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知日派、王毅外相の突出した「日本たたき」[日経新聞]
編集委員 中沢克二
2016/6/1 6:30
中沢克二(なかざわ・かつじ) 1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞
「日本は南シナ海問題を大げさに騒ぎ、緊張を宣伝している。G7(主要国首脳会議)は世界経済を論議する場なのに、日本はそれを利用し、ケチなソロバンをはじき、小細工をした」
中国外務省の伊勢志摩サミットの成果に関する公式論評である。まるで北朝鮮の宣伝放送なのかと見まごう口調だ。
■日中外相会談での高圧姿勢
これで驚いてはいけない。4月30日、北京で開かれた日中外相会談では、外相同士の高尚な協議の場のはずなのに、これと同様か、それ以上に高圧的な言葉が外相の岸田文雄に浴びせられた。発言者は中国外相、王毅である。
「誠意があるなら歓迎する」。王毅は会談冒頭の握手場面でも厳しい表情を崩さず、けんか腰にも見える言葉を吐いた。会談のホストとしては極めて異例だ。ここから食事も挟んで4時間、激しい応酬が続いた。
会談の公式ブリーフには出ていない王毅の激しい言葉は、在京の外交関係者らに少しずつ漏れ、大きな話題になったほどだ。細かいニュアンスが分かるよう英語に訳した場合、聞くに堪えないやり取りになる。攻撃性を帯びた余計な一言も多い。岸田は冷静だった。「ミスター・キシダは、これでよく耐えましたね」。中国と距離のある国の外交筋からは、こんな感想まで出たという。
実は、温厚さで知られる岸田も反論はしている。「立場を述べるだけなら外務報道官でもできる。立場の違いを認識した上でどうするのかを考えるのが外務大臣だ」。その場に気まずい雰囲気が漂ったのは想像に難くない。
それでも岸田は激高はしなかった。年内の日本でのハイレベル経済対話(閣僚級)と日中韓首脳会談に道筋を付けたいと考えれば、当然だ。そして9月に中国・杭州で開く20カ国・地域(G20)首脳会議の際、首相の安倍晋三と、中国国家主席、習近平の首脳会談を実現する必要がある。
もう一つ、王毅が主導した「事件」が起きた。伊勢志摩サミットの初日だった5月26日。あえてその日に当てて、北京で記者会見を開いたのだ。G20の意義を強調し、G7に南シナ海問題を扱わないよう要求する中身だった。異例である。中国で外相が自ら記者会見するのは、年に1度、3月の全国人民代表大会(国会に相当)の時ぐらいしかないのだから。
この記者会見には国際的な影響力を持つ欧米メディアも出ている。いくら「G20の100日前」との理由を付けても、「G7を邪魔しようとする意図は明らか」と揶揄(やゆ)されるのは目に見えていた。逆効果だ。それでも王毅は、中国外務省の“気骨”を見せるため開催せざるを得なかった。
中国当局の矛先は、南シナ海問題を含めたG7の議論を主導する日本と、首相の安倍晋三に向いている。だが、米大統領、オバマには言及しない。オバマが5月25日の日米首脳会談後の共同記者会見で「南シナ海問題の解決は中国次第だ」と強くけん制したにもかかわらず、である。
「広島訪問で全世界の注目を浴びる米大統領を直接攻撃すれば逆効果だ、との計算が働いたのは確かだろう」。アジア外交筋の見方である。
■若き日から中国外務省のエース
日本政府内には王毅への不信感が漂う。だが、それだけでは生産性に乏しい。なぜ王毅がこんな態度をとるのか詳細な分析が必要だ。そこには、なかなか深い闇がある。
62歳の王毅は、1960年代終わりから黒竜江省でいわゆる「下放」を経験する。その後、25歳という年齢で北京第二外国語学院に入学し、日本語を専門に学んだ。29歳で中国外務省で仕事を始めたなかなかの苦労人である。その後は日本畑から順調に昇進し、駐日中国大使を務めた知日派である。
