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【第104回】 2018年10月31日 浅川澄一 :福祉ジャーナリスト(元・日本経済新聞社編集委員)
「老衰死」の実数は統計より多い、死亡診断書“書き換え”のトリック
老衰死が増加
近年、老衰死が確実に増加していますが、統計には表れない「老衰死」が多いようです
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著名人の死亡記事で「老衰死」を目にすることも多くなった。つい先日も、10月10日にはユニチャームの創業者、高原慶一朗氏(87歳)、初代内閣安全保障室長の佐々淳行氏(87歳)が、そして19日にはノーベル化学賞受賞者の下村脩氏(90歳)がいずれも「老衰のため死去」とあった。
厚労省がこのほど公表した2017年の人口動態統計調査によると、死亡原因の中で老衰死が10万1306人に達し、史上初めて10万人を突破した(図1)。老衰死は09年に前年を1万人以上上回って以降増勢を続け、死因ランクも7位から17年には肺炎を抜いて第4位に浮上した。
老衰死が急増
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医師が記入する死亡診断書を全自治体から集め、厚労省が死亡統計を作成する。死亡診断書の「死亡の原因」欄には、がんや脳梗塞などの病名が書かれる。厚労省発行の「死亡診断書記入マニュアル」によると、老衰死とは、「死因としての老衰は、高齢者で他に記載すべき死亡の原因がない、いわゆる自然死の場合のみ用います」とある。
特定の病名を死因としない、全身の細胞が加齢に伴い衰弱して生命が尽きるのが老衰死。多くの場合、食欲が薄れて食事量が減少し、睡眠時間が長くなり枯れるように亡くなる。「生物が楽に死ぬことができる仕組みとして作られている」とも指摘される。
というのも、低栄養で脱水症状により脳内モルヒネといわれるβエンドルフィンが湧き出てきて陶酔感や多幸感が起こり、ケトン体も増えて鎮静効果が発揮される。これによって苦痛もなく穏やかに亡くなることができる
これと対極を成すのが、栄養や酸素を人工的に送り込む延命治療を続けた上での死である。「死を一刻一秒でも遅らせるのが医療の役目」と医療教育で徹底的に教えこまれ、延命治療を当然の業務とする医師は多い。大病院、総合病院の医療者ほどその傾向が強いといわれる。
この2つの異なる死への考え方が対立しているのが日本の現状である。本人や家族、そして医療者の見解の違いで、介護現場が右往左往させられることがよくある。
老衰死は増えているはずなのに
死因の「7.6%」しかない理由
時代の流れは老衰死(自然死)に向かっている。訪問診療に熱心な医師が自宅や施設で自然な死、みとりに臨む光景が増えてきた。特別養護老人ホームや有料老人ホームなどの施設での老衰死がこの10年間で6倍も増えている(図2、3)。
老衰死の死亡場所
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死亡原因
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何よりも本人や家族が、チューブを付けた延命治療を望まなくなり、自然な死を受け入れるようになってきた。延命治療につながる救急車での病院搬送を断り、自宅や施設で死を迎える。2017年時点で、その自宅死は13%、施設死は10%で合計23%に上る(図4)。その多くは老衰死と思われる。
老衰死の死亡場所、老人ホームが増加
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それにもかかわらず、人口動態統計調査では2017年の死因のうち、老衰は7.6%しかない(図5)。なぜだろうか。疑問を解くために死亡診断書の記入法を点検した。
全死亡者の死亡場所
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死亡診断書
死亡診断書
死亡診断書の死因欄にはアイウエの4つの枠がある。(ア)には「直接死因」を、(イ)には「アの原因」を、(ウ)には「イの原因」を、(エ)には「ウの原因」をそれぞれ記入する(写真1)。例えば、ア欄に「急性呼吸不全」と書き、その原因としてイ欄に「脳梗塞」と書く。
さらに、脳梗塞の原因があればウ欄に記入するが、なければ空欄のままでいい。「死亡診断書マニュアル」では、死亡統計を作成する際には、「最下欄の病名を死因とする」とある。直接的な死をもたらしたそもそもの原因を死因とするという判断は納得がいく。
ところが、である。最下欄に老衰と記入されている場合は、「修正ルール」という例外が適用されて、その上の欄の病名を死因とすることになっている。驚くべきことだ。これでは、死因としての老衰の集計数が減ってしまう。唯一、老衰が死因として認められるのは、ア欄に「老衰」と書かれ、イ欄以下が空白の場合だけである。
老衰の場合は最下欄が集計されないという事実について、訪問診療を手掛ける在宅療養支援診療所からは「えっ、知らなかった」という声が聞かれる。「修正ルール」は同マニュアルには書かれていないからだ。
さらに不思議なのは、同マニュアルに「老衰から他の病態を併発した場合は、医学的因果関係に従って記入する」とただし書きがあり、老衰の他の病名を書くようにわざわざ指導している。その事例として、ア欄に「誤嚥(ごえん)性肺炎」、イ欄に「老衰」とある。
つまり、医師が永遠の眠りについた高齢者を目の前にして死亡診断書を書く際に、「大局的に見れば加齢による老衰死だろう。だが、老衰で飲み込む力が衰えたことによる誤嚥性肺炎が直接的な死因ともいえる」と考え込んで、死亡診断書のア欄に「誤嚥性肺炎」と書き、イ欄に「老衰」と丁寧に書き込むと、死因統計では老衰ではなくなってしまう。
睡眠中に唾などが気道に混入する誤嚥性肺炎は高齢者の死因としてかなり多い。2017年には第7位にランクされ、第5位の肺炎の中にも相当に誤嚥性肺炎が含まれていそうだ。「嚥下性肺炎であっても、肺炎と書いてしまう医師は多いのでは」という声が聞かれる。そんな誤嚥性肺炎を事例として強調している。現場の医師はこのただし書きに誘導されかねない。なかなか巧妙な書きっぷりだ。その結果として、老衰が死亡統計から消えていく。
人間は自然に死んではいけない?
