http://www.asyura2.com/16/iryo5/msg/731.html
Tweet |
2018年9月21日 木原洋美 :医療ジャーナリスト
「断らない救急日本一」病院がなぜブラック批判を受けるのか
医師の勤務は長時間労働になりがちだ
多忙である医師はどうしても長時間労働になりがちだ(写真はイメージです) Photo:PIXTA
神戸市立医療センター中央市民病院の救命救急センターは、「断らない救急医療」の理念を掲げ、医療機関の救命救急体制に関する厚生労働省の調査で、2017年度まで4年連続で全国1位の評価を受けている。まさに「断らない救急日本一」の病院なのだが、長時間労働が問題になっている昨今、報道をきっかけにSNS上では“ブラック病院”との批判にさらされている。本当にブラック病院なのか。(医療ジャーナリスト 木原洋美)
医師の長時間労働は
断らない救急のせいなのか?
救急車から画像診断室へ。患者を乗せたストレッチャーに付いて行くと、既に3〜4名の医師が待ち構えていた。聞けば、脳神経外科医だという。
「僕らは、救急センターからの要請がなくても、一番に駆けつけます。脳の病気は本当に一刻を争いますからね。1分1秒でも早く正確に診断し、治療を開始しなくてはなりません。専門医が必要です」
モニターに映し出された画像を鋭い視線で見つめたまま話す。
ここは神戸市立医療センター中央市民病院の救命救急センター(以下、中央市民病院)。「断らない救急医療」の理念を掲げ、医療機関の救命救急体制に関する厚生労働省の調査で、2017年度まで4年連続で全国1位の評価を受けている。
「救命救急センターもすごいけど、今度は脳卒中センターにも取材に来てください(笑)。最善の医療を提供しています。うちの坂井信幸先生は日本でもトップクラスのプロフェッショナルです」
言葉の端々ににじむ自負。
そういえば、中央市民病院には、脳動脈瘤に対するステント治療を、日本で初めて導入した、すごいドクターがいると聞いたことがある。
「『断らない救急日本一』という評価に加えて、そんな名医がいるんじゃ、患者さんが殺到しますよね。救命救急の現場はハードな職場というイメージが強いですけど、脳外科はどうですか。ブラックじゃないですか」
尋ねると、首を横に振り、
「確かにハードですけど、ブラックじゃないです(笑)。僕は1人でも多くの患者さんを診て、症例を積みたいと思っているので。ここにいる医者は、みんなそうなんじゃないかな」
医師の長時間労働が問題になっている昨今、この発言は、過酷すぎる労働環境に追い詰められた果ての過剰適応と感じる人もいるかもしれない。しかし、彼らの心は少しも破壊されているようには見えない。
しかし9月1日には、共同通信の配信で、次のような記事が全国で一斉に報じられた。
◎医師の残業月100時間超 神戸の病院に是正勧告
神戸市立医療センター中央市民病院(神戸市中央区)が、労使協定に基づく時間外労働の上限(月80時間)を超えて医師を働かせたとして、神戸東労働基準監督署から是正勧告を受けていたことが1日、分かった。過労死ラインの月100時間を超える医師も数十人おり、病院側は外来業務の負担軽減などを検討している。
同病院は患者の受け入れ体制が優れているなどとして、4年連続で厚生労働省から全国の救命救急センターでトップの評価を受けている。
〜略〜
病院の担当者は「是正勧告は真摯に受け止めている。救命救急センターとして病院の機能を維持しながら、長時間労働を減らせるよう取り組んでいきたい」としている。〔共同〕
是正勧告のニュースと、救命救急センターがトップの評価を受けていることが紐付けされているため、「断らない救急」が長時間労働の元凶になっているような印象を受けるが、100時間以上の時間外労働をしたのは、宿直勤務や緊急の呼び出しが多い心臓血管外科や脳神経外科などが中心で、救命救急センターの医師は含まれていない。
