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トルコのエルドアン大統領〔PHOTO〕gettyimages
ドイツメディアの「悪ふざけ」にトルコ政府が大激怒! 行き過ぎた「表現の自由」のツケ 頭を抱えるメルケル首相
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48434
2016年04月15日(金) 川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」 現代ビジネス
■ドイツメディアのトルコ叩き
トルコとドイツの関係が危うい。
最初の原因は、3月に北ドイツ放送(国営の第1テレビARDの傘下)で放映された風刺歌だった。トルコのエルドアン大統領をからかった歌で、各フレーズの最後に「エルドーヴィー、エルドーヴォー、エルドーアーン!」というリフレインが入る。
歌の背景には実際のニュースの映像、たとえばトルコ警察がデモの参加者をボコボコに殴っているシーンや、シリアでトルコ空軍がクルド人を攻撃しているシーンなどが流れる。そして、エルドアン大統領のキンキン声も。彼は一時、選挙戦で咽喉を傷め、大切な演説でキンキン声しか出せなかった時期があったのだ。
映像の最後では、エルドアン大統領が何かのイベントで暴れ馬から落馬し、それと同時に歌も終わる。
この歌にトルコ政府が噛み付いた。アンカラで外務省が、ドイツ大使を呼び出して抗議した。呼びつけられたドイツ大使は、メルケル首相が風刺された絵を持参したという。しかし、トルコ人に、風刺画とは何かを説明する気だったのだとしたら、勘違いも甚だしい。自国の首相を風刺するのと、他国の元首をからかうのでは話が違う。
ところが、このトルコ政府の抗議に、今度はドイツのメディアが反発した。「トルコには報道の自由がない」、「トルコの恥知らずの行動」、「ドイツは民主主義国なのだ」といった上から目線の記事から、エルドアン大統領を「ユーモアがわからない男」と皮肉ったものまでトルコ攻撃の満艦飾。「ドイツに住むトルコ人たちは、トルコ政府の反応を過剰だと思っている」と主張したメディアもあった。
しかし私には、この歌を聴いてドイツ人とともに笑ったトルコ人がいたとは思えない。彼らはプライドの高い人たちなのだ。エルドアン氏の支持者であろうが、なかろうが、この歌を聴けば気分を害するはずだ。
いったいどんなトルコ人にインタビューしたのだろう。生粋の反エルドアン勢力か、あるいはクルド人? もしもドイツで日本の首相をからかったこんなビデオが出回れば、私だって怒る。
ただ、メディアがトルコ叩きに余念のなかったこのとき、ドイツ政府はそれにあまり加担しなかった。外務大臣が、「EUのパートナー国が、我々と価値観を共有することを期待したい」というような差し障りのないコメントを出したに過ぎない。すると野党がそれを、「ドイツ政府は難民問題の取引でトルコに弱みがあるので及び腰だ」と非難した。
■ついに「悪ふざけ」が一線を越え
ところが数日後、このゴタゴタは形を変えて先鋭化することになる。
3月31日、今度はZDF(第2放送)のバラエティー番組の中で、ビョーマーマンという若いキャスターが、エルドアン大統領を誹謗(ビョーマーマン氏によれば「風刺」)する詩を披露したのだ。
元々この番組は、政治的テーマを扱ってはいるものの、かなりふざけた軽薄な番組だ。それに、目下のところドイツでは、エルドアン大統領やプーチン大統領は常に悪者なので、ビョーマーマン氏は、エルドアン氏のことなら何を言っても大丈夫と勘違いしていたに違いない。
その結果、悪ふざけは一線を越えた。それが、先日来トルコで燻っていた火種に油を注いだ。
放映の翌日、慌てたZDFは問題の部分を、自局のクオリティーに適合しないとして、オンデマンドから削除した。だから今、それを見ることはできないが、放送のあと視聴者からの苦情が殺到したというから、内容はかなり下劣であったと思われる。
また、メルケル首相も声を上げた。該当の詩を、「トルコ大統領を故意に傷つけるもの」であったと非難し、トルコのダウトオール首相に、その気持ちを伝えたという。
ところが事は収まらず、その一週間後、なんとドイツの警察がビョーマーマン氏、およびZDFの捜査を開始した。ただの風刺詩スキャンダルが刑事問題に変身し始めたのである。
