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蘇った負の歴史、米国名門大学に奴隷売買の過去 「あなたの先祖は、大学が売り飛ばした奴隷でした」
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投稿者 軽毛 日時 2016 年 6 月 21 日 08:31:36: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

蘇った負の歴史、米国名門大学に奴隷売買の過去
「あなたの先祖は、大学が売り飛ばした奴隷でした」

2016.6.21(火) 老田 章彦

かつて米国の大学は奴隷売買に手を染めていた(写真はイメージ)

 南部ルイジアナ州のバトンルージュに住むマキシン・クランプ(69)は、地元のテレビでは初の黒人司会者として活躍した女性だ。2016年2月、マキシンにかかってきた1本の電話は、驚くべき知らせをもたらした。

「あなたの高祖父(祖父母の祖父)が判明しました。彼の名はコーネリアス。あなたの町のすぐ近くの農場で奴隷として働いていました」

 コーネリアスという名には馴染みがあった。マキシンの一族にはコーネリアスと名づけられた者が何人かおり、先祖から受け継いだ名であることは分かっていた。だが家系の情報は途切れており、どれほど調べても先祖のコーネリアスに行きつくことができずにいた。

「なんということかしら! ああ神さま・・・」

 思いがけない知らせに感激したマキシンは、話の続きを聞いて強い衝撃を受けた。高祖父コーネリアスがルイジアナに来たのは、ある大学が行った奴隷売買によるものだったというのだ。

大学の奴隷所有が当たり前だった時代

 1838年の秋、首都ワシントンの河港にはルイジアナ行きの船に積み込まれる黒人奴隷の姿があった。272人の男女のなかには生後2カ月の子を抱いた母親や妊婦、親と引き離されて泣き叫ぶ子供もいたとNYタイムズ紙は描写する。

「なぜこのようなむごい仕打ちを」「神さまにお祈りするためのロザリオをください」と声をあげる奴隷もいたが、無視され、船倉へと追い込まれていった。その中に十代半ばのコーネリアスの姿もあった。

 奴隷たちをルイジアナの農場に売り渡したのは、カトリックの修道会であるイエズス会が運営するジョージタウン大学だった(写真)。1789年にワシントンで創立された名門校だったが、当時は経営難から存続の危機に陥っていた。経営難に苦しむ学長(イエズス会の神父)は、起死回生の策として奴隷の売却を決めたのだった。

(ワシントンに隣接するメリーランド州にはイエズス会が所有する農場があり、そこで働く労働者の中には、裕福なカトリック信者から寄進された奴隷が含まれていた。)

1789年にワシントンで創立されたジョージタウン大学
(* 配信先のサイトでこの記事をお読みの方はこちらで写真をご覧いただけます。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47113

 奴隷の労働によって経営が成り立っていた大学は、ジョージタウンのみならずハーバードやコロンビア、ブラウンなど数多い。当時は、宗教団体であるイエズス会ですら、奴隷の所有は「不道徳な行いではない」と認識していた。

反対論を押し切って奴隷売買を強行

 だが奴隷の売買ということになると、イエズス会にも躊躇があったらしい。ルイジアナなどディープサウスでは奴隷の待遇が過酷になりがちなことが知られていた。

 さらに神父たちが最も頭を悩ませたのは信仰の問題だった。カトリックに改宗させられていた奴隷たちは、毎週教会でミサを受けていたが、もしもそれが続けられなくなれば地獄に落ちると信じられていたのだ。

 これについてローマのイエズス会本部は「彼らを地獄へ落とすよりは、(大学が)経済的に困窮する道を選ぶべきだ」として、奴隷の売却に反対していた。だがジョージタウン大学の学長は奴隷272人の売却を強行。現在の貨幣価値にしておよそ3億5000万円の利益を得た。

 このことはカトリックの総本山であるローマ法王庁の知るところとなり、激怒した法王グレゴリウス16世(1765〜1846年)は、カトリック教徒による奴隷売買はいかなる理由があっても禁止する勅令を発した。

 その後、ルイジアナを訪ねたイエズス会の神父が、奴隷たちが過酷な待遇に苦しんでいることや、地域にカトリック教会がなくミサが受けられない状況にあることをワシントンに伝えたが、売却益は大学の借金返済などに消えており、すでに打つ手はなかった。

人種差別の罪に時効はない?