この報道を受け、SNS上では、「救急が断らないせいで、その後オペを担当する心臓外科や脳外科が長時間労働を強いられている」「断らない救急は、医師の犠牲の上に成り立っている」といった医師による批判的なコメントが相次いでいる。
実は、中央市民病院の救命救急センターについては、「断らない救急日本一」と認定されるたび、「医師を過労死させる気か」「こんな病院では働きたくない」といった中傷が、ネットの掲示板に多数寄せられていた。
「心身が弱っている時には、とてもネットを見る気になれません」と、有吉孝一・救命救急センター長は残念そうに語っていた。
今回の報道で、風当たりは一層強くなるだろう。
だが、「断らない救急日本一」は決して、医療従事者の犠牲の上に成り立っているのではない。また、一個の病院の努力だけで実現されているのでもない。
このことだけは、どうか誤解しないでほしい。
「交代勤務制」により
時間外労働は70時間台
「断らない救急」に対して、医療者が中傷するのは、それがいかに難しいかを実感しているからでもある。
救急患者のたらい回しが問題になっているが、「断りたくて断っているのではない。できることなら受け入れたい」と断腸の思いを口にする医師もいる。
例えば千葉県では昨年8月から、搬送先が決まらない救急患者を必ず受け入れる病院を事前に千葉市内で3ヵ所指定し、代わりに経費を補助する事業を試行的に開始したが、対象病院からの「搬送件数の増加で負担が過大となり、参加を見直したい」との訴えで、中断を余儀なくされた。
一般的なイメージだと、「大都市は医師も病院も多いので、救急車さえ来てくれればOK。田舎は医師が不足しているから大変」と思うだろうが、逆だ。
救急車が現場に到着してから搬送先が決まるまでに要する時間が全国で最も長いのは東京都で、千葉県は2015年調査でワースト2だった。「断らない救急」は、大都市圏ほど難しい。
そんな中で中央市民病院は、大都市・神戸で「断らない」を理念に掲げ、365日、24時間、患者を受け入れてきた。筆者は今年5月、同院を訪れ、有吉センター長ら医師だけでなく、薬剤師や放射線技師など、50人近いスタッフに取材した。
「17年度は、神戸市の救急患者の25%にあたる3万5244人の救急患者を受け入れました。消防局の受け入れ要請に対する今年4月の『応需率』は99.6%でした。神戸市内の病院の平均は79.3%です」(有吉センター長)
今年の1月には、10分間で6台の救急車を受け入れた日もあったという。まさに、息つく暇もない。
しかも、通常、3次救急では断るのが常識の、自家用車やタクシーで受診する「ウォークイン」の患者も受け入れる。
「ウォークインの患者さんは軽症という思い込みが、医療現場にはありますが、うちの患者さんで統計をとったところ、心筋梗塞や大動脈解離の31%、脳卒中も24%がウォークインでの受診でした。それから去年、タクシーでやってきた患者さんで2名、到着時に心肺停止状態だった方がいました。とりわけ75歳以上の方は、遠慮するんでしょうかね、かなりの重症でも、ウォークインで来る率が高いのです。断れば命にかかわる」(有吉センター長)
病院が、救急患者の受け入れを断る理由としては「当直医処置中で手が放せない」「病床が足りない」「専門医が不在」等が並ぶ。中央市民病院も当初は患者が殺到し過ぎて対応に困り、「なぜ断らないのか」という不満の声が、看護師を中心にスタッフたちから上がったこともあった。
「不満は、患者さんを思ってのことでした。病床の確保を焦れば、患者さんを追い出すことになる、忙し過ぎてスタッフが疲弊すれば医療の質が下がる、等々の理由です。
しかし、その都度、私は断る理由ではなく、どうしたら受け入れが可能になるかを考えて、救急医療体制の改善を積み重ねてきました」(有吉センター長)
以下に、改善の一例を挙げる。
◎病院全体の救命救急センター化
