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予防医療で医療費を減らせるか:個人の健康便益はあるが、ほとんどの予防医療が長期的に医療費や介護費を増大させる
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投稿者 あっしら 日時 2017 年 1 月 17 日 02:09:48: Mo7ApAlflbQ6s gqCCwYK1guc
 


[やさしい経済学]予防医療で医療費を減らせるか

(1)健康の維持・増進には寄与

東京大学教授 康永秀生

 予防医療とは病気になることを防いだり、病気を早期発見・早期治療することで病気による障害や死亡を減らすことを目指す医療です。規則正しい生活習慣、バランスのとれた食事、適度な運動などにより、生活習慣病やがんの発生を抑制することを一次予防といいます。定期健診やがん検診などにより、無症状の早期の段階で病気を発見し、早期の治療につなげることを二次予防といいます。

 健康はすべての国民にとってかけがえのない便益と言えます。予防医療によって病気の発生や進行を抑え、健康を維持・増進することは、国家レベルでも個人レベルでも優先度が高いと言えるのではないでしょうか。そのため、予防医療の推進そのものに異を唱える人はあまりいません。

 予防医療を推進することは、病気の発生・進行を抑え、結果的に医療費の抑制につながる、と一般には考えられがちです。政府は、高騰を続ける国民医療費を抑制する手段の一つとして予防医療の推進をたびたび掲げています。最近では、健康診断の受診など健康管理に努めた人に公的医療保険の自己負担割合を引き下げることを若手政治家グループが提言したというニュースもありました。

 しかし、予防医療を推進することによって国民医療費を削減することは可能でしょうか。実際には、これまでの医療経済学の多くの研究によって、予防医療による医療費削減効果には限界があることが明らかにされています。

 それどころか、大半の予防医療は、長期的にはむしろ医療費や介護費を増大させる可能性があります。そのことは医療経済学の専門家の間ではほぼ共通の認識です。しかしながら、まだ一般には、その事実があまり浸透していないように見受けられます。

 「予防医療は医療費・介護費を抑制できない」というメッセージを読んで、驚いた読者がいるかもしれません。次回から予防医療が医療費・介護費に与える短期的・長期的な影響について、具体的な事例を紹介しながら詳しく解説します。
 ――――――――――
 やすなが・ひでお 東京大医学博士。専門は臨床疫学、医療経済・政策学


(2)禁煙対策で長期的には増加

東京大学教授 康永秀生

 禁煙対策の推進によって医療費は削減できると一般には考えられています。禁煙対策によって、たばこ関連疾患の発生率が低下し、治療費がかからずにすむ分、結果的に国民医療費を削減できるという考え方です。結論から言えば、これは正しくありません。

 禁煙対策は絶対に推進すべきです。喫煙によって、がん・心筋梗塞・脳卒中などのたばこ関連疾患の発症や悪化に至ることは周知の事実です。喫煙者が禁煙することによって、たばこ関連疾患にかかる確率が低くなることも、医学的に証明されています。

 しかし、禁煙対策は長期的にはむしろ医療費を増やします。このことは医療経済学の分野では1990年代頃から議論され、今ではほぼ常識になっています。

 97年に世界で最も権威のある臨床医学論文誌のニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスンに「喫煙の医療費」と題する論文が掲載されました。喫煙者と非喫煙者にかかる医療費を比較した場合、40〜60歳代にかけては喫煙者のグループの方が医療費は少し高くなっているものの、70歳を過ぎると逆転し、以降は非喫煙者の医療費の方が大幅に高くなります。

 なぜそのようなことが起こるのでしょうか。たばこ関連疾患は、たばこ以外にも多くの原因によって発生します。そのひとつが加齢です。非喫煙者で40〜60歳代にたばこ関連疾患にかからなかった人たちも、長生きして加齢が原因となってがん・心筋梗塞などにかかります。がん・心筋梗塞などにかからなかったとしても、それ以外の病気、例えば認知症にかかります。

 一方、喫煙者は、非喫煙者よりも早くがんや心筋梗塞にかかり、早期に死亡します。死亡後は医療費も介護費もかかりません。つまり、非喫煙者は喫煙者に比べ、40〜60歳代の医療費はやや少なくなりますが、寿命が延びる結果、生涯にかかる医療費や介護費の総額は増えるというわけです。

 繰り返しますが、禁煙対策は絶対に推進すべきです。禁煙は健康長寿という何ものにも代えがたい便益をもたらすからです。しかし、それを実現すれば、結果的には余計にお金がかかるということです。

[日経新聞1月5日朝刊P.29]


