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米国企業とトランプ:「米国株式会社」の2つの顔
2016.7.13(水) The Economist
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(英エコノミスト誌 2016年7月9日号)
在日米軍撤退論は「支離滅裂」=トランプ氏批判−米民主政策綱領
共和党の指名が確定した実業家ドナルド・トランプ氏(2016年7月1日撮影、資料写真)(c)AFP/Jason Connolly〔AFPBB News〕
ドナルド・トランプのことになると、米国の企業経営者は割れる。
米国の多国籍企業の経営者と言えば、自制心を絵に描いたような人で、心のこもった握手や大人らしい髪型、よく練られた短いコメントといった特徴を備えているのが普通だ。しかし、選挙についてどう思うかと尋ねると、彼らの自制心は感情に負けてしまう。
マンハッタンで開かれたカクテルパーティーに参加した某メガバンクの経営者は、ドナルド・トランプは頭がおかしいとまくし立てた。米国有数のハイテク企業のトップで、シリコンバレーでは珍しい共和党支持者の某氏は、オフィスの机を拳でたたき、絶対にヒラリー・クリントンに投票すると重々しく誓った。ある大手輸送会社の最高経営責任者は、もしトランプが大統領になったら自由貿易が破壊される、そうなれば今伸びているうちのメキシコとの事業も水の泡だ、と引きつった笑いを見せた。
軽蔑する気持ちはお互いさまだ。トランプ氏は6月29日、大企業お気に入りのロビー団体である商工会議所に食って掛かった。「あそこは特殊利益集団に完全に牛耳られている」。同氏はメーン州での集会で大声援に応えてそう語った。
米国は勝負に勝てなくなったとトランプ氏は評しているが、国際的な大企業の幹部の見方は違う。彼らにしてみれば、この10年間は黄金時代だ。株価は史上最高値に近い水準にある。スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)500種株価指数を構成する企業の営業利益は、危機の年だった2009年以降で137%も伸びている。
米国の中間層に打撃を与えたトレンドの多くは、「米国株式会社」を強くした。大企業は雇用を減らして生産性を高め、今では売上高の40%を外国で計上している。また、企業買収を繰り返したり巧みなロビイングを展開したりした結果、国内市場でのシェアも高めている。
税負担が重いとぼやきながらも、節税が非常にうまくなった。大企業上位50社が2015年に計上した全世界ベースの利益で見たキャッシュ・タックス・レート*1は24%で、公式の法人税率39%を下回る。大手銀行でさえ規制の増加と共存する術を学んでおり、最近は世界各地で欧州の銀行を蹴散らしている。
*1=法人税前利益に対する、実際に支払った税金の比率
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改憲勢力3分の2超に、それでも大健闘だった民進党 (2016.7.11 筆坂 秀世)
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英国EU離脱が示した「グローバル化の終わり」 (2016.7.1 池田 信夫)
ヒラリー勝利がほぼ見えた11月の米大統領選 (2016.6.30 堀田 佳男)http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47337
米国でいま超絶人気、ハミルトンの生涯とは
ヒラリーも選挙資金集めにちゃっかりミュージカル利用
2016.7.13(水) 高濱 賛
クリントン氏、メール問題に幕引き 米司法長官「訴追しない」
米民主党のヒラリー・クリントン大統領候補は『ハミルトン』を利用して選挙資金集め。写真はニュージャージー州アトランティックシティで〔AFPBB News〕
ヒラリーからの観劇の招待
「ヒラリーと一緒に『ハミルトン』を観劇しませんか」
まもなく名実ともに米民主党大統領候補になるヒラリー・クリントン前国務長官から私にメールが届いた。同じ文面のメールは私以外の何百万、何千万の有権者に送られているはずだ。
メールは続けてこう書いている。
選挙資金1ドル出せば、抽選で8月某日、ヒラリー氏と今人気絶頂のブロードウェイ・ミュージカル『ハミルトン』が楽しめる。ニューヨークまでの飛行機代、ホテル代はすべて出してくれるというのだ。
連邦選挙法に抵触するかもしれない、新手の選挙資金集め。候補者からのメッセージは今や選挙戦の最大の武器であるインターネットを通じて米全土を駆け巡っている。
歴史劇ミュージカル、トニー賞11部門で冠
ところで、『ハミルトン』ってどんなミュージカル?