専従医師23人のほか、脳神経外科や心臓血管外科など常駐する各診療科の専門医、さらには病院にいる当直の医師全員が、必要に応じて救命救急医療に対応する。ほかに、薬剤師や診療放射線技師等も10人以上が当直している。
◎ER制の導入
ER医とは、老若男女、軽症、重傷を問わず、あらゆる患者の救急初期診療とトリアージ(治療の優先度判定)にあたる救急外来医のこと。患者は実にさまざまな傷病で来院する。ER医は多種多彩な訴えから、これは何科の病気か、内科だとしたら循環器か呼吸器かなどを探り、各診療科につなぐプロだ。
そしてトリアージは、一刻の猶予もない患者を優先的に救う命綱。ウォークインの患者は全員、受付脇のトリアージコーナーでER医のチェックを受け、重症であると判明した場合には、ただちに処置が施される。
救急医療体制には、ER制のほか、各科の救急担当医が協力し合って初めて機能する「各科相乗り制」、救急の医師だけですべての外傷を治療し、かつICUでの治療も全部救急が対応し、退院までを診る「主治医制の3タイプがある。
現状として、一般的なのは「各科相乗り制」だが、「ER制」も増えている。
◎交代勤務制
救命救急センターは入院部門とER医による外来部門に分かれており、入院部門はICU(集中治療室)と病棟の入院患者だけ、外来部門は外来患者しか診ない。入院部門は6人でグループ診療をしており、それぞれの患者を全員で診て、夜間休日は当番医が交代で診るシステムだ。これにより交代勤務制が可能になり、自分の休日に呼びだされることもない。
おかげで、主治医制の他科と異なり、救命救急センターの時間外労働は法定時間内の平均70時間台に収まっている。
◎地域全体で救命救急を担う
「満床で受け入れられない」という事態を回避するために、地域連携推進課を設け、近隣の開業医や中核病院と協力体制を組んで、患者の入院・転院がスムーズに行えるようにしている。
◎専従の精神科医を配置
救急の現場では、「精神疾患がある」「自殺を図る」などした患者の受け入れが断られるケースが多く、問題になっている。「精神科医がいない」「暴れる」「自傷の恐れがある」などが理由だが、中央市民病院では、そうした患者も断らないための体制づくりとして、16年に、精神科身体合併症棟(8床)を設け、専従の精神科医を配置。さらにセンターのナース129人全員が、ローテーションで精神科での勤務を経験し、精神科疾患への理解を深めた。
◎女性医師の活躍
12名いる医師のうち6名が女性医師。これは「医師の労働環境がまっとうであることと、良質の医療を提供できている証し」だと有吉センター長は考えている。
「『ドクターカーやドクターヘリで急行し、緊急手術をして、毎日当然のように忙しく、時に殺伐として働いている、でもカッコよくて素敵(すてき)』というのが、ステレオタイプな救急医像ですが、僕は反対です。人生の7割以上は仕事以外が占めており、仕事以外の生活を大事にしてこそ良い医療ができる。うちの女性医師たちは、そうした医療の実践者。何人たりとも蔑ろにせず、させず、優しさと思いやりを持って『断らない救急』を提供しています」
時間外労働の是正と
断らない救急は両立できるのか
「医師の残業月100時間超 神戸の病院に是正勧告」の記事が出た後、筆者は有吉センター長に改めて話を聞いた。
――「断らない救急日本一」は、他科の専門医の犠牲の上に成り立っていると中傷されることについて、どう思いますか。
私見ですが、グループ診療制でなく主治医制をとる診療科は交代勤務制が難しく、夜間の担当患者の急変や、死亡した場合には駆けつけねばなりません。
一方、我々の救命救急センターはグループ診療による交代勤務制なので、他科よりも時間外労働は少なめで、70時間台に収まっています。従って今回の報道は、「断らない救急」に直接的な関係はありません。「断らない」せいで患者さんが増えたという意味なら関係はありますが。
