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ミュンヘン22日、ショッピングセンター内に市民を誘導する警官隊〔PHOTO〕gettyimages
テロ多発地帯と化したドイツで、なぜメルケルは不気味な沈黙を保ち続けるのか
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49308
2016年07月29日(金) 川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」 現代ビジネス
7月23日土曜日の夜、シュトゥットガルトの隣町ルードヴィクスブルクで開かれたコンサートに行った。夏の音楽祭の最終日で、前半はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。ソロ奏者は樫本大進という日本人で、演奏のあと、しばらく拍手が鳴りやまない素晴らしい演奏だった。
ところが、後半のシベリウスの一曲目が終わると劇場支配人が舞台に現れ、「技術上の不都合が発生したので、全員すみやかに会場の外へ出てください」と言った。
この時の情景はおそらく一生忘れられない。ホールはほぼ満席。1200人はいたと思われる聴衆が全員すっくと立ち上がり、喋りもせず、走りもせず、ただ静かにのろのろと出口に向かって移動した。気味が悪いほどの静寂だった。ホールを出しなに振り返ると、空っぽになった舞台には、すでに警官が何人も立っていた。
なぜ、たいした誘導もなしに、このような模範的な避難が成り立ったかというと、それぞれの聴衆の心の中に「落ち着け!」という自制心が強く働いていたからだと思われる。
というのも、実は、前日22日の夕方6時ごろ、ミュンヘンの巨大ショッピングセンターで何者かが銃を乱射、9人を射殺し、35人を負傷させるという事件があった。つまりミュンヘンは、つい20時間ほど前まで厳戒態勢となっていたわけで、その緊張の余韻が、この夜、聴衆の心にまだ生々しく残っていたのである。
■一連の事件に残された疑問点
ドイツにおけるテロ・シリーズの始まりは、このミュンヘン乱射事件の4日前、18日だった。バイエルン州のヴュルツブルクを走っていた近距離電車の中で、斧とナイフを持った17歳の青年が、香港からの旅行者の家族に襲いかかった。逃走した犯人(正確には容疑者)は、ちょうど現場にいたという特殊部隊の警官に撃たれ、今、病院にいる。
犯人はアフガニスタンからの難民だ。その後、彼がISのメンバーであるとして、犯行を予告したビデオがネット上で見つかり、ドイツ政府もそのビデオを本物だと認めた。犯人の部屋からは、手作りのISの旗なども見つかったという。
犯人は去年、オーストリア経由でドイツのバイエルン州に入った大量の難民のうちの一人だ(ドイツには去年一年で110万人の難民が入った)。里親となったドイツ人家族と共に住み、パン屋で見習いとして働くことも決まっていた。つまり、他の多くの難民とは違い、前途が開けていた。彼がイスラムの過激な思想を持っているとは誰も思っていなかったという。
ところが現在、彼がアフガニスタン出身というのは嘘で、パキスタン人であったという疑いが固まっている。難民として認められるのは、主にシリア、アフガニスタン、イラクの出身者なので、国籍を偽っている難民は数多くいる。
政府は、この青年が「説明のつかない突然のイスラム化を遂げた」と語っており、メディアもそう報じている。しかし、彼がドイツに入った当初から、単なる無邪気な難民ではなかった可能性はかなり高いのではないか。
ミュンヘンの事件に関しては、さらに疑問点が多い。事件勃発3時間後の9時の警察発表では、犯人は3人だろうと言われた。ところが11時前の発表では、そのうちの一人の死亡が確認され、その30分後には、死亡した男が今回の事件の単独犯ということになった。
その後、夜中の2時ごろになり、早くも犯人の身元が発表された。18歳のイラン・ドイツ人(現在の報道では二重国籍)で、警察に追い詰められ、自分で頭を撃ち抜いて死亡したという。
■警察発表の信ぴょう性
翌日の発表では、犯人は精神病を患っており、犯行はISとは関係がないということが強調された。犯人が本当にイラン出身であるとすれば、もちろんISとは関係がないだろう(ISは狂信的なスンニ派で、シーア派のイラン人は宿敵だ)。だがこの事件は、「精神病の青年による、政治的な意味のない乱射事件」と片付けるには、おかしなことも多い。
たとえば、事件当日の午前中、すでにミュンヘン市内の警戒が強まっていたことがわかっている。前日には、ミュンヘン上空で、警察のヘリコプターの演習が行われていたともいう。当局があらかじめ何らかの情報を入手していた可能性はあるだろう。
事件勃発後は、速やかに2300人の警官が動員されたが、それはバイエルン州警察だけではなく、お隣のバーデン−ヴュルテンベルク州とヘッセン州からも派遣されており、さらに連邦警察所属の特殊部隊GSG9も駆けつけていた。そのうえ、お隣のオーストリアの特殊部隊Cobraまでいたという話だ。
また事件後、ミュンヘンの鉄道も公共交通機関もタクシーも、6時間にわたってすべてが停止した。ミュンヘン市民には、屋内に留まるようにという指示が出された。ミュンヘン中央駅は封鎖され、遠距離列車も止まった。正真正銘の非常事態であった。
