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ネオコンに操られてきたウクライナの首相が辞意を表明、EU幻想に踊らされた人びとの厳しい現実
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201604100001/
2016.04.11 02:45:56 櫻井ジャーナル
ウクライナのクーデター政権で首相を務めてきたアルセニー・ヤツェニュクが辞意を表明、後任は国会の議長を務めるボロディミール・グロイスマンになるようだ。ヤツェニュクはクーデターを仕掛けたネオコン/シオニストの操り人形だが、東部と南部でロシア語系住民の排除、つまり「民族浄化」に失敗し、経済は破産状態で、国内は混乱の度合いを強めていた。
ネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を主力とする勢力は2014年2月22日にビクトル・ヤヌコビッチ大統領を暴力的に排除、ヤツェニュクは27日に首相代理となり、そのまま首相として活動してきた。クーデターの最中、アメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補がジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使と電話で「次期政権」の人事について話し合っている音声が何者かによって2月4日にインターネット上へアップロードされたが、その中でヌランドはヤツェニュクを高く評価していた。ちなみに、ヌランドが結婚した相手はネオコンの大物、ロバート・ケーガンだ。
ヌランドが2013年12月13日に米国ウクライナ基金の大会で行った講演によると、アメリカ政府はソ連が消滅した1991年からウクライナへ50億ドルを投資していた。ソ連消滅で重要な役割を果たしたボリス・エリツィンはロシアの大統領として新自由主義的な政策を推進、国民の資産を一部の人間が盗む手助けをした。
ロシア政府の腐敗勢力で中心的な存在がエリツィン大統領の娘、タチアナ。この腐敗グループと親しくしていたひとりが代表的なオリガルヒだったボリス・ベレゾフスキーがいる。エリツィンは1996年頃からタチアナを側近として使うようになった。エリツィンが1992年11月から経済政策の中心に据えていたアナトリー・チュバイスと利権仲間になるのは必然だ。このチュバイスはHIID(国際開発ハーバード研究所)と連携、この研究所が資金を得ていたのはUSAIDだ。CIAが資金を流すパイプ役を持つ機関として有名である。(Natylie Baldwin & Kermit Heartsong, “Ukraine,” Next Revelation Press, 2015)
タチアナは2001年に父親の側近だったバレンチン・ユマシェフと再婚するが、その娘であるポリナ・ユマシェバが結婚したオレグ・デリパスカはイスラエル系オリガルヒ。ロシアのアルミニウム産業に君臨し、ナサニエル・ロスチャイルドから「アドバス」を受ける一方、ロスチャイルド系の情報会社ディリジェンスの助けで世界銀行から融資を受け、政治面でも西側との関係を強めている人物である。
21世紀に入ると旧ソ連圏でも新自由主義が国民から富を搾り取る仕組みにすぎないことが知られるようになり、西側支配層の意に反する動きが出始め、2004年に行われたウクライナの大統領選ではヤヌコビッチが勝利する。
その結果をひっくり返すため、西側の傀儡候補であるビクトル・ユシチェンコは「不正選挙」だと主張し、2004年から05年にかけてデモや政府施設への包囲などで新政権を揺さぶる。西側もこの行動を支援し、ユシチェンコが大統領の座を奪うことに成功した。いわゆる「オレンジ革命」だ。ユシチェンコ時代のウクライナはエリツィン時代のロシアと同じようのオリガルヒを生み出す。
こうした政策への反発もあり、2010年2月の選挙ではヤヌコビッチが勝利、今度は大統領に就任したのだが、西側の支配層は諦めない。その政権を倒すため、NGOを使って抗議活動を演出、2013年11月にはキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)へ約2000名の反ヤヌコビッチ派が集めることに成功した。当初、抗議活動は人びとのEUへの憧れを刺激する「カーニバル」的なもので、12月に入ると50万人が集まったとも言われている。
ころあいを見計らい、ネオコンはネオ・ナチに行動を起こさせる。その集団が広場で棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始めた。2月中旬には2500丁以上の銃をネオ・ナチは持ち込み、狙撃も始める。
西側の政府やメディアは狙撃をヤヌコビッチ政府側によるものだと宣伝したが、2月25日にキエフ入りしたエストニアのウルマス・パエト外相は事実が逆だということを知る。反ヤヌコビッチ派で医師団のリーダー格だったオルガ・ボルゴメツなどから聞き取り調査をした結果だ。
その結果を26日にEUの外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)だったキャサリン・アシュトンへ電話で、狙撃手は反ヤヌコビッチ派の中にいると報告する。
「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」としたうえで、「新連合はもはや信用できない」としている。
ところが、アシュトンは新しいウクライナの「議会を機能させなければならない」と応じた。つまり、事実を隠して嘘を突き通せということだ。クーデターの最終局面までEUは話し合いでの解決を模索、2月21日に平和協定の調印にこぎ着けたのだが、この協定が実行されることはなかった。そうしたEUを不満を抱いていたヌランドはパイアットに対し、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にしたわけだが、アシュトンはネオコンに近い立場だったように見える。
広場で狙撃を指揮していたのはネオ・ナチの幹部、アンドレイ・パルビー。1991年にオレフ・チャフニボクとネオ・ナチの「ウクライナ社会ナショナル党(後のスボボダ)」を創設、クーデター後に国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任している人物だ。抗議活動中、広場への出入りはパルビーの許可が必要で、この人物はアメリカの特殊部隊とも接触していたと伝えられている。
クーデター後、キエフ政権は傀儡色を隠そうとしなくなり、金融大臣にはシカゴ生まれでアメリカの外交官だったナタリー・ヤレスコを、経済大臣にはリトアニアの投資銀行家だったアイバラス・アブロマビチュスを、保健相にはグルジアで労働社会保護相を務めたことのあるアレキサンドル・クビタシビリを、またジョージア(グルジア)大統領だったのミヘイル・サーカシビリを大統領顧問、そしてオデッサの知事にするというようなことを平然と行っている。その背後にはロスチャイルド家のファンドであるフランクリン・テンプルトンやIMFがいる。
こうしたウクライナの略奪体制が崩壊していることをヤツェニュクが辞意表明は示している。ネオコンはシリアへの侵略に失敗、その手先として利用してきたアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の戦闘員はトルコへ逃げ込んでいる。トルコの特殊部隊が侵略軍を支援するためにシリアへ侵入したとも伝えられているが、大勢に変化はないだろう。その戦闘員の多くはリビアへ移動、EUへ攻め込む拠点にするつもりのようだが、それ以外にウクライナ、カフカス、中央アジア、新疆ウイグル自治区、東南アジアなどへも向かっているようだ。ウクライナでダーイッシュが戦闘を始める可能性はある。ロシアは防衛体制を強化している。
- ヤツェニューク前首相の記憶に残る失敗トップ5 あっしら 2016/4/12 04:45:36
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