時間外労働を減らすには、他科も複数主治医制にするなどグループ診療体制に変えるのがいい。でも、患者さんは医師の超過勤務時間が長くとも、いつでもすぐに相談に乗ってくれ、駆けつけてくれる主治医を求めていると思います。
そこの意識が変わって、「医師は交代制で主治医が日替わりで当然」という社会が来れば、医師の過重労働は減ります。
――他の医療機関では、「ER制は他の専門医の理解や協力が得にくい」という話を聞きます。
医療界には、ER医を単なる振り分け係と見なして、専門性を認めていない人たちがいるのは事実です。そういう人たちにとっては「なんだ、勝手にどんどん患者を受け入れて、こっちに押しつけて」ということにもなる。
一方で、患者さんはどうか、ER医を求めているのかというと、そうでもないんですね。先日、市民フォーラムに参加した際、「私たちが365日、いつでも専門医にかかれる未来はいつくるでしょうか」と質問されました。患者も救急隊も、専門性を求めている。うちの場合も、専門医がそろっているからこそ、大勢の患者さんが来るのでしょう。
ただ、専門医が24時間、365日診てくれる時代は来ません。なぜなら、それをしたら医療費が高騰して、日本の医療が崩壊してしまう。
――「専門医の時間外労働の是正」と「断らない救急」の両立は難しいでしょうか。
「オレゴンルール」というのをご存じですか。アメリカのオレゴン州の健康福祉保健局の一係員が作ったルールです。
「いつでも受けられる医療」「質の高い医療」「安い医療」、この3つのうち国民が選べるのは2つまで、1つは犠牲にしないといけない。なるほどな、と納得しています。「専門医の時間外労働の是正」と「断らない救急」の両立は、3つを選ぶのと同じことです。それはできない。
実際、断らない医療にはお金がかかるので、救命救急センターは赤字です。神戸市から8億円の助成金をもらうことで続けられています。
◇
9月3日、中央市民病院はホームページで、「マスコミ報道について」と題する文章を発表。そこには、医師の長時間労働を縮減させる取り組みとして、患者家族への病状説明は原則平日18時30分までとする、かかりつけ医を持つことを推奨する、といった対策が列記されているが、患者の意識や行動が大きく変わらない限り、効果は期待薄だ。
「断らない救急の実現」も「医師の働き方改革」も、一病院の努力任せでは進まないし、医療と行政がタッグを組んでもムリだろう。本気で解決をめざすなら、血のにじむような努力で「断らない救急」を実現させた中央市民病院を悪者扱いしている場合ではない。
日本人全体の常識を変える議論が必要なのだが、果たしてそれはあり得るのか。正直、できる気がしない。
(医療ジャーナリスト 木原洋美)
https://diamond.jp/articles/-/180234
https://diamond.jp/articles/-/180232
2018年9月21日 みわよしこ :フリーランス・ライター
貧困に殺された九大オーバードクターはなぜ生活保護に頼らなかったか
九大・箱崎キャンパスで火災と爆発が発生し、法学部のオーバードクターの遺体が発見された事件からは、1人の人間に誰の助けの手も届かない社会のひずみが見えてくる(写真はイメージです) Photo:PIXTA
誰の助けの手も届かなかった
1人のオーバードクターの死
9月6日、「福岡市東区の九州大学・箱崎キャンパスで火災と爆発が発生している」というニュースが流れた。焼け跡からは、1人の性別不明の遺体が発見された。
私の周辺の最初の反応は「化学系の研究室の事故では?」というものだった。しかし、それはあり得ない。九大理学部・工学部は、かつて箱崎キャンパスに存在したが、数年前、福岡市西区の伊都キャンパスに移転していた。
