http://www.asyura2.com/16/kokusai15/msg/121.html
Tweet |
[風見鶏]オバマ氏の中国観の原点
観光客でにぎわうハワイのワイキキビーチから少し内陸に入った静かな住宅地にその学校はある。同州で最も優秀な生徒が通う幼小中高一貫の名門プナホウ校は今年、創立175年を迎えた。校門に記念の飾り付けがなされていた。
キャンパスの真ん中に建つのが、1852年から使われているオールド・スクール・ホールだ。小5で編入学したバラク・オバマ少年はこの部屋でENGLISH、つまり国語の授業を毎日受けていたそうだ。
自分のほかに黒人の生徒がひとりしかいなかった学校に「なじめないという感覚がどんどん膨らんだ」とオバマ氏は自伝『マイ・ドリーム』に書いている。心の救いを求め、白人支配に立ち向かったアジアの指導者たちに傾倒した。
「チェンジ」。8年前の米大統領選で掲げたこのスローガンは、インドのガンジーの「世界に変化をもたらしたければ、自らがその変化になれ」との呼びかけからの引用だ。なぜアジアなのか。幼いころインドネシアで育ったからか。ヒントになる碑をホールの入り口で見つけた。
「西洋に学び、永遠の真理を追い求めたい」
刻まれていたのは、この学校で学んだもうひとりの著名人、孫文の言葉だ。碑はオバマ氏の在学中すでにあり、革命の父としての偉業は生徒たちに代々、語り継がれてきた。
日本で亡命生活を送ったこともある孫文だが、それは後半生の話。広東省の農村で育った孫文が“文明”に初めて出会ったのは13歳から17歳までをすごしたハワイにおいてだ。オバマ氏と似ていなくもない。
今年は孫文の生誕150年にあたる。間もなく訪中をするオバマ氏が滞在中に何らかの形で先輩に言及すれば、学校にとってこのうえない名誉になる。OB会は期待しているそうだ。
『マイ・ドリーム』に孫文は登場しないが、オバマ氏が親近感を抱いている証拠ならばある。孫文の最初の妻である盧慕貞の孫モナ・リーさんの夫を政権で2人目の中国大使に任命したのだ(孫文とリーさんに血のつながりはない)。
オバマ氏は習近平国家主席の強硬姿勢に手を焼きつつ、大筋では米中が足並みをそろえる協調路線を採ってきた。次女には小学校から中国語を習わせた。プナホウ校での日々がこうした中国観を育んだのだろう。
そのせいか、嫌中派が多い安倍政権はオバマ氏と馬が合わない。
「出ばなでガツンとやっておかなかったから、なめられた」「ツー・リトル、ツー・レイト」。こんな悪口をよく聞く。中国が南シナ海に軍事拠点を構築中という報告を受けながら、なかなか軍艦を派遣しなかった。先手必勝のパワーポリティクスがわからない外交下手ということらしい。
何となくもっともらしいが、早い段階で米軍が出張っていれば中国はあきらめておとなしくしたのか。2001年には中国の戦闘機が米偵察機と空中衝突する海南島事件があった。この手の小競り合いが起きていたに違いない。
そんな危うい選択肢をオバマ氏が選ぶわけがない。自著『合衆国再生』で外交政策について「孤立主義に回帰する」と書き、就任後は「米国は世界の警察ではない」と断言したのだ。
「オバマ氏が臆病で優柔不断だから」。日米のずれを人柄のせいにできる間はまだましである。「米国は日本の島の面倒まで見切れない」。軍略家エドワード・ルトワック氏はこう予言する。次の大統領もオバマ路線だったとき、日米同盟の動揺は避けがたい。安倍政権はどう対応するだろうか。(編集委員 大石格)
[日経新聞8月21日朝刊P.2]
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。