(3)メタボ健診に予防効果

東京大学教授 康永秀生

 メタボリックシンドローム(通称メタボ)は内臓肥満と高血圧・高血糖・脂質代謝異常が組み合わさり、心筋梗塞や脳卒中などの動脈硬化性疾患をきたしやすい病態を示します。

 特定健康診査・特定保健指導(メタボ健診)は、40〜74歳の公的医療保険加入者全員が対象です。腹囲(ウエストの周囲径)、血糖値・脂質(中性脂肪およびHDLコレステロール)・血圧などの検査項目、喫煙習慣の有無など生活習慣についての質問項目があります。

 腹囲が基準値(男性では85センチメートル、女性では90センチメートル)を超えると内臓肥満が疑われますが、それだけではメタボにあてはまりません。健診結果によって動脈硬化の危険度をクラス分けし、それに沿った保健指導(積極的支援と動機付け支援)が受けられます。健康保険組合や自治体は、健診受診率が目標値を上回ると、後期高齢者医療制度への財政負担を軽減されるという経済的インセンティブ(誘因)を与えられています。

 メタボ健診の個別の項目には、実のところ、医学的根拠がまだ不十分なものも含まれます。例えば、腹囲や脂質・血圧の基準値が適切かどうか、医学的に決着がついているわけではありません。とはいえ、メタボ健診全体としては、それを推進することにより、メタボ予防につながり、国民の健康を維持・増進することがある程度期待できます。

 受診者によって個人差はありますが、特定保健指導を受けることによって健康管理の必要性について理解が深まり、生活習慣改善への意欲が高まる可能性があります。実際、2014年に「特定健診・保健指導の医療費適正化効果等の検証のためのワーキンググループ」がレセプト情報・特定健診等情報データベース(NDB)を用いて実施した分析の中間報告によると、積極的支援を受けた受診者のうち、翌年の健診でメタボが改善していた割合が、男性では2〜3割、女性では3〜4割ありました。

 メタボ健診は今後も推進されるべきです。しかし、メタボ健診が長期的に医療費を削減できるという確かな根拠はほとんどありません。次回はこれについて詳しく説明します。

[日経新聞1月6日朝刊P.25]


(4)費用かかる時期を先送り

東京大学教授 康永秀生

 多くの予防医療に医療費抑制効果はありません。これは医療経済学の専門家の共通認識です。医療経済学の大家であるミルトン・ワインシュタイン米ハーバード大教授らが2008年に発表した論文によれば、予防医療の費用対効果に関する1500の研究結果のうち、医療費削減効果を認めた予防医療サービスは20%以下でした。この割合は治療的サービスと同等であり、同じ疾患に対して予防が治療と比べて特別に医療費を抑制するわけではないことも示されました。

 メタボ健診は生活習慣病の発症を遅らせ、国民の健康レベルを維持・改善します。したがって、今後も推進されるべきです。しかし、メタボ健診が長期的に医療費を削減できるという確かな根拠はありません。厚生労働省は06年、メタボ健診によって25年には約2兆円の医療費を削減するという目標を掲げました。しかしこの推計値に学問的な根拠はありません。

 メタボ健診が短期的には医療費を下げる可能性を示すデータはいくつかあります。レセプト情報・特定健康診査等情報データベース(NDB)を用いて14年に実施された分析によれば、特定保健指導を受けたグループは、受けなかったグループに比べて、翌年度の高血圧・脂質代謝異常・糖尿病治療にかかった1人当たり外来医療費が、男性では5340円(34.8%)、女性では7550円(34.0%)低くなっていました。

 しかし、この数値にはメタボ健診事業にかかる費用は計上されていません。しかも健診直後の短期的な医療費を見ているにすぎません。予防接種と違い、メタボ健診は疾患への罹患(りかん)を完全に防ぐことはできません。メタボ健診の対象年齢上限の74歳までに心筋梗塞・脳卒中・がんなどにかからなかった人たちも、長生きすればいずれそれらの疾患にかかります。あるいはそれ以外の病気、例えば認知症にかかります。そして、医療費・介護費は確実にかかります。

 つまり、メタボ健診によって高額の医療費や介護費がかかるタイミングが先送りされるのであって、一生涯の総額で見れば医療費・介護費の抑制につながるわけではありません。

[日経新聞1月9日朝刊P.17]


(5)ロコモ対策、削減効果は不明

東京大学教授 康永秀生

 ロコモティブシンドローム(以下ロコモ)とは運動器(骨・関節・筋肉)の障害によって「立つ」「歩く」といった運動機能が低下した状態を指します。ロコモのリスクは加齢に伴って増大します。2013年の国民生活基礎調査によれば、「介護が必要となった主な原因」のうち、骨折・転倒(11.8%)は第4位、関節疾患(10.9%)は第5位ですが、足し合わせると第1位の脳血管疾患(18.5%)を上回ります。

