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ステパン・バンデラ氏の銅像
反ロシアへ歴史の書き換えが急速に進むウクライナ 撤去されるスターリン、レーニン像、赤色も徹底して忌避
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47668
2016.8.23 藤森 信吉 JBpress
2016年8月、ウクライナの首都キエフに、OUN-UPA(ウクライナ民族主義者組織-ウクライナ蜂起軍)の指導者の名を冠したステパン・バンデラ通りが誕生した。
「ユーロ・マイダン革命」後、ウクライナでは非ロシアの一環として歴史の書き直しが進んでいる。
しかしながら過度のウクライナ民族主義の強調は、国内分裂の火種となるばかりでなく、隣国との係争問題に発展しかねない。ポーランドは、大戦期におけるバンデラの組織の行為を「ポーランド人に対する虐殺」認定し、不快感を露わにしている。
■脱ロシア化に振れるウクライナ
周知のように、ウクライナは複雑な領土編成の歴史を持っており、それぞれの地域が独自の歴史的経験に基づくウクライナ民族観を維持してきた。
そのため、歴代ウクライナ政権は、国内分裂を招きかねない分野、例えば言語や宗教、そして歴史については国家による介入を避け曖昧な状態にしてきた。
独立直後こそウクライナ民族主義(本稿では便宜上、ガリツィア地方のウクライナ観に基づくものを指す)に振れたが、第2代ウクライナ大統領クチマ(1994-2004)の時代になると、バランスが図られていく。
彼の選挙公約「ロシア語の第2国家語化」はあっさり反故にされ、独立後に分派したウクライナ正教キエフ主教座からの国教化要求も無視されてきた。歴史問題についてもソ連時代の歴史解釈がほぼ踏襲されてきた。
こうした状況は、ユーシチェンコが2005年に大統領に就任すると変化し始める。その一例として、ソ連時代の農業集団化に伴う大飢饉を「ウクライナ民族に対する虐殺」と認定した議会決議を挙げることができる。
また、それまでウクライナ西部でのみ支持されてきたOUN-UPAsの復権も進められた。OUN-UPAは、今日のウクライナ西部において、ナチス、後にソ連の支配に対し武力抵抗運動を行ったことで知られている。
そのため、ソ連の公式歴史において、OUN-UPAは「テロリスト」あるいは初期にナチスと協力していたことから「ナチスの手先」とのレッテルを貼られてきた。
一方、ポーランドにおいてもOUN-UPAは蛇蝎のごとく嫌われてきた。OUN-UPAはナチス支配の後退期に将来の独立を見越して民族浄化を行ったからである。
特に1943年7月からの浄化作戦により、ヴォリン地方では数万人規模のポーランド市民が犠牲となったと言われている。
2010年にヤヌコヴィッチが大統領に就任すると反動が訪れる。反大飢饉キャンペーンやOUN-UPA復権はトーンダウンする。ヤヌコヴィッチ大統領はさらに、集票効果を狙ってロシア語の公用語化法案を議会で通す。
また、自身の犯歴を糊塗するためか、政権とウクライナ正教・モスクワ主教座との親密な関係がアピールされるようになった。
落書きまみれのレーニン像(2014年2月、キエフ市「ウクライナ・ハウス」内で撮影)
こうした「ロシア化」はユーロ・マイダン革命(ウクライナ政府の用語に従えば「尊厳革命」)以降、揺り戻されている。
ウクライナ議会はロシアを侵略国認定し、ウクライナ世論の7割は「ロシアは侵略国」とみなしている。このような状況では、かつてのようなスラヴ兄弟民族の連帯や、ロシア史・ソ連史の栄光、ロシア語、ロシア文化の称賛は主張しにくい。
また、クリミアやウクライナ東部ドンバス地方がウクライナ政治から消え去っているため、「ロシア化」の見返りとしての動員、集票効果もかつてほどは期待できない。
メディアでは、「侵略国のプロパガンダ」となり得るロシア製の映画、ドラマがウクライナで上映/放送禁止とされ、ロシアで出版されているマイダン関連書籍も発禁対象となっている。
一方で、ロシア語公用語法は今日でも有効であり、ロシア語の使用は法的保証されている。現在の内閣においても、ロシア語で答弁を行う閣僚は少なからずいる。
ただ、新政権は「英語化教育」を強力に推進しており、中・長期的に第1外国語としてのロシア語の地位を英語で置き換える政策を採っている。英語を話せる閣僚が2人しかおらず、首相がロシア語しか話さなかったヤヌコヴィッチ時代とは隔世の感がある。
■「非共産主義法」
非ロシア化はメディア上のみならず、実生活においても進行している。
2015年4月には「ウクライナにおける共産主義・国家社会主義(ナチズム)的全体主義体制を非難し、プロパガンダを禁止する法」(通称「非共産主義化法」)が採択されている。
この法律は「共産主義とナチズム的全体主義体制、民族・社会・階級、エスニック、人種や他の要因に基づく差別の再来を避け、歴史的社会的正義を回復し、ウクライナの独立、 主権、領土保全、安全保障に対する脅威を排除する」と謳っている。