ビョーマーマン氏に掛けられるかもしれない容疑は、「外国の機関、もしくは代表に対する侮辱罪」で、有罪が決まれば最高3年の懲役だそうだ。ZDFが問われているのは、番組の内容に対する責任。ZDFは国営放送である。
独シュピーゲル誌には、そのあとビョーマーマン氏が投稿したというツイートの内容が載った。内閣官房長官宛てのそれには、このように書かれていた。
「私は、風刺のリミットを試すことが許され、望まれ、そしてそれが、文明社会における討論の材料であり得る国で暮らしたいと願っています」
要するに、自分の詩を“芸術”と位置付けたアピールだった。事態の深刻さを自覚していなかったと思われる。それに対して内閣官房長官からは返信はなし。
今年2月、アンカラで会談したメルケル首相とエルドアン大統領〔PHOTO〕gettyimages
■さらなる「弱み」を握られたメルケル首相
ビョーマーマンの容疑、「外国の機関、あるいは代表に対する侮辱罪」というのは、当該国が公訴を要求し、さらにドイツ政府がそれに同意しない限り成立しないというが、案の定、10日になって、トルコ政府がそれを要求してきた。こうなると、公訴の有無はドイツ政府の判断次第となる。
難民問題によって、トルコとの関係はそうでなくても微妙なので、ドイツ政府としては苦しい立場だ。トルコを怒らせてはいけないが、あまりトルコに歩み寄ると、今度は国民が怒る。巷では、「トルコの横暴を許すな、言論に自由を守れ」という声が高く、すでにビョーマーマン支援の署名がネット上で12万件も集まっているという。
さらに12日には、この騒動が夜8時のトップニュースとなり、ビョーマーマン本人には警察の身辺警護まで付いた。
ドイツ政府がトルコに弱みを握られているという野党やメディアの指摘は嘘ではない。とはいえ、別にトルコが悪いわけではない。ドイツ政府が、ギリシャに溜まっている何十万もの難民をトルコに引き取ってもらおうとして、そういうポジションに自分を追い込んでしまったのである。
メルケル首相は、EUの難民問題をドイツ主導で解決するという希望を今でも捨てていない。そのために考え出したのが、トルコとスクラムを組むという方法だった。EUでほとんど味方がいなくなってしまったメルケル氏にとって、いまやトルコこそが最後の頼みの綱なのだ。
しかしトルコは、EUとは国体の違いが大きい。そのトルコに依存する策には、最初から懐疑の声が高かった。それをメルケル氏が強引に押し進めた。そして、この政治的アクロバットが、今、ビョーマーマン氏のおかげで、メルケル氏の罠となってしまった。
一方、トルコにしてみれば、この成り行きを存分に利用するのは当然のことだろう。エルドアン大統領は、どうせいつも独裁者だの、スルタンだのと非難されているのだから、今さら何と言われようが、平気の平左。怖いものなしだ。
■行き過ぎた「表現の自由」
エルドアン大統領の肩を持つ気は一切ないが、風刺について言うなら、私は、西ヨーロッパの「表現の自由」は行き過ぎだと思っている。ドイツの政治家に対しても、普段からかなりタガの外れた質の悪いジョークがまかり通っている。風刺と名付ければ、何をしてもよいはずなどない。
侮辱や誹謗は、言論の自由とは無関係だ。特に、他国の元首や宗教など、国民の信条や感情に直結している敏感な部分を茶化すのは風刺の領域を逸脱している。そういう意味では、私は去年話題になったフランスのシャルリ・エブド社の「イスラム茶化し」にも賛同しない。自分たちの考えや感じ方だけが正しいというような傲慢な態度には、大いに反発も感じる。
しかし、ドイツにはそうは考えない人が多いらしく、11日、新たにエルドアン大統領をからかう歌を作って、ネットにアップしたコメディアンもいる。「エルドアン、僕の歌も有名にして〜」というその歌詞に、私はユーモアも共感も感じない。これが芸術とは聞いて呆れる。
さて、13日にはこのビョーマーマン騒動がEU議会でも討議された。予想通り、ヨーロッパの報道の自由を抑圧しようとするトルコはけしからんという意見が圧倒的だった。それならZDFは、オンデマンドから慌てて引っ込めたビデオを公開したらどうだろう。
これからドイツ政府はどうするのか。トルコの要請を受け入れるのか、拒絶するのか。トルコは、最高裁まででも争うと意気込んでいる。
いずれにしても、軽率なキャスターのせいで、こんな状況に追い込まれてしまったメルケル首相、まさに怒髪天を衝く心境であろう。
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