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アメリカ・オハイオ州のトランプ氏の集会で起こった衝突の様子。(c)AFP/Brendan Smialowski〔AFPBB News〕
政治的対立を生み出す遺伝子と環境要因 右か左か、対立の根底にある人間のサガ
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46930
2016.5.27 矢原 徹一 JBpress
私たちは人類史上で最も良い時代に生きている。現代は、暴力や病気によって命を落とすリスクが最も小さい時代であり、子どもたちが生きて大人になることが当たり前の時代であり、高度で公平な教育が最も普及した時代である。
とはいえ、社会には今なお深刻な対立が残っている。私たちはなぜ対立するのだろうか。そしてその対立を乗り越えるには、どのような道があるのだろうか。
未来社会のビジョンについて考える上で避けて通れない問題がある。保守とリベラル、あるいは資本主義と社会主義の間の対立だ。
アメリカ大統領選挙では、共和党のトランプ候補が、人種差別的発言などの点で著しく良識や品位を欠くにもかかわらず、大きな支持を集めて指名獲得を確実にし、話題を呼んでいる。一方の民主党側では、民主社会主義者を自認するサンダース候補が、ヒラリー候補と指名獲得をめぐって接戦を繰り広げている。
さらにトランプ候補の支持者と抗議者の間では対立が深刻化し、流血する事態も発生している。この事態が象徴するように、大統領選挙を通じてアメリカ合衆国の社会には亀裂が深まり、憎悪の連鎖が生じているようだ。
わが国でも、安保法制、原発、TPP、沖縄の基地問題などをめぐって、世論が二分している。冷静な議論と理性的な判断によって合意を追求するのではなく、イデオロギーの違いによって立場が分かれ、異なる立場の間での歩み寄りはほとんど見られない。
私たちはなぜこのように政治的に対立するのだろうか。進化を通じて獲得された「人間の本性」という視点から、この問題を考えてみよう。
■政治的対立を生み出す遺伝子
人類遺伝学やゲノム科学の研究によって、ヒトのほとんどの性質に遺伝的変異があることが分かっているが、この一般則は政治姿勢にもあてはまる。
2011年に“A Genome-Wide Analysis of Liberal and Conservative Political Attitudes”(進歩的・保守的政治姿勢のゲノム規模での分析)と題する論文がシドニー大学のHatemi博士らによって発表された。ここでは、まず50項目の質問に対する回答から、リベラル〜保守の程度をあらわす個人の数値として「政治姿勢の違い」が評価された。
そして、この「政治姿勢の違い」に有意に相関している遺伝子が探索され、11個の候補遺伝子が特定された。この中には、記憶や学習に関与しているNMDA型グルタミン酸受容体など、脳で発現するタンパク質の遺伝子が含まれている。
政治姿勢はまた、「ビッグファイブ」*と呼ばれる人間の基本的性格因子のうち、開放性と良心性に関係していることが分かっている。
(*)人間の主要な性格因子「ビックファイブ」に関する記事はこちら:「挑戦!本当の思考力を問う3つの大学入試問題」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46152
開放性とは、いろいろな経験を好む性質であり、開放性が強い人ほど、リベラルな傾向がある。
一方、良心性は目標や規則を守ろうとする性質であり、良心性が強い人ほど、保守的な傾向がある。そして、開放性にも良心性にも、50%程度の遺伝率(個体差の中で遺伝的変異が占める割合)がある。
また、政治姿勢は、認知能力とも相関がある。認知能力が高い人ほど、リベラルな傾向があるのだ。そして認知能力にも、しばしば50%を超える遺伝率が確認されている。
これらの事実から、政治姿勢に関する個人差に遺伝の影響があることは、もはや疑う余地がない。どの程度保守的か、あるいはリベラルかの違いは、体格や顔つきの違い、性格の違い、あるいはさまざまな好みの違いと同様に、人間の個性なのだ。