今米国内で一大旋風を巻き起こしているブロードウェイ・ミュージカルだ。チケットは来年夏まで完売。プレミアがつくオンラインでは平日のマチネー(昼間興行)でも800ドル、金曜、土曜の夜では1500ドル。
米演劇界では最高の栄誉とされるトニー賞ミュージカル部門では作品賞、主演男優賞、演出賞、オリジナル楽曲賞など11冠に輝いている。
独立前夜の米国政界を舞台に暗躍する白人の「建国の父」たちが繰り広げる人間ドラマをヒップ・ホップ音楽に乗せて、歌い、踊りまくる。
セールスポイントは、「建国の父」の時代だというのに白人の俳優が一切出てこないこと(唯一白人が演じているのは英国のジョージ3世のみ)。
Hamilton: The Revolution by Lin-Manuel Miranda and Jeremy McCarter Grand Central Publishing, 2016
主役のハミルトンからジョージ・ワシントン(初代大統領)やトーマス・ジェファーソン(第3代大統領)をプエルトリコ系、メキシコ系が演じている。ハミルトンの妻エリーザは中国系、その妹は黒人女優だ。
「『建国の父』が非白人だということ自体、建国から200年経った今のアメリカ合衆国の人種的な多様性を鮮やかに、シンボリックに描いて見せている」(CNNのミュージカル担当記者)。
ドナルド・トランプ共和党大統領候補(事実上)のアジ演説の言わんとすることは、一言で表現すれば、「白人だけが繁栄を享受していた、あの古き良きアメリカに戻る」という願望にも似た共和党を支持してきた一部白人のホンネ。
その「平均像」は低所得、無教養、低学歴の白人ブルーカラー層のようだが、ミュージカル「ハミルトン」を制作する者、見て痺れる人は、どうやら「トランプ種族」とは180度異なる米国人ということになる。
忘れられていた「建国の父」は「米資本主義体制の礎を作った男」
ところで、ミュージカルの主人公の「ハミルトン」っていう人物は誰なのか。
10ドル紙幣に肖像が印刷されている初代財務長官、ということは分かっているが、外国人には馴染みが薄い。
米国人に聞くと、「いや、一般の米市民でもハミルトンについて問われれば、決闘して殺された建国の父の1人だろ、くらいなもんだよ」(ロサンゼルス近郊のレストランの白人の経営者)という。
確かに、「建国の父」と言えば、まず頭に浮かぶのはジョージ・ワシントン初代大統領、トーマス・ジェファーソン第3代大統領、ジョン・アダムズ第2代大統領、ベンジャミン・フランクリン在仏米全権公使。なかなかハミルトンの名前は浮かんでこない。
そもそも財務省の表門の前には銅像はあるが彼の業績を讃えたモニュメントらしきものはない。墓は、ニューヨークのブロードウェー近くにあるトリニティ教会の敷地内にある。ハミルトンは独立戦争で戦死した将軍たちとともにその墓地の一角でひっそりと眠っている。
ュージカルの「種本」は超ベストセラーの「ハミルトン伝」
ミュージカルの脚本を書いたリン・マニュエル・ミランダ(ミュージカルではハミルトン役を演じている)が「種本」にしたのが、2004年に出版されたロン・シャーナウ著の「Alexander Hamilton」(アレクサンダー・ハミルトン)だ。
シャーナウは、2011年、ワシントン初代大統領を描いた伝記「Washington: A Life」でピューリッツアー賞を受賞している。
それ以前にも銀行家J・B・モーガン、実業家ジョン・D・ロックフェラー、ユリシーズ・グラント(第18代大統領)らの伝記を手がけてきた。「当代、伝記ものを書かせて彼の右に出るものはいない」(米主要紙書評担当記者)とされる。
