はただでさえ製造業の発展が損なわれる「資源の呪い」に直面します。「21世紀の社会主義」を掲げたベネズエラの左派政権は、この「呪い」をむしろ強めるような政策をとってきたわけです。チャベス政権とマドゥロ政権の経済政策は、ほかにも問題がたくさんあります。積年の経済失政のつけが原油安によって「人道的な危機」として表面化している、といっていいでしょう。
他の国々はベネズエラほど悲惨な状況ではありませんが、左派政権の経済運営が行き詰まりつつあるのは同じです。アルゼンチンでは大統領選で、ブラジルでは大統領の弾劾裁判という異例の手続きでそれぞれ政権交代が実現した結果、経済政策の軌道修正が始まりました。ベネズエラでもマドゥロ大統領の解任に必要な国民投票の実施を目指す動きが浮上しているのですが、マドゥロ政権は批判に耳を傾けるどころか反政府勢力の押さえ込みに躍起になっていて、先行きは不透明としかいいようがありません。
ボリビアではモラレス大統領が事実上の4選を可能にするための憲法改正を目指しましたが、今年2月の国民投票で否決され、任期切れとなる20年の退任が半ば固まりました。実はモラレス政権はすでに一度、大統領の任期を延長することに成功しています。ベネズエラでもチャベス前大統領が、ニカラグアではコレア大統領が、いずれも大統領の任期を伸ばす憲法改正を実現していて、長期政権化をもたらしたのです。こうした権力への執着も、左派の指導者たちに共通する特徴といえそうです。それだけに、左派政権のドミノ倒しがどこまで広がるのか、先は見通せません。
■左派の退潮、強い自由経済めざす転機
とはいえ、左派の退潮がすでにさまざまな波紋を広げていることは指摘できます。たとえば米国とキューバは昨年、54年ぶりに国交を正常化しました。その背景としては、バラク・オバマ米大統領が歴史に名を残そうとした野心とともに、ベネズエラからの援助に期待できなくなったキューバのカストロ政権の事情があります。
ベネズエラに隣接するコロンビアでは、親米のフアン・マヌエル・サントス政権が先月24日、左翼ゲリラのコロンビア革命軍(FARC)との半世紀に及ぶ内戦に終止符を打ちました。FARCはベネズエラやエクアドルの支援を受けているとの噂があり、アルバロ・ウリベ前大統領の時代には両国との外交関係が途絶える危機が起きたこともありました。FARCが政府との和平に踏み切った原因として、ウリベ前政権からの治安対策の効果と同時に、ベネズエラなどからの支援の衰えを読み取ることもできるでしょう。
今後の中南米にとって大切なのは、資源など1次産品の相場変動に過度に左右されない強い経済を築くことでしょう。市場原理をないがしろにした政策が論外なのはもちろんですが、かつてアルゼンチンなどで破綻した新自由主義に戻ればいいというものでもありません。むしろ、政権交代が起きても経済運営の基本は大きく変わらないような、幅広い支持を得られる経済政策を確立することが求められています。中南米の政治風土を考えると難しい課題にもみえますが、実際に参考になる例がないわけではありません。
たとえば、かつて新自由主義の成功例とされてきたチリでは貧富の格差が広がったため、80年代の半ばから貧困層に配慮した政策が進められました。その一方で、自由な経済活動を重視する基本的な方針は、政権交代が起きても揺らいでいません。コロンビアではほぼ一貫して親米右派の政権が自由主義的な経済政策を続けていますが、10年に発足したサントス政権は累進課税制度の導入など富裕層への課税強化と貧富の格差縮小に力を入れています。
不毛な路線対立や感情的な反米論を克服し、地に足の着いた経済政策を着実に実行していけるかどうか――。これからの中南米で注目したい点です。
飯野克彦(めしの・かつひこ)
1983年日本経済新聞社入社。北京支局、バンコク支局長、中国総局長、ベンチャー市場部長などを経て論説委員兼編集委員。専門は中国、東南アジアを中心としたアジア情勢。
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO06793310S6A900C1000000/?n_cid=DSTPCS001
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