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【第6回】 2019年4月11日 木原洋美 :医療ジャーナリスト
「腎臓再生」研究の第一人者の背中を押す、研修医時代の思い出
東京慈恵会医科大学腎臓・高血圧内科の横尾隆医師
名医やトップドクターと呼ばれる医師、ゴッドハンド(神の手)を持つといわれる医師、患者から厚い信頼を寄せられる医師、その道を究めようとする医師を、医療ジャーナリストの木原洋美が取材し、仕事ぶりや仕事哲学などを紹介する。今回は第6回。「腎臓再生の研究」で世界的に知られている東京慈恵会医科大学腎臓・高血圧内科の横尾隆医師を紹介する。
人工透析歴20年
闘病する男性のつらい日常
(あと3年で、腎臓再生が100万円ぐらいでできるようになるって本当かな。でも、その治療が俺のところまで回ってくるのはだいぶ先なんだろう。それまで生きていられるかな)
2018年夏、神奈川県在住の男性(65歳)は、週刊誌の記事を読みながら呟いた。
読んでいたのは、東京慈恵会医科大学腎臓・高血圧内科の横尾隆先生たちによる腎臓再生の研究が、「あと3年で実用化も夢ではない」ところまで来たという記事だった。
男性はかれこれ20年間、人工透析を受けてきた。週に3回病院へ通い、1回あたり4時間、ベッドに横になり、機能を失くした腎臓の代わりに機械を使い、全身の血液をろ過してもらう。
大地震が起きようが、台風が来ようが、サボるわけにはいかない。血液中に毒素が溜まり、放置すれば死に至るからだ。過去、仕事の都合で何度か、透析の間隔があいてしまったことがあったが、むくみで顔の輪郭がぼやけ、どす黒く変色した自分の顔にぎょっとした。とてつもないだるさがあり、頭痛もする。
「俺の腎臓はポンコツだ」と改めて実感したのだった。
当初勤めていた会社の社長は、透析治療になったことを告げると、困った顔をしながらも「安心して治療してくれ。何も心配いらないよ。無理なく仕事できるよう体制を調整しよう」と励ましてくれた。
男性は創業メンバーであり、役員でもあったから、仲間として心の底から支えようとしてくれたのだ。だが従業員20人足らずの小さな会社で、週3回も戦線離脱する社員を支える負担は小さくない。男性はよく分かっていたので、3年ほど厚意に甘えたものの結局退職し、20代の若手社員と2人で起業した。
しかし起業は失敗。50歳目前で病気持ち、フルに働けるのは週半分だけという条件での求職活動は困難を極め、半年かけてようやく就いたのは、検体回収のアルバイトだった。
時給1200円。契約している病院を車で回り、検査用に採られた血液を回収し、検査施設に持って行く。男性には子どもが2人いるが、もう独立していたので、夫婦2人が食べていければいい。妻もパートに出てくれたお陰で、生活はなんとかできる。
週末は、草野球チームでプレーし、少年野球の監督もした。野球は、男性にとって唯一の趣味だった。野球しているときだけは、憂鬱なことをすべて忘れることができた。
しかし、身体は見えないところでじわじわと蝕まれていた。ある日、試合でヒットを打った男性は走塁中に足をひねり、アキレス腱断裂の大怪我を負ってしまった。
「透析患者さんは、筋力も骨も衰えやすいし、ケガも治りにくいんですよ。ウォーキング程度の運動は推奨しますが、もう野球のような激しいスポーツはやめてください」
ドクターストップがかけられ、検体会社の担当者からもくぎを刺された。
「仕事に穴をあけられるのは困るんですよ。だから病人を雇うのはいやだったんだ」
研究開始から20年
3つのステップをクリアー
日本国内には、この男性と同じように週3回、4時間の透析治療を続ける患者がおよそ33万人もいる。移植希望者は1万人以上もいるが、圧倒的なドナー不足ゆえ、順番はなかなか回ってこない。
国際腎臓学会によると、今や世界の腎臓病患者は8億5000万人に達し、うち腎不全で透析療法や腎移植を必要とする患者は530万〜1050万人と推定されている。再生腎臓は、そんな膨大な数の腎臓病患者にとっての悲願であり、希望の光そのものなのである。