一方で、支持政党に関しては、遺伝の影響よりも家庭環境の影響が大きいことが分かっている(個人差のおよそ7割は、家庭に代表される共有環境の影響で決まっている)。したがって、同じ政党の支持者の間でも、遺伝的な性質としての保守的か、リベラルかの程度には、大きな個人差があると期待される。
ところが、この個人差を消し去る効果が政党にはある。人は、いずれかの政党を支持すると、その政党の主張を支持し、他の政党の主張に反対するようになりがちなのだ。
■政治的対立を生み出す心理傾向
1954年に行われた、社会心理学の歴史に残る有名な実験によって、集団への忠誠心が集団間の深刻な対立を生み出すことが実証されている。
オクラホマ州のロバーズケイブ州立公園(Robbers Cave State Park)で実施されたこの3週間の実験では、サマーキャンプに参加した22人の少年を11人ずつの2つのチームに分け、他のチームの存在を知らせずに5日間集団生活をさせ、チームのメンバーの結束力を高めた。
そのあと、2つのチームを野球グラウンドで引き合わせ、1週間にわたって互いに競い合う状況に置いた。すると早くも初戦の段階で、敗北したチームは悔しさのあまり、勝利したチームの旗を燃やしてしまい、これがきっかけで2つのチームの間に殴り合いの喧嘩が起きた。この対立は1週間を通じてエスカレートし、総合評価で一方が優勝した日には、大乱闘が発生してしまった。
この「ロバーズケイブ実験」は、政治的な主張がなくても、人間は自分が所属するチームに対する忠誠心と、対抗するチームに対する敵対心を持ち、対戦を通じて対立をエスカレートさせることを明らかにした。
政治的な主張がなくてもこのように人は対立するのだ。そこに政治的な主張が加われば、対立はさらに先鋭化しがちである。アメリカ合衆国の大統領選挙において、トランプ氏の支持者と抗議者の間で生じた流血の事態はまさにその例である。
このような対立の事例は枚挙にいとまがない。日中韓の対立も、安保法制をめぐる対立も、チーム間対立の例である。このようなチーム間対立の特徴は、個々の問題を事実と論理にもとづいて是々非々で判断するのではなく、自分が所属するチームの主張への支持が結論として先にあり、その結論に都合のよい証拠が持ち出される点だ。言いかえれば、理性よりも直観が優先されるのだ。
■なぜ理性よりも直観が優先されるのか?
政治的な問題を判断するという重要な局面において、なぜ私たちは理性を使ってしっかり考えずに、直観で判断してしまうのだろうか。
この疑問に答える上での重要な手がかりが、脳に損傷を受けた患者の行動から得られている。この証拠については、神経科学者であるアントニオ・ダマシオ(A. Damasio)が1994年に出版した著作“Decartes’ Error: Emotion, Reason, and the Human Brain”(邦訳:『デカルトの誤り−情動、理性、人間の脳』ちくま学芸文庫、2010年)に詳しく紹介されている。
「前頭前皮質腹内側部」と呼ばれる脳の領域が損傷した患者は、思考力や知能は正常なのだが、喜びや恐怖を感じることができない。このように情動だけに障害を持つ患者は、何が正しく何が間違っているかを理解できるにもかかわらず、日常生活におけるさまざまな判断がうまくできず、何も決められない状態で混乱した生活を送る。
この観察から、ダマシオは「合理的な思考には情動や直観が必須である」という結論を導いた。前頭前皮質腹内側部が司る情動は、瞬時のうちに嬉しいことを受け入れ、恐怖を拒絶する。しかし、この働きがないと、人間の思考はあらゆる外界からの刺激に対して合理的な判断をしようとする。その結果、あまりにも多くの選択肢の中で、何も決められずに混乱するのだ。
情動は、外界からの刺激に対して即座に判断を下すための「システム1」*と呼ばれる認知システムに組み込まれている。「システム1」は日常生活においてある程度妥当な判断を下すための効率の良いシステムだが、しばしばさまざまな間違いをおかす。
たとえば私たちは自分が好意を持った人の主張を信じやすい(ハロー効果)。また、直観的に結論を決めてしまうと、その結論に都合が良い事実しか見ないようになる(確証バイアス)。このような「システム1」の問題点については、ダニエル・カーネマン著『ファースト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)に詳しく紹介されている。
