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EU離脱の結論に、辞意を表明したキャメロン首相〔photo〕gettyimages
イギリスEU離脱の世界史的インパクト〜私たちが受け取るべき「2つの重大警告」 歴史はまた繰り返すのか?
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49015
2016年06月27日(月) 笠原敏彦 現代ビジネス
■EUの存在意義がパラドックス化
「イギリスさん出て行かないで!」
世界中が懇願する中で、イギリスは23日に実施した国民投票で欧州連合(EU)離脱という選択をした。
歴史は動いた。否、明らかに大きく後ずさりした。相互依存を強める世界において国境のない新たな統治モデルを追求するという歴史的な実験「ヨーロピアン・ドリーム」はその輝きを失ったのである。
* * *
イギリス離脱が持つ意味を最もよく物語っていたのは、EUの事実上のリーダーであるメルケル独首相の記者会見での悲壮な表情だろう。
“イギリス国民の決定を残念に思う。欧州と欧州統合プロセスにとって今日は分水嶺となるだろう。我々は取り乱すことなく、冷静であらねばならない”
そう語ったメルケル首相自身が動揺していた。
EUは今、創設以来最大の危機にある。ほぼゼロ成長が続く経済、10%近い失業率、未解決のギリシャ債務危機、難民危機、続発するテロ、加盟各国で台頭するポピュリスト政党……。
イギリスの離脱はEUの遠心力を加速させ、EUが解体に向かうシナリオさえ排除されなくなった。「ベルリン=パリ=ロンドン」のトライアングルにより微妙に保たれてきたEUのパワーバランスは瓦解した。
欧州統合プロジェクトとは元々、知恵に長けたフランスが戦争責任のトラウマから脇役に徹するドイツの経済力を生かして牽引してきたプロジェクトだった。そこに現実主義・合理主義的なイギリスが途中参加し、EUの市場経済化や外交・安全保障面でイニシアチブを取ってきたという経緯がある。
ユーロ危機を契機に欧州の指導国となったドイツ。イギリスがいなくなれば、フランスの影響力低下とあいまって、ドイツの存在感ばかりが際立ってしまう。またしても、欧州につきまとう「ドイツ問題」という亡霊の登場である。
二度の大戦を引き起こしたドイツを「押さえ込む」ことが目的だったはずのEUは、その存在意義がパラドックス化する。ショイブレ財務相は独誌シュピーゲル(6月10日)のインタビューでドイツの苦悩を次のように語っている。
“人々はいつもドイツにリーダーシップを求める。しかし、ドイツが指導力を行使した途端に我々は批判されるのである。EUはイギリスがいることによってバランスがとれていた。イギリスが関与すればするほど、欧州はうまく機能してきた”
欧州の「ドイツ恐怖症」は消えていない。歴史を振り返れば、19世紀後半の「栄光ある孤立」などイギリスが欧州と距離を置くとき、大陸欧州は不安定化してきた。
「歴史の教訓は、イギリスの孤立主義はしばしば、欧州大陸の分裂と結びついてきたということである」
ニーアル・ファーガソン米ハーバード大教授はこう指摘している。
記者会見で悲壮感を漂わせていたメルケル首相の心中はいかほどだったか。ドイツの歴史に誠実に向き合いながら、欧州のリーダーシップを取らざるを得ないというジレンマ。その心中、察して余りあった。
イギリスは、欧州統合プロジェクトの初の脱落国家となった。離脱は、世界がかつて理想として仰ぎ見たヨーロピアン・ドリームを終焉させるだけでなく、EUが背負った「歴史の清算」という至高の目標すら台無しにしかねないのである。
■2つの大きな警告
前回のコラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48954)で、イギリスでは国民投票を行う法的義務はなく、キャメロン首相の判断(勝てるという誤算)により今回の国民投票は実施された、と説明した。自らが信じる「国益」「国際益」をリーダーシップで守る努力を放棄したキャメロン首相に対する歴史の評価は、極めて厳しいものとなるだろう。
それでは、イギリスの国民投票が歴史に刻んだ教訓、警告とは何であろうか。国民投票に至るプロセスとその結果を振り返るとき、イギリスの経験は世界に2つの大きな警告を発しているように思う。
以下、順に説明したい。
第1の警告は、移民問題のタブー視は国家基盤を危うくするということだ。
世界に激震を走らせている「イギリス・ショック」の原点は、2004年に遡る。東欧など10ヵ国がEUに新規加盟したときだ。
EUはヒトの移動の自由と「EU市民」としての平等な扱いを加盟国に義務づけている。しかし、加盟国はこのとき、東欧の人々への7年間の就労制限を認められた。ほとんどの加盟国がこの権利を行使する中、当時のブレア労働党政権は門戸を開放するという寛容な政策を取った。
その結果、イギリスに住むEU移民は2004年〜2015年の12年間に100万人から300万人へと急増することになる
しかし、問題の本質は移民の規模ではない。イギリスが門戸を開きながらも、移民を単なる労働力とみなし、決して歓迎することなく、さまざまな不満の声を放置してきたことこそが「移民問題」という危機の本質なのだ。
イギリス政府は、移民の低賃金労働(搾取)を看過し、「移民に仕事を奪われている」という労働者層の不満や、医療や教育、公共住宅など公共サービスの低下で不満を強める国民の声と真剣に向き合ってこなかった。
そして、イギリスでも移民問題を論じることはタブー視されるようになった。移民問題は容易に「人種差別批判」へ転じてしまうからだ。背景には、行き過ぎた「政治的公正さ(ポリティカル・コレクトネス)」が幅をきかせる社会のムードがある。