続く反応は「活動家?」だった。伝統ある大学では、かつて大学に在籍していた学生運動家が数十年後も大学に出入りしていることは、珍しいことではない。賛否両論あるところではあるし、私自身、大学に居座っている元学生運動家は最も苦手な人種の一類型だ。とはいえ、大学の自治や学問の自由を尊重するのなら、一定の「緩さ」とそこからもたらされるリスクはつきものだろう。
数日後、遺体は法学部のオーバードクターだったという事実が判明した。男性で、46歳だった。以下、本記事では男性を「Aさん」とする。
まずは報道と独自調査から、現在のところ判明しているAさんの経歴をたどってみたい。九大大学院進学までの足取りは、次のとおりだ。
・1972年生まれと推測される。「出身地は関西」という情報もある。
・1988年、中学を卒業し、横須賀市の陸上自衛隊少年工科学校(当時)に進学。同時に自衛隊に入隊。少年工科学校では高校卒業資格が得られないため、湘南高校通信制課程にも入学。
・1991年、少年工科学校・湘南高校通信制課程の高校相当課程を修了し、自衛隊を退官。
・九大法学部に入学し(年次不明)、憲法を専攻。
少年工科学校に入学すると、自衛隊員(特別国家公務員)となる。全寮制で、生活費は必要ない。元同期生・Bさんは「月あたり10万7600円の俸給があったので、浪費していなければ、卒業時に300万円程度の貯金はあったはず」という。Bさんから見た少年工科学校時代のAさんは、「人1倍の努力家」「真面目に勉強していた」ということだ。
中学を卒業して少年工科学校に入学する生徒の背景は、さまざまだ。「自衛官になりたい」という強い志望も、親との険悪な関係による「合法的家出」も、貧困からの選択もある。大学進学の夢を抱いて入学する生徒も少なからずいるのだが、初志貫徹する生徒は多くない。3年のコースを修了した後は、1年の訓練を経て、下士官として自衛隊内でのキャリアを開始することができるからだ。Bさん自身も、現在は幹部自衛官として責任ある立場にある。
ともあれ1991年3月、AさんとBさんは少年工科学校を卒業した。卒業後、Aさんを含む17名は自衛隊を離れ、Bさんを含む270名は自衛隊内でのキャリアを歩み始めた。Aさんが九大法学部に進学した年次は、入学までの足取りとともに現在のところ不明だ。少年工科学校時代の貯金を元に、受験勉強に励んでいたのかもしれない。いずれにしても、1994年までには大学進学の夢を果たしていたものと思われる。
なぜ急激に困窮し
そして住宅を喪失したのか
九大法学部に入学した後のAさんの歩みのうち、現在のところ判明している事実は以下の通りだ。
・1998年(26歳)、九大大学院修士課程に入学。憲法学を専攻。
その後博士課程に進学するが、博士論文は提出せず、2010年に退学(38歳)。在籍可能期間満了に伴い在籍できなくなったものと推察される。
・2015年(43歳)以後、研究室を1人で使用していたが、夜間のみ。他の院生とは接触していなかった。
・2017年3月、専門学校などの非常勤講師職を失う。
・2017年(45歳) 3月・4月はほぼ無給。同年5月・6月の月給は14万5000円。同年6月、家賃が払えなくなり、10万円の借金でしのぐ。同月、昼間の宅配便の仕分けのバイト(週4回)を開始。
・同年12月、夜間も肉体労働のバイト(週4回)を開始。
・2017年6月から2018年5月までの間に住居を喪失したと見られる。
・2018年5月、Aさんが研究室に寝泊まりしていることを九大が把握。
少年工科学校時代の同期・Bさん(前出)は、次のように語る。
「九州大学法学部卒の学歴だけを見ると素晴らしいのに、そんなに困窮していたとは……。我々は15歳のときから親元を離れ、『同じ釜の飯を食った仲間』です。何らかのメッセージがあれば、みんな、何らかの形で協力できたと思うのですが」
しかし、Aさんは少年工科学校時代の同期との繋がりを、ほとんど維持していなかったようだ。その思いは、私には少しだけ理解できるような気がする。元同期のBさんたちは、キャリアを築き、家庭を持ち、若干の不足やトラブルがあっても「それなり」「普通」の人生を送っている。あまりにも輝かしく、近づけない存在に見える。それが「一院生」「一オーバードクター」という立場の切なさだ。