即座に判断を下すための「システム1」の中で、情動は道徳的判断と結び付いている。笑顔の赤ん坊をやさしく抱く母親を見れば、私たちは即座に好ましいと判断するし、泣き叫ぶ赤ん坊のそばで平然と携帯画面に見入っている母親を見れば、なんてひどい母親だと考える。そしてこのような道徳的判断こそが、さまざまな対立の根源にあるのだ。
(*)認知システム(日常的な判断を担う「システム1」、科学的思考を担う「システム2」)について詳しくはこちら:「『リーダー脳』は手抜きしない!科学的思考の鍛え方」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45017
■保守とリベラルの道徳感の違い
政治的対立と道徳の関係を考える上で非常に重要な著作がある。道徳心理学者Jonathan Haidtによる2012年の著作“The Righteous Mind”(邦訳:ジョナサン・ハイト著『社会はなぜ左と右にわかれるのか─対立を超えるための道徳心理学』紀伊国屋書店、2014年)である。
Righteousは道徳的に正しい、という意味だが、言うまでもなく「正義 right」に「右派right」の意味がかぶせてあり、「正義 right」はしばしば「独善的である self-righteous」という皮肉をこめたタイトルである。
ハイトは、道徳に関する彼の心理学的研究の成果を解説する前に、彼自身がどうやって道徳を客観視できるようになったかについての体験談を語っている。
彼はニューヨークで生まれ、リベラルな思想を持つ家庭で育ち、リベラルな校風のイエール大学で学んだ結果、リベラリズムこそが倫理にかなっていると考えていたという。彼が信じたリベラル派の道徳感を支えている基盤は、弱者への思いやり(ケア)と差別に反対する平等主義(公正)だ。この道徳感を持つ若いハイトにとって、保守主義は強者を擁護し、差別を容認する点で、許しがたいものに思えたという。
しかし、文化心理学の研究のためにインドに3カ月間滞在し、共同体の倫理が卓越した社会を理解しようと努める間に、道徳の基盤がケアと公正だけではないことに彼は気づいた。
その結果、リベラル派の党派心から解放され、「リベラリズムも保守主義も、よき社会を真剣に追求しようと心がけていることに変わりはない」と考えるようになったという。
■道徳の6つの基盤
彼はその後の研究を通じて、道徳には6つの異なる基盤があるという結論を得た。その6つとは、「ケア」と「公正」に加え、「忠誠」「権威」「自由」「神聖」だ。そしてこれらの6つの基盤は、人間が適応進化の過程で獲得したものだと考えた。ハイトの結論は、さまざまな道徳研究の中で、人類遺伝学や進化学の研究成果ともっとも整合性があり、説得力が高い。
以下ではハイトの道徳基盤理論について、簡単に紹介しよう。なお、ハイトの著作や論文を読んだうえでの、私なりの理解にもとづく要約なので、説明の流れはハイトのそれとは多少違っている。
(1) ケアは、子どもに対する親の愛情に進化的ルーツがある。同様の情動は動物にもあるが、人間においては、自分の子だけでなく、他人の子や、弱者一般に対する愛情、思いやりへと拡張されている。その結果、思いやりのない人間は、嫌われる。これが、道徳の1つの重要な基盤だ。
(2) 公正は、狩猟採集社会における狩りへの協力や、獲物の公平な分配にルーツがある。狩猟採集社会では、不正をした者に厳しい制裁が与えられた。その結果、ルールを守る性質(良心性)が進化を通じて強化された。交易が開始された後は、商取引における公正さが重要な道徳になった。
(3) 忠誠は、「ロバーズケイブ実験」で実証された心性だ。私たちには、所属するチームに対して自己犠牲をいとわず、他のチームに対する敵対心を抱く傾向がある。愛国心や愛社心はその一例であり、スポーツチームやアイドルグループへのファン心理にもこの傾向が見られる。
忠誠心は、狩猟採集社会における争いを通じて進化したものだ。狩猟採集社会の部族では、母方と父方の家族が協力して暮らしていたが、部族間ではしばしば激しい争いがあった。このような争いの下で、部族の結束力を高める性質として進化したのが忠誠心だ。
(4) 権威を尊ぶとは、強いリーダーに敬意を払い、服従することだ。この性質は、農業が発達し、社会が階層化した後に強化されたものと考えられる。それ以前の狩猟採集社会は平等な社会であり、強いリーダーを必要としなかった。