その主たる目的は共産主義とそれに連なるロシア・イメージを公的空間から排除することにある。
ソ連崩壊時にウクライナ全土に5500、2014年末時点でも1700残っていたレーニン像は当然、排除の対象となる。さらには、共産党指導者や赤軍将軍の像、赤い星、鎌と槌、レーニンの顔といった、ソ連時代にはあらゆる場所に設置されていたシンボルの撤去も地方行政府に義務づけられている。
「赤軍通り」、「十月通り」といった共産主義的な地名も改称対象となっている。
さらには、キロボフラード市(ソ連共産党の指導者キーロフにちなむ)や、ドニプロペトロフシク市(同、ペトロフクスキー)といった州都名もそれぞれ、クロピウニツキイ、ドニプロと改称された。
ロシア帝国由来の名称もなぜか改称対象とされ、スヴォーロフ(ロシア帝国の将軍)、クトゥーゾフ(同)を冠した地名、さらには、モスクワ通りすら改称対象となっている。
ただ、赤軍将軍の取り扱いは微妙な問題である。例えば、ハリキフ市の地下鉄「ジューコフ元帥」駅が改称の憂き目に遭っている一方で、国会議事堂の隣に立つバトゥーリン将軍の墓碑は解体を免れている。バトゥーリンはキエフ解放戦の指揮を執ったからである。
なお、改称対象は、ウクライナ全土、すなわち、ロシア占領下のクリミアや、人民共和国が支配するドネツィク、ルハンシク州の一部にも及んでいる。
しかしながら、現地を実効支配する勢力がウクライナ側の決定に従うはずもなく、「エア改称」となっている。
グーグルマップは、ウクライナ政権の改称に準拠しているものの、クリミアの新名称を入力すると、旧称の地点に自動的に飛ばされるという苦肉の策が採られている。また、ロシアのYandexマップ上では、改称は全く反映されていない。
■「独立の闘士」か「虐殺者」か
非共産主義/ロシア化と同時に進行しているのが、前述したOUN-UPAの全面的な復権である。2015年4月には、OUN-UPAの関係者を「ウクライナ独立の闘士」と見なして恩賞を与える法律が成立している。
さらに、直近では、キエフ市の「モスクワ通り」がOUN-UPAの指導者の名を冠した「ステパン・バンデラ通り」へ改称されている。
ウクライナ世論のOUN-UPAに対する肯定的評価は急増しており、今や否定的評価を上回るまでになっている。しかしながら、ウクライナ東部や南部においては依然として拒否反応が強く、全国的な支持には至っていない。
OUN-UPA参加者をウクライナ国家独立の闘士とみなすことに賛成(世論調査機関レイティング社による調査)
ウクライナ全土 西部 中央部 南部 東部
2013年10月 27% - - - -
2015年 9月 41% 76% 42% 27% 23%
OUN-UPAの復権は、クレムリンを喜ばせているに違いない。彼らが主張する「ウクライナ政権=ネオナチ」の証拠となるからだ。しかしながら、ロシア政府はこの問題に直接の利害を有していないし、すでに両国関係は最悪の状態にあるため、重大な係争に発展することはいない。
OUN-UPA復権の最大の問題は、隣国ポーランドの反発である。
今日に至るまでポーランドの対OUN-UPA観は熾烈であり、OUN-UPA復権に対し早くから注文をつけてきた。
ウクライナ政府はこの問題を認識しており、例えば2016年7月のワルシャワ訪問に際してポロシェンコ大統領はヴォリン犠牲者の碑に献花している。
しかしながら、ポロシェンコ大統領はOUN-UPAによる虐殺について「両国間の不幸な過去」と言及するにとどめており、その行為に対する評価を示してはいない。
ウクライナ側の態度に業を煮やしたポーランド下院が「ウクライナ民族主義者によるポーランド国民に対する虐殺記憶日を7月11日に設定する」法律を採択すると、ポロシェンコ大統領は、「下院の決議は遺憾だ」とフェイスブック上で記したが、それ以上の公式声明は出されていない。
言うまでもなく、ポーランドはウクライナの最友好国と言える存在であり、ウクライナ政府が推進するEU・NATO(北大西洋条約機構)加盟政策の先導者的役割を担っている。
ポーランドは、1991年のウクライナ独立をいち早く承認しただけでなく、一貫してウクライナのEU加盟政策を強く支持し、オレンジ革命(2004)およびマイダン革命では、政府と野党勢力間の仲介の労をとってきた。
一方で、OUN-UPA肯定の流れは、ソ連/ロシア要素を排除した国民統合を模索するウクライナ政府にとって重要なものである。
バンデラはウクライナの独立を目指してナチスやソ連と戦ってきた、今日の我々もウクライナ独立を守るために侵略国ロシアと戦っている、というわけである。
また、OUN-UPAの復権は、マイダン革命に功績があった民族主義政党や武力組織、さらにはウクライナ西部の有権者を満足させるものでもあるから、国外からの批判を受けて安易に修正できるものではない。
ウクライナにおいても、民族主義に頼らざるを得ない政権が、隣国との友好関係の維持に苦慮する、という構図を見ることができる。
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