法学部卒の知識を生かさず
肉体労働を行った意外なメリット
しかし、私には1つ疑問が残る。Aさんはなぜ、肉体労働を選んだのだろうか。報道によれば、肉体労働を開始した2017年以後、Aさんは激しく体重を減少させていたという。研究への思いを抱き続けていたAさんが、研究と生計の両立に苦労していたようだという報道もある。事務やスーパー・コンビニに比べれば、肉体労働の時給は高い。研究時間を確保するには、好ましい選択なのかもしれない。それにしても、「法学部卒の知識と人脈を使って法律事務所でアルバイトをする」という路線が、私には自然に思える。
いずれにしても、筋力が低下している身体障害者の私にとって、「お金が足りないから肉体労働」という選択肢は、最初から考えられない。そこで、同様の選択をした50代の男性クリエイター・Cさんに、「なぜ肉体労働?」と尋ねてみた。Cさんは実績あるコンテンツ・クリエイターだが、業界の地盤沈下に伴い、土木・建築の現場での「ライスワーク」によって「ライフワーク」を支える選択を行い、現在に至っている。
「僕にとって1つ考えられるのは、Aさんが『肉体労働の方がストレスは少ない』と考えた可能性です。Aさんは、法学という専門分野で努力してきた方ですから、上下関係のあるアルバイトでの『感情労働』には強い抵抗感を抱いた可能性もあります。肉体労働の現場は、意外にハラスメントが少ないのです」(Cさん)
納得できる説明だ。
「それに、給料は日割月給です。アルバイトなら100%日払い、または週払いです。窮迫しているときには、本当に助かるのは確かです」(Cさん)
Aさんの窮迫状況から見て、「日銭」の必要性は切実だっただろう。さらに、時間の面からのメリットもある。
「現場によっては、『早上がり』ができることもあります」(Cさん)
工事現場・建設現場の多くでは、作業時間が定められている。ICT業界のように、疲れ果てた心身で果てしない残業を続けることはない。この点も、余暇時間で制作や研究を行いたい人々にとっては、むしろ好都合なのかもしれない。
Aさんが、どのような種類の肉体労働を行なっていたのかはいまだ判明していない。しかし、必死の就労にもかかわらず、Aさんは住居を喪失した。
「奨学金」という重石に
がんじがらめにされた可能性
住居を喪失したAさんは、母校・九大の研究室に寝泊まりし始めた。法学部をはじめとする人文社会系学部は、伊都キャンパスへの本格移転段階となっており、ほぼ取り壊しを待つ状態となっていた。そして悲劇的な結末に至る。
・2018年7月、Aさんが寝泊まりしていた研究室のある棟の移転が開始される。
・2018年8月 Aさん、「事態が悪化」と親しい人々に記す。九大がAさんに退去要請を行う。
・2018年9月6日 Aさん、研究室に放火。遺体で発見される。享年46歳。
Aさんは、九大時代の友人や教員たちと、良好な関係を保っていたようだ。人柄・能力などについて、ネガティブな証言は特に伝えられていない。窮迫状況をメールその他の手段で伝えるコミュニケーション能力も残っていた。
もちろん、憲法学を専攻したAさんは、日本国憲法の「生存権」も生活保護制度も知っていたはずだ。住居を喪失する前に、生活困窮者自立支援制度の住宅支援給付金を利用すれば、最長9ヵ月という半端な期間ではあるが、「住」を支えられて生活を再建することもできたかもしれない。しかし、制度に助けを求めることなく、母校に放火して遺体で発見されることとなった。
しかし、なぜAさんは必死で働いていながら、住宅を喪失することになったのだろうか。九大箱崎キャンパス近辺には、まだかつての貧乏学生向けの物件が数多く残っている。家賃相場は、ユニットバス付きワンルームで2〜3万円程度だ。オーバードクターは、学部時代・大学院時代に住んでいた学生向け物件に、そのまま住み続けていることが多い。より良い住居へ転居することができない経済状況にあるからだ。