ただし、私たちに近縁なチンパンジーやゴリラを含む多くの霊長類では、群れを支配し、資源を独占するボス(動物行動学ではアルファ雄と呼ぶ)がいる。この「順位制」を支える性質がヒトにも引きつがれ、農業以後の社会で強化されたのだろう。
(5) 自由を好む性質は、アルファ雄が支配する順位制社会から平等主義的な狩猟採集社会に移行する過程で、支配に反発する性質として進化したものと考えられる。この移行を支えたのは、おそらく言語による規則の共有である。平等主義的な社会が成立するには、支配者としてふるまってはいけないという規則の共有が必要だったはずだ。
したがって、自由を好む性質は、公正を重視する性質と関係があり、ハイトは研究の初期には両者を同一視していた。この性質はまた、権威を尊ぶ性質とは対立する側面がある。公正・自由基盤と権威基盤はいずれも良心性と呼ばれる性格因子と関係しているが、公正で自由な取引のルールを守ろうとする良心と、階層制社会におけるルールを守ろうとする良心は、必ずしも一致しないのだ。
(6) 神聖を尊ぶ性質が道徳の基盤の1つであるという考えは、ハイトのユニークな主張だ。私たちには汚れたものを嫌う性質がある。死体や糞尿を見るのは誰しも嫌だ。これは、病原体の感染を避けるという衛生観念として進化した心性だろう。ここまでは納得がいく。
ハイトはこの心性が変化して、もの(国旗や十字架など)、場所(聖地)、人物(聖者)などを神聖視する道徳基盤が生じたと主張している。この主張にはまだ証拠が不足していると思うが、私たちが神聖なものを冒涜されることに強い怒りを抱くことは事実だ。そして厄介なことに、何を神聖と考えるかは、人によって大きく異なる。
ハイトは、これら6つの道徳基盤のどれを重視するかについて調査を行い、リベラル派と保守派の間で大きな違いがあることを発見した。リベラル派が重視するのは、ケア・公正・自由基盤の3つだ。これに対して、保守派は権威・忠誠・神聖を含む6つの道徳基盤をいずれも重視する。この違いに、リベラルと保守の対立の火種がある。
■どうすれば対立を乗り越えられるか?
私たちの政治的対立に、遺伝的影響や道徳的基盤の個人差があるとすれば、どうやってこの対立を乗り越えることができるだろうか。
集団間の対立がエスカレートする過程を検証した「ロバーズケイブ実験」には、実は続きがある。実験の第3ステージでは、貯水タンクの元栓を閉めて蛇口から水が出なくなるという事態を仕組み、敵対するチーム同士が協力せざるを得ない状況を作りだした。
その結果、少年たちは協力して水が出なくなった原因を探し、貯水タンクの元栓が閉まっていることを突き止め、事態を解決した。同様な困難が何度か仕組まれ、共同作業によって困難を乗り越える経験を積むうちに、チーム間の対立は次第に解消されていった。
このように、対立する課題をわきにおいて、上位の課題について協力する体験を共有することは、あらゆる社会的対立を解決する王道だ。自衛隊を違憲と考える人であっても、災害の現場で自衛隊員と協力する経験を積めば、自衛隊に対する反感は和らぐ。そのときに、お前たちは自衛隊に反対じゃなかったのか、などという野暮な主張をしないことが重要だ。
対立を乗り越える上でもう1つの重要な課題は、対立を助長する制度を改善することだ。リベラル〜保守の政治的傾向に関する個人差を数値化してみると、正規分布(平均値のまわりの回答が多く、両極に向かうにつれて数がへっていく、ベル型の分布)に従うことが分かる。
つまり大多数の人は政治的に中庸なのだ。しかし、小選挙区制や二大政党制はこのベル型の分布を二極化させる制度である。小選挙区制を廃止して比例代表制をとれば、政治的二極化は解消され、中道政党がもっとも多数の得票を得るかもしれない。
そして対立を緩和するためのもう1つの知恵は、哲学者のジョセフ・ヒースが提唱している「スロー・ポリティクス」だ。
スロー・ポリティクスとは、直観を使いたがる脳の弱点を乗り越えて、理性的判断に時間をかける政治のあり方のことである(詳しくはこちら:「美女の誘惑に「即イエス」の決断は正しいのか」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45736
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