2004年出版された「ハミルトン」(ハードカバー)は過去10年間に100万部強売れた。2014年にはペーパーバックスが出て年間3300部売れていたが、2015年にミュージカルが開演されるや、部数は10万6000部に急増。まさにミュージカルの相乗効果が現れた。
爆発的な人気に応えて、出版されたのがミランダと観劇評論ジャーナリストのジェレミー・マッカーターの共著、「ハミルトン:ザ・リボリューション」だ。
一言で言えば、「ミュージカル誕生の舞台裏」を公開した永久保存の観劇参考書である。
ミュージカルの場面場面を再現したカラフルな写真。俳優たちの台本と歌詞。ミランダがメモした200以上の脚注、補足説明などなど。
本書は、装丁にも凝っている。「建国の父」たちが生き抜いた時代を反映させるかのような、200年前に使われていたクリーム・カラーの紙が使われている。印刷は中国に発注したという。
初版6万部は発売と同時に売れ切れ。その後2版5万部を刷ったが、人気の前にその重版部数では焼け石に水。今年の夏までに40万部を追加印刷するという。
「ハミルトン:ザ・リボリューション」はミュージカル観劇と並行して読むにはいいが、いざハミルトンの生涯を知るにはやはり「種本」を読まないと始まらない。
シャーナウの818ページの超大作――。すでに日本でも翻訳が出ている。(『アレグザンダー・ハミルトン伝』(日経BP社)
Alexander Hamilton by Ron Chernow Penguin Press, 2004
物語はハミルトンの出自から始まる。
ハミルトンは1755年、カリブ海の英領西インド諸島のネイビス島に生まれる。父親はスコットランドの貴族出身だったが、ハミルトンが10歳の時に妻子を残して失踪。
母親とは12歳の時に死別。従兄に引き取られたが、その従兄は自殺してしまう。叔母、伯父、祖母も皆死んでしまい、ハミルトンと兄は天涯孤独の身となる。
そして孤児となったハミルトンは、ニューヨークの店で働き始める。そこで抜群の商才を発揮、その一方で地元紙に寄稿した自作の詩が高く評価され、文才でもその片鱗を示した。
1773年、店主たちからの経済支援を受けて、ニューヨークの「キングズ・カレッジ」(現コロンビア大学)に入学、行政学、政治学を専攻、傍ら図書館に通い詰めて歴史、文学、哲学と手当たり次第に学識を高めていった。
1776年、ニューヨーク植民地砲兵中隊に入隊、独立戦争に参戦して数々の武勲を上げた。その働きぶりはすぐワシントン総司令官の目にとまり、副官に任命された。
その間、軍需品納入を巡る不正を暴いたり、のちの「建国の父」たちに独立後の政策課題に関する書簡を送り続けた。その中でハミルトンは強力な中央政府樹立の必要性や国立銀行設立構想に触れていた。
米国憲法のたたき台「ザ・フェデラリスト・ペーパーズ」を執筆
1787年にはニューヨーク連邦議会から憲法制定会議の代表に選ばれ、ジェームズ・マディソン(第4代大統領)やジョン・ジェイ(初代最高裁長官)らとともにアメリカ合衆国憲法の「素案」、実質的な「準憲法」とまで言われている「ザ・フェデラリスト・ペーパーズ」(連邦主義者のための書簡)の主な執筆者を務めた。
1789年に発足したワシントン政権では初代財務長官に任命される。
1790年から91年にかけてハミルトンは矢継ぎ早に連邦議会に提言を送りつける。その内容は、公信用制度、未占有地の処理、酒税、国立銀行の設立、貨幣鋳造所の設置、製造業助成など現在の米資本主義体制の礎作りが網羅されていた。
建国の父とは通常、独立戦争に関わった者、独立宣言あるいは米国憲法に署名した政治家たち55人前後を指す。多くは英国貴族出身者やジョージ・ワシントンのように成功した入植者の名門の出だった。
ジョージ・ワシントンの寵愛を受け、出生街道をばく進してきたハミルトンだったが、頭角を現せば現すほど他の「建国の父」たちは妬み、やっかみ、そして彼の「怪しげな出自」を蔑んだ。
