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ベルギー・ブリュッセルのEU本部前で風にはためく破れたEU旗(2016年3月1日撮影、資料写真)。(c)AFP/EMMANUEL DUNAND〔AFPBB News〕
英国EU離脱が示した「グローバル化の終わり」 「世界が1つ」になる日は来ない
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47245
2016.7.1 池田 信夫 JBpress
イギリスが国民投票でEU(ヨーロッパ連合)からの離脱を決めたことには、多くの人が驚いただろう。事前にはかなり接戦だという予想はあったものの、常識あるイギリス人がそんな過激な手段を取るとは思わなかった。いつも正確な予想をするブックメーカーの賭け率も、9割が残留を予想していた。
ところがふたを開けると52%が離脱を選び、2年以内にイギリスはEUとの協定をすべて破棄し、各国と個別に貿易協定を結ぶことになった。準参加国のような形で残留する道もあるので、EUと100%縁が切れることは考えにくいが、ロンドンは「ヨーロッパの首都」としての地位を失い、シティは世界の金融センターではなくなるだろう。
■イギリスと大陸の関係は1970年代に戻った
もともとイギリスは、大陸との仲はよくなかった。EUの出発点は1952年にできたECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)で、イギリスは入っていない。これが1958年にEEC(ヨーロッパ経済共同体)ができ、EC(ヨーロッパ共同体)に発展したあとも、フランスのドゴール大統領はイギリスの加盟に反対した。彼の死後、1973年にイギリスはECに加盟した。
ECは1993年にマーストリヒト条約でEUになり、1999年に統一通貨「ユーロ」を導入したが、イギリスはこれに参加しなかった。イギリスには大英帝国の盟主だったというプライドがあるので、自国中心ではない国際機関への参加には消極的で、大陸諸国も英米に対する警戒心が強かった。
ブリュッセルのEU委員会に行くと、イギリスとの文化の違いを感じる。基本的に政府を信用しないで市場に任せる英米人とは違い、大陸のヨーロッパ人は規制が好きで、キュウリやバナナの曲がり具合まで域内で統一しようとする。こうしたEU官僚の過剰介入には、イギリスはいつも反対してきた。
こうした葛藤が一挙に噴出したのが、イスラム難民問題だった。EUは域内の人の行き来は自由だが、EUに入るときの審査は厳しく、移民は制限していた。しかしドイツなどが低賃金の労働力を求めてトルコなどの移民を認めるようになったため、域外との人の交流も広がった。
ところが2010年ごろから始まった「アラブの春」でアフリカ・中東各地からの難民が大量に流入し、特にシリアの内戦が続いているため、ヨーロッパへの移住を求める難民は500万人にのぼる。これは今までの移民とは桁違いで、宗教も言語も違うため、それを受け入れるかどうかをめぐってEUでも方針がわかれた。
難民を積極的に受け入れたのはドイツのメルケル首相だったが、最近では難民によるテロや暴行事件が多発し、方針転換を迫られている。フランスでも「イスラム国」の大規模なテロが続発した。
そういう中で、イギリスは「シェンゲン協定」(EU域内でビザなしで入出国できる協定)にも参加せず、イスラム難民の受け入れにも消極的だった。それに対してEU委員会が難民の割当を決め、昨年は30万人以上の移民がイギリスに入国した。
これに労働者は「職を奪われる」と反発し、保守党の中にもEUの規制に反発する動きが強まった。こういうゴタゴタに決着をつけようと、キャメロン首相が国民投票を決めたのが失敗だった。イギリスは、1973年以前の孤立状態に戻ってしまった。
■「人のグローバル化」が混乱の原因
今回の騒ぎは、20世紀以来のグローバル化の転換点になるかもしれない。アメリカでも大統領候補のドナルド・トランプはイギリスのEU離脱を賞賛し、イスラム難民や不法移民を排除する方針を表明している。フランスでも極右政党が移民の排斥を主張し、スペインやポルトガルやオランダでも同様の動きが強まっている。
彼らが敵視しているのは貿易や資本のグローバル化ではなく、難民や移民などの人のグローバル化である。本来のEUは「キリスト教共同体」だったが、その後、崩壊した東欧諸国などを吸収して28カ国に膨張した。この多様な国が、1つの価値観を共有することは困難だ。
その失敗の始まりが、ユーロの導入だった。これが2010年代に金融危機に発展し、南欧諸国を援助するドイツが債務国の財政に介入する「ドイツ帝国」的な様相になった。これはまだ南欧に限られていたが、今回の難民問題は全ヨーロッパに拡大した。
資本のグローバル化で世界を制覇したのは大英帝国だが、彼らが行った人のグローバル化は、奴隷貿易だけだった。植民地から搾取した富で「福祉国家」をつくり、イギリス人だけがその恩恵にあずかるのが大英帝国のグローバル化だった。
■ヨーロッパ統合の理想は終わった
EUのもとになったのは、第1次世界大戦後に盛り上がった「世界は1つ」という理想主義だった。アメリカのウィルソン大統領は国際連盟をつくり、ヨーロッパではカレルギー伯爵が「汎ヨーロッパ主義」を提唱した。
第2次大戦後に、2度と戦争を起こさないために「ヨーロッパを1つ」にする動きが始まったが、グローバル化はヨーロッパを超えて拡大する。特に20世紀末から新興国の低賃金労働者が先進国の労働者の雇用を奪い、賃金が全世界で均等化する大収斂が始まった。
イスラムは国家を認めず、神の支配は全世界に及ぶので、イスラムの信仰さえ共有していれば、世界のどこにでも住むことができる。イスラムはキリスト教より徹底した「超グローバル宗教」なのだ。
他方ドイツはユダヤ人を虐殺した贖罪意識から、基本法で「政治的に迫害される者は庇護権を享受する」と定め、イギリスもフランスも、第1次大戦後にサイクス=ピコ協定で中東を分割したことが今日の混乱の遠因になっていることから、イスラム難民を全面的には拒否できない。
こうした歴史や文化を背負った「人のグローバル化」は、資本のグローバル化よりはるかに難しい。このままでは脱退する国が相次ぎ、EUは崩壊してしまうだろう。ヨーロッパ統合の理想を捨て、ユーロを廃止して、初期のゆるやかな自由貿易圏に戻ったほうがいいかもしれない。
東アジアでも北朝鮮の政権が崩壊すると、戦争が起こるリスクは小さくない。中国の政権が崩壊したら、億単位の難民が発生するかもしれない。ヨーロッパの大混乱は、他人事ではないのだ。
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