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会社を辞めたらガンになりました、ついでに治療も止めました でも8年経った今でも元気です
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50949
2017.02.14 山口 ミルコ 文筆家 現代ビジネス
■モーレツ社員がゲゲゲのおばけ状態に
8年前に会社を辞めた。
オバマ氏が「チェンジ」を世界に呼びかけて、アメリカ大統領になった頃のことだ。
リーマンショックの折、20年に亘る出版社勤めをやめようと決意した筆者は、2009年初頭、会社に辞表を出した。と同時に、乳ガンに罹患していることが判明し、退社後は闘病生活を送った。
「リーマンショックからさほど経っていないのに、なかったことのようになっていないか?」
これは会社を辞めて闘病生活に入った私――毎日を静かに暮らしていた私から見えた世の中、の感想だった。
自分と同じく会社を辞めた人たちが、いまどこでどうしているのか気になっている。
あの日「世界の終わり」に気づいた人は少なくないはず、しかし私は彼らになかなか会えない。
バブル期に向かって思春期を過ごし、雇用機会均等法で就職、充実した社会人生活と賑やかな業界でのキャリアを手にして、その経験の貯蓄を元手に、失われた20年以降には自分なりのアイディアで食いつないだ――筆者と同世代の、会社の中核的存在だった人も多かったにちがいない。
そういう人たちがなかなか出てこられない世の中になっているのか、私が孤立しているせいなのか、何事もなかったかのようになっているこの世界。
リーマンショックが突き破った袋から弾け飛んだ、生き残りを賭けた闘いの空気は、オバマが4年2期をつとめるあいまにみるみるよどんで地球上をただよい、世界各地に沈澱、いよいよ不気味な様相を呈するなかトランプ米大統領が誕生した。
会社を辞めた直後から、私はガン治療を受けた。
主なメニューは手術→放射線治療→抗ガン剤、それと並行してホルモン治療と作業療法(リハビリ)。やりたくなかったが、やるしかなかった。その体験は、拙著『毛のない生活』(2012年)に書いた。
ぜんぶ合わせると入院・通院していたのが1年、その後の歯の治療や口内炎の頻発の繰り返しや手の不自由、免疫不全、帯状疱疹……などなど、いろんな回復を待つこと約3年、再発におびえながらも「まあ調子いいよね」となるまでになんだかんだかかってしまい、現在に至っている。
それでものらりくらりとやってきたせいか、ぼちぼち<がんを克服した>と言っていいだろうラインに、ようやっと立つことができた。
あのとき会社を辞めなければどうなっていたかと考えてみる。
会社を辞めたのは、もう辞めようと思ったからであり、ガンになったからではないが、筆者の場合、退社とガンの発覚がほぼ同時期だったので、すぐに周囲の人びとの知れるところとなった。
多くの関係者が思ったにちがいない。
「あのひとはもう、仕事できないよね」
そういった目にさらされることは、独立したばかりの者にとって、こたえた。
社長に朝から電話で叩き起こされることは当然なくなり、誰からも連絡が来なくなった。
朝は寝床でグーグーグー、昼はのんびりお散歩、しけんも仕事もなんにもない、ゲゲゲのおばけ状態になるのにそう時間はかからなかった。以前がモーレツ社員だった分、すがすがしくさえあり、変わり果てたライフスタイルには我が事ながら、ときおり呆れた。会社時代の自分は、幻だったのではないかと。
それでもあのまま会社にいては治らなかったと、いま振り返ってハッキリ言える。
ガンと会社はある意味似ているからだ。
■ガンになったら「チェンジ」せよ
ガンは人によって違い、治療も違う。
ガン治療には波があり、体調にも波がある。
調子の良い時もあるので仕事できそうな気がするし、じっさいすることも可能かもしれないが、筆者の体験をもって言わせていただくならば、やっぱりやらないほうがよい。
会社を辞めずにガンと戦うことは、2つ会社に行くようなものだ。
「ながら」が通用しないのがガンであり会社――たいていの日本の会社では、同種療法は無効、ということだ。
冒頭の「チェンジ」を、ここであえて挙げたい。リーマンショック後に叫ばれて、いまだになされていないそれ、である。
ガンになったら、いったんぜんぶをやめること。
会社が大事なのは、よくわかる。筆者も会社を愛していた。会社員の人で自分の会社を愛してない人などいないと思う。しかしそんな人間がガンをこさえたのだ。
会社にいれば、日々目の前にやるべきことが生まれ、会いにくる人もいる。
そうした場所を持っていた人が持たなくなると心身不安定になることも自ら退社したいまではわかる。
また、お金のことは当然ある。ご承知のとおり、がん治療にはお金がかかる。
同時期に治療を受けていた筆者の友人のなかに、会社員は少なからずいた。仕事を続けなければ治療も続けられない、そう言っていた。
彼女たちは独身であったり、独身でなかったのに乳がんになったことで離婚に至ったりした。筆者も独身であったが、退職金がまとめて入ったこと、そして実家があったことで治療に専念できたのは幸運だった。
“無収入”の時代が訪れる不安なく仕事できた自分は、これまでずっと会社に助けられてきたのだと、よくわかっている。
それでも一度すべてを絶つことをおすすめするのは、<過去と決別する>ためである。もうそれ以外にすることなど、ほとんどないと言っていい。
いったん素(す)になる必要がある。
1人になって、閉じこもり、じっと考える。
ガンは自分の細胞の変貌なので、本来の自分を取り戻す時間が必要なのだ。
孤独と向き合い、徹底的に考える。
そうしないと、そもそも自分はなんだったのか、わからないからだ。
生きていると、いろんなものがくっついてくる。元のかたちを分らなくさせているそれをはがしてゆく作業が闘病であったと振り返る。
自分をとりまく環境、人間関係、ライフスタイルすべてを見直した。
変わらなければならない、しかしそれができたなら終わりも同然、あとやることは、決まっていた。
1) 病人である自分と、とことんつきあう。
2) 病院をよく検討したうえで、この主治医についていくと決めたらば、その方針に従い、覚悟して治療を受ける。
■治療中の方がマシだった!?