ただ、腎臓再生は長いこと不可能といわれてきた。
再生医療自体は、2006年に京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞の作製に成功したことをきっかけに大きく進化したが、心筋や血液、神経細胞、網膜等の再生と腎臓再生の難しさでは次元が違った。
「腎臓は生命活動にとって不可欠な臓器で、構造が非常に複雑です。特に難しいのは、尿を作る機能をもたせることでした。尿を作れるようになるには、1種類の細胞だけでなく、全身の血液を集めてろ過する機能を持った『構造体』が必要、つまり腎臓をまるごと再生しなければなりませんでした」(以下、「 」内は特に記している以外すべて横尾先生)
越えても越えても立ちはだかる難問の山を乗り越え、「ラットによる腎臓再生に成功しました。臨床への応用は実現間近です。10年以内には患者さんへの応用を開始したい」と発表したのは2017年11月、幹細胞を利用し、体の機能を回復させる「再生医療」の研究に取り組み始めてから、実に二十余年が過ぎていた。
「どんなに不可能と言われても、『腎臓再生は絶対にできる』と100%信じていました。根拠はありませんでしたけどね(笑)。だって我々は、こんな複雑な臓器を生まれながらに2つも持っているんですよ。人間自身に、腎臓を作る能力がもともと備わっているのなら、再生だってできないわけがない。
ただ、実際の研究では壁にぶつかってばかりでした。でも不思議なことに、『もうだめかも』というときになると必ず、誰かが助けてくれるんです。段階が進むごとに必要な出会いに恵まれて、さまざまな分野の専門家が協力してくれました。
運もあったと思います。医学には時代によってトレンドがあり、注目度が高いテーマほど、人材や研究資金が集まりやすい。研究を始めた頃のトレンドは、ゲノム解析とか遺伝子治療でした。でも腎臓病は遺伝性疾患ではないので、純粋な遺伝子治療は使えません。それで視点を変え、骨髄で作られる造血幹細胞の質を改善する細胞治療に取り組んでみたりしたのですが、うまくいきませんでした。
ところがやがて再生医療が注目される時代になり、『幹細胞を用いた臓器の再生』に挑んでいた僕は、期せずして、再生医療研究の最先端に立っていました。僕はそこに、人智を超えた、大いなる力の後押しを感じたんですね」
亡き少女への誓いと
多くの仲間に支えらえて
ここに至るまで、横尾先生は常に “ドリームチーム”とも呼べる多くの仲間たちと共に歩んできた。
「僕は基本的に、『この人だ』と思ったら、会いに行き、『ぜひ力を貸してください』とお願いします。共同研究に上下関係はありません。『患者さんのために』という目的に共感していただき、農学部、工学部、獣医学部から企業まで、素晴らしい人たちと仲間になることができました。
例えば長嶋比呂志教授(明治大学)は、世界でも最も遺伝子改変ブタの作製に長けている研究者です。腎臓を、ヒトに使えるように大型化するためにはブタでの研究が不可欠でしたが、長嶋先生のお陰でできました。
小林英司教授(慶應義塾大学)は、マイクロサージャリーの天才です。超絶テクニックが必要な、ラットやマウスのような小動物で人間を想定した手術ができたのは、小林先生がいたからです」
研究をやり切った先には、産業化へ向かう険しい道が続く。ゴールは再生腎臓を一刻も早く実用化し、世界中の患者に届けることだ。産官との連携はもとより、特許の取得など、医師・研究者としての力量だけではどうしようもない壁が、何重にも立ちはだかっているのだ。
実際近年、多くの大学の医療者や研究者がベンチャーを立ち上げ、産業化に挑んでいるが、成功している事例はあまりない。そこで横尾先生のチームには、腎臓の構造のように複雑なプラットフォーム作りを担う企業も参画している。
協力者の1人、バイオス株式会社(東京都)の林明男社長は語る。
「私が初めて出会った頃、先生はまだ講師にもなっていなかったと思います。とにかく朝から晩まで、病院で患者さんを診て、終わったら夜遅くまで大学で研究をする。休みは青森県にある北里大学の獣医学部か、ブタを使った研究のために川崎市の生田にある明治大学の農場に飛んで行く。さもなければ、大学の実験室にこもっている。