事件勃発後2時間ほど経って、現場から数キロ離れた場所で、銃撃があったというニュースを「Antenne Bayern」というラジオ局が流したが、それについては警察も主要メディアも触れなかったので、真偽はわからない。
ただ、ドイツの警察が「単独犯はすでに死亡」と発表したあとも、バイエルン州と隣接しているチェコでは複数犯の可能性を捨てず、逃走した犯人たちが入ってこないよう、国境警備を強化したというのは本当らしい。
主要メディアは当局の発表と歩調を合わせ、今回の事件はテロではないとしているが、よく読むと、「警察は単独犯ストーリーを確認」などと思わせぶりな書き方もしている。また、乱射後、現場から2人の人間が車で立ち去ったという目撃者の証言もある。警察はのちに、この2人は事件とは無関係であったと発表したが、これが警察発表の信ぴょう性を上げるよりは、どちらかというと下げてしまった。
犯人が使った武器は、ダークネット(影のインターネット・しばしば犯罪に使われる)を通じて購入した9ミリ口径のピストル(Glock17)だったそうだが、リュックサックの中には300発の銃弾があった。そして、この入手先がわかっていない。
■南ドイツで起きた4度目の凶行
コンサートに話を戻すと、ミュンヘンの生々しい記憶を胸に、私たちは会場から外へ出た。そして、警官の指示により外で待機させられた。道が封鎖されていたので、駐車場から車を出しても、どのみち帰れなかったのだ。9時半。ドイツの夏の夜は、まだ明るい。
大量のパトカーと救急車と、キラキラ光る青いライトを見ながら、着飾った人たちと、黒い衣装のまま楽器を抱えた音楽家たちが手持ち無沙汰に立っていた。「爆弾予告らしいよ」「こんなことがここでも起こるとはね」などと話しながら。
バイオリンを抱えて避難してきた音楽家の友人を見つけて、「残念だわ」と嘆くと、彼女いわく、「ハープは2曲目からの出番だったので、まだ一音も弾かないうちにコンサートが終わっちゃったわ」。ふと見ると、若い指揮者がタクト一本を手に、ぼんやりと立っていた(結局、この件はいたずらの爆弾予告だった)。
一夜寝て、翌24日の夕方、今度はやはりバーデン−ヴュルテンベルク州のロイトリンゲンという町で、一人の男がナタで女性一人を殺し、5人を負傷させた。地元の南西ドイツ放送(SWR)によれば、犯人はやはり去年難民としてドイツに入った21歳のシリア人だそうだ(他のほとんどのメディアは、21歳の男性ということしか報道しない)。
さらにSWRによると、犯人は、犯行後、現場で事件を偶然見ていた男性の車で轢かれた。犯行を止めるためにわざとやったとその男性は語っており、それは警察も確認しているという。報道写真を見ると白いBMWが写っている。轢かれた犯人は意識不明で取り調べに応じることができない。
興味深いのは、地元でその男性が英雄のように言われているという報道だ。私の考えでは、自分に危害を与えていない人間を車で轢いて、正当防衛になるとは思えない。しかし主要メディアはそもそも、この男性の存在自体に一切触れていない。
その同日の夜、今度はバイエルン州のアンスバッハ市内で行われていた野外コンサートで、爆発が起こった。27歳のシリア人が自爆し、近くにいた15人が負傷している。この1週間に南ドイツで起きた4度目の凶行だ。
その後、警察が発表したところによれば、犯人は2年前に難民としてブルガリアに入ったが、そのとき、ブルガリアで何者かが彼に近づき、飛行機のチケットを渡してドイツに渡らせたという。ISがリクルートし、ドイツに送り込んだ可能性が高いと『南ドイツ新聞』は書いている。彼の犯行予告ビデオもネットで見つかった。
ただ、ドイツに入った後、ブルガリアで難民登録が済んでいたことが判明したので、本来ならばブルガリアに送還されなければならないはずだった。しかし、その後もドイツに居残ったまま、麻薬などの犯罪に手を染めたり、二度も自殺未遂を起こしたりで、ずっと心理カウンセリングを受けていたという。
27日の発表では、死亡した犯人は50ユーロ札の札束をごっそり携帯していたそうだ。おそらく死ぬつもりではなかったのだろう。
■難民とともに招き入れたもの
今、ドイツ人の心の中には次第に、善意のつもりで入れた難民とともに、自分たちは何を招き入れてしまったかという後悔が膨れているのではないだろうか。
バイエルンの州知事は、一年半も前から、難民を無制限に入れ続けることに対してずっと警告を発していた。それらが皮肉にも、今、すべて現実になっている。
バイエルン州の強い警告を否定し、次第に募っていた国民の不安も無視して、頑なに無制限の難民受け入れを続けたメルケル首相は、今回の一連の事件に対してまだ何も表明していない。会見に出てくるのは内務大臣ばかりだ。
なお、私の体験したルードヴィクスブルク音楽祭の爆弾騒ぎは、翌日の地元紙には載ったが、全国ニュースにはならなかった。いったい今、ドイツ中でこのようなことがどれだけ起こっていることか。警察は99%悪戯だと思っても、全力で対処させざるを得ない状況だ。
ドイツはこれから夏の休暇に入るが、今年はドイツ国内に留まる人が多いという。いずれにしても、メルケル首相の説明がないまま、モヤモヤとした不安の中に置かれているドイツ国民は気の毒だ。
メルケル首相が、大量難民受け入れに伴うこれらの危険を予測していなかったというのは信じがたい。では、その真意はいったい何であったのか? 永久にわからないことかもしれないが、それでも私は知りたい気持ちを抑えがたい。
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