この病気が難儀なのはある時期、戦争になるところであり、そこも会社とそっくりだ(前ページの1)と2)、病人を会社員に、病院を会社に、主治医を社長に、「治療を受ける」を「仕事する」に置き換えて読むことができる)。
戦闘や混乱は免れない。
人によってガンは違い、100人いたら100通りのガンがあるので、戦い方や期間も100通りあるだろう。人それぞれなのだけれど、あるときには激しく必死で戦わねばならない。そこを戦わないと、ガンはどこまでも追いかけてくる。
戦闘中は、真剣に戦う。そして、ここで和平と思ったら、ただちに武器を置いて戦場から去る。いつまでも戦場に立ち尽くし、呆然としたり、戦友と傷をなめ合ったり、異国に立ち入って勝手に国境線を引いたりしてはならない。去るタイミングを逃してしまうと、平時より戦時のほうがよかった、なんてことに。こうなるとタチがわるい。戦後が長引く。
和平を決めたら武器は保持しない。同じ手は二度と使えない。戦力は全て戦場に置いていくことになる。ここも会社と似ている。
私は治療を途中でやめているので、戦闘のさなかにガンと和平協定をむすんだようなことになっている。そのことについては、次回書かせていただこうと思う。
さて、戦場を去ってどこへ行くか?
待ってくれる人がいたらそこに帰れるが、よく考える必要はある。
会社に戻るな、とは言わない。しかし以前と同じ生き方では、敵はまた追いかけてくるので、居ながらにしてやり方を変えることをおすすめする。
会社を辞めなかった人には会社が、離婚にならなかった人は家庭が、そこがもしもあたたかく迎え入れてくれる場合それに越したことはないにしても、乳がんのように長期間治療の病ほど、そのサイクルに呑み込まれ、うっかりすると治療の世界が居心地よくなってしまうケースがあることも、ここで言っておきたい。
とかく人は慣れた場所にいてしまうものだ。
病院の中にいれば守られるし、みんな優しくしてくれる。同じ病の友もいる。精神的なケアサポートとして同じガンの患者同士が交流できる場を設けている病院も多い。そこに専門医や経験者が出入りして、患者にヒアリングをしたり、アドバイスをしたり、の交流が生まれる。その交流がいっとき患者を支えることも否定はしないが、批判をおそれず書くならば、用が済んだらとにかくその場から離れるほうがいい。
一歩病院を出れば、外の世界が待っている。
そこにあらゆる問題が待ち受けていることはいうまでもない。
治療中のほうがまだよかったというほど、厳しいことがそこには待っているかもしれないが、治療の世界が居心地いいからといって居座らず、とっとと社会復帰したほうがいい。
素(す)に戻った本来の自分が、必ず新しい場所を引き寄せるはずだから。
おさらいする。ぜんぶをやめて、ひたすら治療に専念、そして治療が済んだら、そこもやめる。闘病前の自分と決別し、闘病中の自分とも決別する。この道しかなかった。
退社から8年、いまになって、会社がどういう場所だったのか、思い返すことが多い。
元気になった証拠かもしれない。
では、次回は「なぜ私は治療をやめたのか?」について書かせていただきます。
〈後編に続く〉
「毛=髪の毛、陰毛、自分を守ってくれるものたち(会社やお金…)のある生活」から「毛のない生活」へ。再び、「毛のある生活」へ戻ったとき、著者は別人になっていた。「小さくなる」「欠席、可。」「私は私」……からだを張ってつかみとった宝石のようなメッセージたち!
山口ミルコ(やまぐち・みるこ)東京都生まれ。専修大学文学部英米文学科卒業後、外資系企業を経て、角川書店雑誌編集部へ。94年2月1日から2009年3月末まで幻冬舎。プロデューサー、編集者として、文芸から芸能まで幅広いジャンルの書籍を担当し数々のベストセラーを世に送る。幻冬舎退社後はフリーランス文筆業、クラリネット奏者として活動。2012年2月に『毛のない生活』(ミシマ社)を上梓。その他の著書に『毛の力 ロシア・ファーロードをゆく』(小学館)があり、ロシア・シベリア極東地域の取材・研究をつづけている。
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