「死因を調べる目的」に見るWHOの考え方
このように、老衰を排除し、死因統計にできるだけ現れないような仕組みが2重3重に施されている。「修正ルール」とただし書き、そして「修正ルール」を死亡診断書記入マニュアルに記していない。これだけそろうと意図的と言わざるを得ない。厚労省に問い合わせると「日本が準拠しているWHO(世界保健機構)の規則ですから」と責任を回避する。では、WHOの考え方はどうなのか。死因を確定する理由が述べられている。
「疾病、傷害及び死因の統計分類」(ICD−10、2013年版)には、「死亡の防止という観点からは、疾病事象の連鎖をある時点で切るか、ある時点で疾病を治すことが重要である。また、最も効果的な公衆衛生の目的は、その活動によって原因を防止することである」とある。
そうだったのか、これで合点がいく。死因を調べる目的は、死亡を防ぐためなのだ。「疾病の連鎖を断つ」か「疾病を治す」ことで。そこへ、連鎖を成さず、疾病ではない「老衰」が入ってくるのは迷惑なことなのだ。趣旨に合わない。夾雑物(きょうざつぶつ)だから排除したい。
そのため、死亡診断書に 「ア=ある疾病、イ=老衰」と記入すると、例外を設けて、「ある疾病」を死因に仕立てたいのであろう。
WHOは、「保健」至上主義を掲げ、どうやら人間は自然に死んではいけないと考えているようだ。その理念からすると当然かもしれない。
厚労省の「死亡診断書マニュアル」では、冒頭に「死亡統計は国民の保健・医療・福祉に関する行政の重要な基礎資料として役立つ」とその意義を高らかに宣言している。だが、WHOの基準に忠実に従うと、整合性が損なわれ、「重要な基礎資料」がゆがめられてしまう。
それでも急増する老衰死
延命治療からの転換につながるか
こうした統計上の高いハードルが課されているにもかかわらず、老衰死は年々急激に増えている。そして、上述のように、実態はもっと多いはずだ。死亡診断書の最下欄に老衰と書かれているにもかかわらず、死亡統計から外された事例を含めれば、10万人をはるかに上回っている。
実は、死因の1位から3位のがん(27.9%)、心疾患(15.3%)、脳血管疾患(8.2%)についても、「平均寿命以上の高齢者については、その死亡の遠因はほとんど老衰とみていいでしょう」と指摘する医師は少なくない。
2017年の死亡者134万人のうち75%は75歳以上の後期高齢者で、65歳以上の高齢者になると90%を占めてしまう。亡くなる人はほとんど老人である。多死時代は老人死の時代ということだ。そして、平均寿命の80歳を上回る高齢者だけでも63.5%となる。
ということは、実は加齢に伴う全身の衰弱、つまり老衰死と見なしていいケースが半数を超えているとみていいだろう。それにもかかわらず、4人に1人は病院・診療所で亡くなるため、あえて病名を付けられることが多いと推測される。「医療とは病名を見極めて治療すること」という思い込みが医療界に浸透している。このため、死亡診断書に老衰と書くことをためらう病院の医師は多い。
誤嚥性肺炎(死因の2.7%)や認知症(死因の1.5%)は老衰と表記すべきかもしれない。それに先述の肺炎(7.2%)の多くも含まれるだろう。がんや心疾患、脳血管疾患の中にも老衰と見なしていいケースがかなりあると思われる。これらの数値を集めると、最終的に老衰死が少なくとも30%は超えてしまい、死因の第1位に躍り出て来るだろう。
だが、日本人の死に場所が病院から施設へ移りつつある。施設での個室化が進み、第2の自宅という意識が利用者に高まったことに加え、家族が老衰死を歓迎し始めたことも大きい。管につながれた延命治療より、「生き切って命を閉じる」ことを選び出した。「大往生」という言葉がよみがえりつつある。
死因として老衰死が大半を占めるようになれば、日本人の死生観が根底的に変わるだろう。「老衰で死ぬ人は多く、老衰で死ぬのが当たり前」という意識が広まれば、延命治療への抑止力となる。欧米並みに、自然な死を受け入れる時代がより早まる可能性が高い。
延命治療への依存から抜け出すためには、医療界だけでなく国民意識の転換も必要だろう。医療技術の進展は近代科学のシンボルでもある。だが、命に限界があるのは自然の摂理。科学と自然のはざまにあるのが今の老衰問題ではないだろうか。その論議を深める第一歩が死亡統計である。「書き換え」をやめて、ありのままの姿を公表すべきだろう。
(福祉ジャーナリスト 浅川澄一)
https://diamond.jp/articles/-/183819
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