こうして、EU離脱を掲げる「英国独立党(UKIP)」などポピュリスト政治が増殖する社会的土壌が生まれ、それが、大英帝国の歴史への誇りを背景にしたナショナリズムの盛り上がりと一体化。国民が現状への不満を国民投票にぶつけるという今回の事態を招いたのである。
イギリスのEU離脱の引き金がいかに引かれたかを見極めるとき、そこに浮かび上がるのは、移民問題をタブー視してきた労働党や保守党など既成政党の姿勢である。
イギリス政府が門戸開放の一方で、それに見合うだけ、国民の不満にもっと声を傾けていれば、離脱という最悪の事態は避けることができただろう。
イギリスはもともと移民に寛容な国だった。第2次大戦後、旧植民地からの移民にはイギリス国籍を与えてきた。「イギリス国民とは誰か」と問うとき、「イギリス国王の下に集う人々」と言うほどオープンであり、イギリスに住む英連邦(旧植民地など加盟約50ヵ国)の住民には選挙権を与えているほどだ。
そのイギリスが極めて短期間に「不寛容な国」へと変質し、経済的な損失を覚悟の上でEU離脱という「自傷行為」に走ったことは、世界への大きな警告である。
■エリート主義の敗北
2つ目の警告は、「過半数民主主義の限界」と「エリート主義の敗北」である。
国民投票の結果は離脱支持51・89%、残留支持48・11%で、その差は4%にも満たない。EU離脱の是非という国家の進路を大きく変えるような決定が、1票でも半数を超えればよい過半数民主主義で下されることは何をもたらすのだろうか。
象徴的だったのは、投票日の翌24日、ロンドンの国会議事堂前で残留派の人々が掲げていたボードだ。そこには、「イギリス人であることが恥ずかしい」と書かれていた。
EU離脱をめぐる国民投票は様々な二項対立で説明されたが、その一つが「残留支持のエリート層と離脱支持の庶民層」という構図だった。
ボードの主張は、“理性的なエリート層”の“感情的な庶民層”への侮蔑を示したものとも受け止められ、投票結果がイギリス社会の分断を決定的にすることが深く懸念される。国民のほぼ半数が反対するEU離脱が社会を不安定化させることは間違いない。EU加盟問題が永久の決着をみたということにも決してならないだろう。
解体の危機すら指摘されるEU、欧州統合のプロジェクト自体がその証左である。
冷戦終結後に政治統合へ大きく舵を切り、現在のEUの基本条約となった1992年のマーストリヒト条約はそもそも、承認を求めるフランス国民投票ではわずか51%しか支持されていない。統合の旗振り役であるフランスで半数の支持しか得ていないにもかかわらず、エリート層が強引に推進してきたのが近年の統合プロジェクトの実態だ。
例えば、単一通貨ユーロの導入はその典型だろう。金融政策は加盟国で統一しながら、財政政策は各国でバラバラという構造は、大学の経済学の授業レベルの知識でさえ、「うまくいくはずがない」と判断できるものだろう。統合推進派は、そのユーロを輝かしい理想の象徴としてアピールしてきた。そして、そのユーロが今も、ギリシャのみならず、スペインやイタリアなどを緊縮財政で苦しめている。
イギリスの国民投票は、EUの政治家、エリートへの強烈なウェイクアップ・コールになった。離脱という結果が突きつけたことは、グローバリゼーションという大状況の下で、庶民層とエリート層では社会、世界が全く異なる「プリズム」を通して見えているということだ。
だから、キャメロン首相を始めとした残留派やオバマ米大統領、IMF(国際通貨基金)や世銀といったエスタブリュシュメント層がいくら離脱に伴う「経済的損失」や「国際的な地位の低下」を訴えても、キャンペーン戦略としては功を奏さなかったのである。
■「世界で最も複雑な離婚劇」は始まったばかり
EUのトゥスク大統領(欧州理事会常任議長)はこう語っている。
“完全な統合を急ぐという観念に取り憑かれ、我々は庶民、EU市民が我々と(統合への)情熱を共有していないということに気付かなかった”
EU首脳がここまで率直に反省の弁を述べたのは初めてだろう。
イギリス人は本来、保守的な国民である。急激な改革ではなく、漸進的な進歩を求めてきた人たちだ。それだけに、多くの予測に反してEU離脱という過激な結果が示されたことは、一層衝撃的なのである。
その結果が意味することは、「エリート主義の敗北」である。アメリカ大統領選であれよあれよという間に共和党候補となったドナルド・トランプ氏をめぐる「トランプ現象」、大陸欧州で勢いを増すポピュリスト政党の台頭と合わせ、その潮流は不気味である。
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イギリスのEUからの離脱という「世界で最も複雑な離婚劇」(フィナンシャル・タイムズ紙)は始まったばかりだ。
1973年に加盟したイギリスが欧州と43年間にわたって積み上げてきた無数のブロックのひとつひとつを、いかに全体を崩壊させずに引き抜き、両者の間にどのような新たな橋を築いていくのか。
イギリスでは「ブリクジット省」の創設が必要になるのではないかと指摘されるほど煩雑で、未知の領域に入っていくプロセスである。この離婚劇は、世界にとっても、経済面は言うに及ばず、国際政治の面においても極めて高くつくものとなるだろう。
笠原敏彦 (かさはら・としひこ)
1959年福井市生まれ。東京外国語大学卒業。1985年毎日新聞社入社。京都支局、大阪本社特別報道部などを経て外信部へ。ロンドン特派員 (1997〜2002年)として欧州情勢のほか、アフガニスタン戦争やユーゴ紛争などを長期取材。ワシントン特派員(2005〜2008年)としてホワイ トハウス、国務省を担当し、ブッシュ大統領(当時)外遊に同行して20ヵ国を訪問。2009〜2012年欧州総局長。滞英8年。現在、編集委員・紙面審査 委員。著書に『ふしぎなイギリス』がある。
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