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米二大紙はオバマ広島訪問をどう見たのか?
2016年07月05日(火)岡崎研究所
ウォールストリート・ジャーナル紙とニューヨーク・タイムズ紙はともに5月27日付で、オバマ大統領の広島における演説について社説を書いています。両社説の要旨は次の通り。
Getty Images
WSJ社説「奇跡のような提案」と一蹴
オバマは広島の演説で核について奇跡のようなことを提案した。いわく「私自身の国と同様、核を保有する国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならない」。しかし、核兵器の存在だけではなく、それを作る技術知識も大問題である。北朝鮮は自らのため、そして輸出のために技術の創出を止めようとしない。これが核拡散である。広島と長崎以来――それは大戦を終わらせて数百万の命を救ったのだが――政治家が根気強く取り組んできた厄介な問題である。
オバマはその任期の最後に戦争を呪ってみせた。それはオバマの世界観の極致とも言うべきものである。それはオバマの外交政策の遺産に対する大方の批判の根拠を簡潔に示すものである。それは際限のない思い込みやすさであり、妥当な証拠に裏打ちされない信念である。
オバマの感情は疑いもなく崇高である。しかし、それは世界の秩序の崩壊の状況とは相容れない。オバマの後継者が引き継ぐこの不確かな遺産を一言で表現するのは同盟である。戦争、特に核兵器の拡散の制限は、他国の参加する意思に大きく依存する。しかし、オバマの政策は、同盟国を支持し守るという米国の伝統的な決意について、重要な同盟国に疑いを持たせることとなった。
核の拡散に対処するには「道徳の革命」では不十分である。オバマの演説は感銘的であったが、次期大統領の政策はそれを以上のものであることを要しよう。
出典:‘Obama’s Hiroshima Genie’(Wall Street Journal, May 27, 2016)
http://www.wsj.com/articles/obamas-hiroshima-genie-1464389344
NYT社説「言葉だけで核兵器のない世界はこない」
「我々は恐ろしい力に思いを致すために来た」とオバマは訪問の目的を述べた。彼は犠牲者を悼み、核兵器について世界的な「道徳的目覚め」を呼び掛けたが、もし核兵器のない世界への一歩をもたらす具体的な計画を表明していれば、メッセージはより力強いものとなったであろう。
オバマは謝罪しなかった。戦争の責任は日本にあることを確認した。オバマは「戦争を生んだのは最も素朴な部族の間で紛争の原因となったものと同じ、支配あるいは征服という基本的な本能であった」と述べた。安倍首相は日本も犠牲者であるように屡々歴史を書き換えようとするので、この点は重要である。
将来については、「広島と長崎が、核戦争の夜明けではなく、道徳的目覚めの始まりとして知られる」将来とし得ると述べた。「恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持たねばならない」とも述べた。
オバマはロシアとの2010年の新START条約とイランとの核合意を遂げたが、軍縮に反対するロシア、包括的核実験禁止条約の批准に反対する上院、カットオフ条約の交渉を妨害するパキスタンのために、それ以上の前進は阻まれている。オバマ大統領も安倍総理も日本に積み上がっている47トンのプルトニウムの問題には触れなかった。日本による再処理の停止に向けての計画は歴史的訪問にふさわしい成果であり得たであろう。米国の空中発射核クルーズミサイル計画の破棄など他にも可能なイニシアチブがある。言葉だけでは核兵器のない世界はやって来ない。
出典:‘Turning Words Into a Nuclear-Free Reality’(New York Times, May 27, 2016)
http://www.nytimes.com/2016/05/28/opinion/turning-words-into-a-nuclear-free-reality.html?partner=rssnyt&emc=rss&_r=0
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演説の内容だけでは語れぬオバマ広島訪問
これらの社説は、当然あり得べき批判を書いたものです。両紙とも、それぞれがいかにも書きそうなことを書いたということです。
NYT紙は、オバマは戦争の責任は日本にあることを確認した、と言っていますが、オバマはそういう意図で引用されている演説のくだりを述べたのではないと思います。
ワシントン・ポスト紙のコラムニスト、ディオンヌは、5月29日付同紙掲載のコラム‘Obama and Hiroshima’s moral lessons’で、この文章は、謝罪をせず、原爆投下を戦争による全ての破壊の文脈の中で捉えたものだとしつつ、強制された行進と死の収容所への言及があることをもって、この文章に内在するのは連合国側の戦争目的だ、と述べています。なお、ディオンヌはオバマの演説に好意的で、演説には迫力があったと評価しています。
いずれにせよ、オバマの広島訪問の意義を演説のみに着目して評価する努力は当を得たものではありません。広島訪問を全体として評価すべきです。我が国で高く評価され、米国でも批判はないようであることを見れば、訪問は成功でした。あえて印象を言えば、演説は長過ぎました。政治的には危険が伴ったかも知れませんが、演説を削り、原爆資料館滞在にもう少々の時間を当てれば、より効果的であったでしょう。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7190
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