ジェファーソン、アダムスらに敵視され続けたハミルトン
その最大の政敵は、トーマス・ジェファーソン(第3代代大統領)だった。
ジェファーソンに追随したのは、マディソン(第4代大統領)、ジェームズ・モンロー(第5代大統領)、ジョン・Q・アダムス(第6代大統領)、アンドリュー・ジャクソン(第7代大統領)だった。
「大胆に、一切の妥協を許さず、ハミルトンは米国初の政党『フェデラリスト党(連邦党)』結成に向けてまっしぐらに進んでいった。4回の大統領選挙を取り仕切り、ワシントン政権およびアダムズ政権において重要な政治的アジェンダを決めてきた」
ハミルトンがそれだけのことができたのは、ワシントンが後ろ盾になっていたからだった。
「ワシントンがハミルトンを高く買っていた理由は、類まれな組織力運営力、誠実さ、ビジネス経験、銀行・市場についての知識と経験があったからだった。ハミルトンは建国なったアメリカ合衆国の財政政策の主要な立案者となった。その政策とは、諸外国から借りていた借金を返し、自由貿易の促進を基本とする健全な金融政策だった」
ハミルトンとジェファーソンとはその政治哲学で対立していた。
ジェファーソンはあくまでの伝統的な農業を中心産業とした国家建設を目指していた。中央集権政治体制にはあくまでも反対していた。
これに対しハミルトンは、無限の多様性を持った実力主義社会、すべての米国民を吸収できる多様化した市場経済を有するアメリカ合衆国を目指していた。第2期政権でもワシントンはハミルトンに絶大の信頼を寄せていた。
しかし、「驕る平家は久しからず」の譬え。次々と醜聞がハミルトンを襲う。公債操作による不当利益獲得の疑惑が浮上しただけでなく、私生活では知人の妻との不倫が明るみに出てしまった。
ハミルトン死後も50年生き抜いた愛妻エリーザ
ハミルトンは1804年7月12日、49歳の若さで他界する。その死因は尋常ではない。
ニューヨーク法曹界を二分する実力派弁護士アーロン・バー(副大統領経験者)との決闘で胸に銃弾を受け、翌日死去したのだ。
当時米国内では欧州から持ち込まれた決闘が許されていた。「建国の父」のうち決闘で撃ち果てたのはハミルトンのほかもう1人いた、
バーとの決闘は、長年にわたり増幅していった憎悪、誹謗中傷、そして名誉棄損を巡る前近代的な解決策だった。
その遠因は10年前のハミルトンとバーの共通の知人であるジェームズ・レイノルズの妻、マリアとの不倫にあった。
ジェファーソン、マディソンら反ハミルトン勢力は、ここぞとばかりにハミルトンを攻め立てた。そしてアダムスとジェファーソンとの間で争われた1800年大統領選、バーが出馬した1804年のニューヨーク州知事選・・・。反ハミルトン勢力との確執はどんどん深まっていった。
「米資本主義体制の礎を作った男」の自由奔放な人間性は、一方で数多くの脆弱性を増幅させていた。ネガティブな面がすべて暴き出され、バーとの関係はもう後戻りできないところまで行ってしまった。
ハミルトン死後、愛妻のエリーザは50年間生き、1854年息を引き取った。あたかも無念のうちに死んでいった夫の分まで生き抜いたかのように。享年97歳だった。
アレクサンダー・ハミルトンの波乱万丈の生涯。ありとあらゆる文献や書簡を精査して書かれた超一級の伝記本を「種本」にして書き上げられた脚本。それを多民族の俳優たちが演ずるミュージカルが受けないわけがない。
ミュージカル「ハミルトン」が爆発的人気を得るのは、どうやら公演前から「想定内」のことだったのかもしれない。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47322
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