だからこそ注意が必要だ。中国共産党の内部、軍内には反日機運が残る。ともすると「日本びいき」と後ろ指をさされかねない。外相就任後、3年もたつのに対日関係の表舞台に出るのを慎重に避けてきたのはそのためだ。
他国に比べ中国での外相の地位は極端に低い。王毅は200人以上いる党中央委員の一人にすぎない。日本の場合、外相は重要閣僚で、中国で例えるなら「チャイナ・セブン」といわれる党政治局常務委員クラス。米国でも外交を担う国務長官の地位は極めて高い。記憶にある範囲で、中国の外交畑から副首相、党政治局委員にまで昇進したのは1990年代の銭其●(たまへんに探のつくり)の例くらいだ。
「王毅には外務省の地位格上げを狙って国務委員から副首相、あるいは党政治局委員まで狙ってほしい。本人も一段の出世のためには日本と関わらないほうがいい、と思っているのでは……」。こんな臆測まで中国内にある。
一般社会で中国外務省は誤解を受けやすい立場にある。「特権意識があり、外国の立場ばかりおもんぱかる骨のない輩(やから)の集まり」と見られがちなのだ。
「外国と渡り合うために、骨を強くするカルシウムを飲みなさい」。そんな意味を込めて外部から「カルシウム剤」が外務省に送りつけられる事件も実際にあった。激励に見せかけた揶揄だ。最近はあまり聞かない。それが王毅の一連の「強い外務省」というパフォーマンスの結果なのかは不明だが。
■習近平ら「紅二代」ともパイプ
「王毅は、習近平ら『紅二代』(共産党・政府の高級幹部の子弟)とのパイプも持っている」。王毅の人脈に関してこんな声が中南海の動きを観察する関係者から聞こえる。カギは岳父だという。王毅の妻の父は、中国外務省の幹部だった。しかも長く首相(外相も兼任)を務めた周恩来の外交面の政治秘書を務めていた。
ちなみに王毅の妻も東京での勤務経験がある。
こんなエピソードも残っている。1980年代に総書記を務めた胡耀邦が訪日した際、日本での演説の草稿を書いたのは、まだ下積みの外務省員だった若き王毅だ。胡耀邦は、ほんの少し直しただけ。「非常によく書けている」と褒めたという。人脈と共に実力も認められ王毅は出世の階段を昇っていく。若くして中国外務省のエースといわれるようになった。
王毅は2月の訪米時、ワシントンの米戦略国際問題研究所(CSIS)で講演し、台湾問題で驚くべき発言をした。5月に発足する台湾の蔡英文民進党政権に「現行憲法」の尊重を要求したのだ。蒋介石・国民党政権が大陸で制定した中華民国憲法が「一つの中国」を前提にしているとの解釈からだ。
しかし、これは中国国務院台湾弁公室の専管事項である。中国外務省は所管外だ。「越権行為が許されたのは上層部とのパイプゆえだ」。外交関係者の見方だ。上層部とは習近平と、その周辺を指す。
なにかと注目される王毅は今、事実上、初めて対日外交の現場に出てきた。「中国の主張を押し通すため踏ん張った」。そんな評価を中国内から得たいのは分かる。だが、中国外交の責任者で知日派なら、堂々と対日政策の最前線に立ち続けて仕切るべきだ。かつて培った日本各界とのパイプもなお生きているはずだ。
実は王毅の趣味はテニス。腕は相当なものだ。かつて彼には北京駐在の外国人記者らを慰労するため共にテニスを楽しむようなおおらかさもあった。理念の違う西欧諸国、日本を含む周辺国とも協調することで中国の経済発展を目指す姿勢は明確だった。
膠着している日中関係の修復、前進は極めて重要である。カウンターパートの日本側にも「押してだめなら引く」といった老練な手法が必要だろう。オバマの広島訪問で歴史的な“和解”を果たした首相の安倍も自信を持って対中関係の再構築を考えるべきだ。日本と中国の真の和解は極めて難しい。だからこそ目指す価値がある。(敬称略)
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO02935230Z20C16A5000000/
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