結局、家賃が払えなくなり、住居を喪失した背景として考えられるのは、学生支援機構奨学金の返済だ。学部4年間・大学院修士課程2年間・博士課程3年間、借り入れを続けていたとすると、総額は少なくとも1000万円前後となる。大学に学籍があれば返済は猶予されるが、学籍を失うと返済しなくてはならない。
2010年以後、博士課程院生としての学籍を失ったAさんは、不安定な非常勤講師業をかけ持ちしながら、奨学金を必死で返済していたのではないだろうか。1ヵ月あたり15万円の収入があっても、返済額が月あたり4万円とすれば、手元に残る金額は月あたり11万円となる。税や社会保険料を支払えば、福岡市の生活保護基準を「余裕」で下回り、生活保護を利用する資格があったことになる。
「貧困は人を殺す」
この事実を直視すべき
Aさんの46年の生涯は、ほとんどわかっていない。しかし、九大法学部時代の生活、さらに1998年から12年にわたった大学院生時代を支えたものは、主にアルバイトと学生支援機構奨学金の借り入れだったと考えられる。
大学院に進学すると、アルバイトはさらに困難になる。研究に時間とエネルギーを集中させたかったら、アルバイトをする時間はなくなる。大学院在学中の生活を支えるための経済的支援は、2000年以後、少しずつ整備されており、「研究で給料を受け取りながら大学院生活を送る」ということが可能な大学も増えてきた。
しかし、Aさんが九大大学院を中退したのは2010年である。その時期に存在した制度の貧弱さを考えると、やはり学生支援機構奨学金の借り入れは避けられなかったであろう。
もちろん、Aさんの収入状況であれば、返済の減額や猶予を受ける可能性はあった。しかし、困窮の中での必死のやりくりは、それだけで手続きや申請の気力を失わせるものだ。貧困がメンタルヘルスを悪化させること、逆に貧困の軽減がメンタルヘルスの問題を軽減させることは、数多くの研究で実証されてきている。貧困による疲弊が、制度利用や手続きのハードルを高め、そのことが状況をさらに悪化させるメカニズムは、主に先進国のシングルマザーを中心に実証されている。
Aさんを「研究にこだわったからだ」と非難するのはたやすい。しかし、Aさんが大学院生だった1998年から2010年は、国立大学法人化をはじめ、大学と博士号の位置づけが激変した時期だ。試合に参加している間にルールが変わっていくようなものだった。「自己責任」で片付けるのは、あまりにも酷だろう。
この現状を熟知している榎木英介氏(病理医・近畿大学講師)は、記事「九大『オーバードクター』の死にみる『夢のソフトランディング』の重要性」を発表した。苛酷になっていくばかりの現状を踏まえても、なお個人にできる選択はある。「研究を諦めても人生は終わらない」という真理を認めれば、自ずと視野は広がり、道が見つかるだろう。
今や知ることはできない
生活保護に助けを求めなかった理由
本連載の著者・みわよしこさんの書籍『生活保護リアル』(日本評論社)好評発売中
私から見れば、Aさんは単純に「生きる」という選択、日本国憲法に定められた生存権を行使する決意をすればよかった。生活保護が利用できる状況だった可能性は極めて高い。生活保護を利用して一息つき、心身の健康を回復し、少しずつ、無理なく、夢と現実の妥協を図りながら生きていく希望はあったはずだ。しかし、今から何を言ってもAさんは生き返らない。
今の私は、ただ、Aさんに「お疲れさまでした」と声をかけたい。そして、困窮の中で必死にベストを尽くし、減るばかりの選択肢の中から最良の選択を試み、それでも力尽きたAさんの冥福を、心から祈る。
(フリーランスライター みわよしこ)
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。