 近年アメリカでは、黒人への暴行致死事件などをきっかけに反人種差別の運動が再燃し、全米の大学に広がっている。

 ミシガン大学では、白人とアジア系が大半を占める学生団体が、黒人をイメージさせる「ラッパー」や「ギャング」をテーマとする仮装パーティーを行い、学内に人種間の強い緊張が生まれた。学内は一触即発の状態となり、差別とどう向き合うのかについて考える学生と教員の対話集会が12時間にわたって行われた。

 100年前の人種差別も火種になっている。名門プリンストン大学には第28代アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソン(在任1913〜1921年)の名を冠した大学院がある。ウィルソンに人種差別を容認する言動があったことは衆知の事実だが、近年そのことを改めて糾弾する学生の声が強まり、大学院からウィルソンの名を外そうという運動が巻き起こった。

 過去の「罪」と向き合う作業はジョージタウン大学でも始まった。2015年8月、奴隷売却の事実関係を調査するワーキンググループが学内に組織されると、過去の徹底的な清算を求める学生がデモや座り込みを行い、11月には奴隷の売却に関わった2人の学長の名前を構内のビル名から外す措置が取られた。

卒業生も乗り出した子孫探し

 大学のワーキンググループとは別に、売り飛ばされた奴隷の子孫を探し出すプロジェクトを立ち上げた卒業生がいる。

 会社経営者で敬虔なカトリックであるチャード・セリーニ(52)は、人種問題にさして興味はなく、奴隷の歴史についても深く考えたことはなかった。だが、母校の学生デモを通じて奴隷売却のことを知り、長いあいだ子孫探しが行われてこなかったことに強い失望を感じた。

「彼らは名前も顔もない存在だったのではありません。確かにそこで生き、子孫をもうけた人たちなのです」

 奴隷について考え始めたら止まらなくなったというセリーニは、それから2週間のうちに子孫探しのNPOを立ち上げ、同級生と協力して基金を集め、8人の系図学者を雇うと、大学のワーキンググループと手分けして作業を始めた。

 セリーニたちが数カ月後に「発見」したのがコーネリアス少年だった。コーネリアスの消息は、売却先の農場の名簿に一度現れたきり長く途絶えていたが、南北戦争後に行われた1870年の国勢調査に再びその名が現れた。このときコーネリアスは48歳。妻と子をもつ自由市民となっていた。

カトリック信仰がつないだ家族の糸

 だが、こうした役所の記録だけではコーネリアスの子孫にたどりつくことはできなかった。決め手となったのは教会の記録である。

 コーネリアスは敬虔なカトリック信者だったが、奴隷時代には近くにカトリック教会がなく、正式な結婚式を挙げられなかったため、人前式で済ませるしかなかった。50代になってから念願がかない、教会で式を挙げることができた。

 そのときの記録を足掛かりに、コーネリアスをはじめ子や孫たちの出生、洗礼、結婚、葬儀といった教会の記録をたどることで、セリーニたちは玄孫のマキシン・クランプにまでたどり着くことができたのである。

 カトリックの修道会によって売られた奴隷が守り抜いた信仰が子孫をたぐり寄せる糸となったことに、悲しい皮肉を感じる。

明るい将来を作り出すためには

 マキシン・クランプにとって、先祖との再会は大きな喜びだった。自分が生まれ育った町のすぐ近くにあったコーネリアスの墓を見つけ、お参りすることもできた。

「心に浮かび上がってきた先祖の姿が、日に日にはっきりと感じられるようになっています」

 マキシンは、テレビからの引退後はルイジアナでの根強い人種差別について考えるNPOを運営してきた。いま奴隷の子孫の1人として何をすべきか、あらためて考えている。4月末、彼女はリチャード・セリーニとの共同執筆によるオピニオン記事をワシントンポスト紙に掲載した。

 2人は、今もっとも必要なことは謝罪や賠償によって過去を終わらせることではなく、明るい将来を作り出すことだと考えている。その出発点として「奴隷272人の犠牲があったからこそ、現在のジョージタウン大学がある」ことを認めることが大切だという。

 アメリカの大学は、大口の寄付をした人の名を建物につけて貢献を長く称えるほか、寄付者の子孫を優先的に入学させることが珍しくない。ジョージタウン大学も学内に記念碑を設けるなどして奴隷たちの貢献を称え、子孫の優先入学や奨学金の付与を行ってはどうかとマキシンらは提案している。手厚い教育こそが人種間の和解につながっていくと考えるからだ。

 ただし、そのためには272人の奴隷の子孫を1人でも多く探し出す必要がある。特定作業はまだ始まったばかりだ。セリーニの推計では1万2000人から1万5000人の子孫がいると見られ、調査は個人の手には負えない。イエズス会とジョージタウン大学はただちに大規模なプロジェクトを立ち上げ、外部の研究者との十分な協力体制を整えるべきだと2人は訴えている。

 ジョージタウン大学と同様に過去に奴隷制度に関与していたことを公式に認めた大学はハーバードをはじめ十指に余る。その過去とどう向き合うのか。百数十年がたった今、謝罪や賠償は必要なのか。そもそも償おうとして償えるものなのか。

 蘇った負の歴史が、アメリカ人に多くのことを問いかけている。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47113  

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