とにかく休みなく、研究に打ち込んでいる姿を目の当たりにするうちに、(ああ俺はこの人の手助けがしたい)と心底思うようになり、コアの仕事で得た利益を、投資の形で出資し、共同研究という形で、支援させていただくことにしました。
これは僕だけでなく、ほかの皆さんも言います。『なんか不思議なんですけど、好きになっちゃうんですね。協力せずにはいられない』と(笑)」
周囲をひきつけ、研究開発に邁進(まいしん)する横尾先生の背中を押し続けているのは、研修医時代に出会った1人の少女の記憶だ。
「初めて受け持った入院患者さんでした。その子は、先天性の腎不全で、生まれてすぐから透析を受けていたのですが、当時の医療技術は制限が多くて、まだ7歳なのに、ジュースもアイスクリームも食べることができない。だからおやつの時間になると、いつの間にかどこかへ行き、じっと我慢している。かわいそうでなりませんでした」
だが、それでも容体は次第に悪化。肺など体内には徐々に水分が溜まっていくため、地上にいながら溺れるようにじわじわと呼吸困難が進んだ。
「最期が近づいたとき、ただ寄り添うことぐらいしかできない自分が悔しくて『ごめんね、先生が代わってあげたいよ』と謝りました。でも彼女は僕の目を見て『やだ、こんな苦しい思いを先生にさせたくない』と言ってくれました」
30年も前のことなのに、横尾先生は目をうるませる。健気な少女はその後、横尾先生にとって、初めて死亡診断書を書いた患者になった。
「なぜこんな小さな子が、つらい目に合わなければならないのかと、涙が止まりませんでした。なんとかしてあげたかった、という気持ちから腎臓の専門医となり、今につながっています」
あと3年
まずは子どもたちから始める
「実は今、実用化への道が一気に開けそうなところへ来ています」
昨年7月末、横尾先生は顔を輝かせて語ってくれた。
「ある大手製薬会社と、我々が腎臓再生プロジェクトのために作った法人との間に業務提携契約の話が進んでいます。先方は既に、高品質の前駆細胞(腎臓になる細胞の芽)が作れる施設を持っています。しかもその施設は国の認可も得ているので、契約がまとまり次第、前駆細胞の作製に取り掛かることが可能です。
契約が成立したら、臨床試験の申請など、今度は国との折衝が待っています。でも日本は、医療分野での許認可の基準が世界一厳しいので、普通のやり方では、患者さんに再生腎臓を届けるまでに10年以上かかってしまう」
先を急ぐ先生たちは、海外での臨床試験・実用化の道も同時に探っており、複数の国の企業との交渉が進んでいるという。
「透析にはお金がかかるため、世界には、経済的な理由で透析が受けられず、亡くなっている人が大勢います。高価な機器に加え、キレイな水も大量に必要なのでインフラも整備しなくてはなりません。
でも再生腎臓なら安価に、貧しい人たちを救う仕組みが作れます。海外でも臨床試験を行い、効果と安全性を立証できる症例を多数蓄積できれば、日本での認可も通りやすくなるでしょう」
順調に行けば、「あと3年」。しかも治療法は腹腔鏡を用いて極小の「腎臓の芽」を、体内の特定の部位に埋め込むというシンプルなもの。100万円程度の経費を想定している。
「まずは生まれつき腎機能や尿路に異常があるお子さんに届けたい。透析がうまくいかないケースも多く、成人まで生きながらえるのも難しい子どもたちを助けつつ、徐々に成人に適用を広げていく予定です」
◎横尾 隆(よこお・たかし)
東京慈恵会医科大学 腎臓・高血圧内科教授、診療部長。1991年、東京慈恵会医科大学卒業。1994〜1997年、英国University College London Medical School 留学。1997年、東京慈恵会医科大学内科学講座第二助手。2010年、東京慈恵会医科大学内科学講座(腎臓・高血圧内科)講師を経て、2013年から現職。
https://diamond.jp/articles/-/199363
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