 適度な運動とバランスのとれた食事がロコモを予防し、健康寿命を延ばすことは多くの医学研究で実証されています。年齢を重ねても自分の足で歩き続け、充実した老後を過ごすにはロコモ予防対策が重要です。

 ではロコモ予防対策は医療費を削減できるでしょうか。ロコモ予防対策で運動器疾患を防止できれば、要介護状態を回避でき、医療介護費を削減できると一般には考えられています。しかし、ロコモ予防対策は、メタボ健診などと同様、短期的な医療費を削減するというデータは散見されますが、一生涯の医療介護費を削減できるという医療経済学的な根拠はありません。

 ロコモ予防対策が運動器疾患を完全に防ぐことはできません。長生きすれば疾患は進行し、いずれ医療介護費は確実にかかります。つまり、ロコモ予防対策によって医療介護費がかかるタイミングが先送りされるのであって、一生涯にかかる医療介護費の総額を抑制できるとは限りません。

 14年版厚生労働白書によれば、平均寿命と健康寿命の差、すなわち死亡前の「不健康な期間」は、男性が9.13年、女性が12.68年と推計されています。平均寿命が今後も伸び続け、健康寿命との差が拡大すれば、医療介護を必要とする期間が延長します。

 そこで厚生労働省は疾病予防対策によって死亡前の「不健康な期間」の短縮、つまり「平均寿命の増加分を上回る健康寿命の増加」を実現できれば、医療介護費を削減できるとしています。このロジックはもっともらしいのですが、実現できるとは限りません。健康寿命が増加しても、その後の「不健康な期間」が短縮できるという医学的な根拠はないのです。

[日経新聞1月10日朝刊P.15]


(6)がん検診、普及すれば治療費増大

東京大学教授 康永秀生

 がん対策の基本は早期発見・早期治療です。がん検診には胃・大腸・肺・乳・子宮・前立腺がん検診などがあります。多くのがん検診はがん死亡率の減少効果が証明されており、受診が推奨されています。しかし現在、がん検診の受診率はまだ低く、これを上げていくことが国家的課題です。

 がん検診は、(1)がん死亡率減少効果が科学的に証明されている(2)検査自体の身体的な負担が少ない(3)費用対効果に優れている――などが理想とされています。例えば、陽電子放射断層撮影装置(PET)を使ったがん検診は(1)を満たしていません。

 (2)について、大腸がん検診は、便潜血検査という身体的負担の無い方法です。精密検査では大腸内視鏡検査というかなり身体的負担のある検査が行われます。(3)は、がん検診にかかる費用が得られる効果に見合っているということです。検診そのものの費用だけでなく、その後の精密検査の費用やがんが見つかった場合の治療費も含まれます。

 がん検診の普及によってがんが早期発見されれば、がん治療費は安上がりで済み、医療費削減につながると一般には考えられています。しかし、これは誤りです。検診が普及すれば、がん治療にかかる総医療費はほぼ確実に増大します。それは、がん検診の診断精度の限界によるものです。

 がん検診では、本当はがんでは無いのに検査では陽性となる「偽陽性」という問題があります。大腸がん検診の便潜血検査では、便の中に血液が混じっていないかどうかを検査し、混じっていれば陽性と診断されます。これは大腸がんが出血しやすいという性質を利用したものです。しかし、大腸がん以外にも、下痢や痔(じ)によって便の中に血液が混じることがあり、それらも検査では陽性となってしまいます。

 これは検査の性格上、防ぎようのない、診断精度の限界です。しかし、そのせいで陽性と診断された人々も、大腸内視鏡検査を受けなくてはならなくなってしまいます。そのための費用が少なくありません。

 また、がん検診には「過剰診断」という問題もあります。これについては次回詳しく説明します。

[日経新聞1月11日朝刊P.26]


(7)がん検診、「過剰診断」が問題

東京大学教授 康永秀生

 欧州での前立腺がん検診の大規模な臨床試験の結果が2014年、世界的に権威のある医学専門誌「ランセット」に報告されました。対象となった集団を検診を受けるグループ(検診群)と受けないグループ(非検診群)に無作為に振り分けて13年間追跡調査した結果、試験開始時に55〜69歳であった集団では、検診群が非検診群と比べて29%の死亡率減少が認められました。前立腺がん検診の死亡率減少効果がはっきりと認められたのです。

 しかし、がん検診には「過剰診断」という問題があります。がん検診で見つかる早期の前立腺がんには、進行スピードが非常に遅いがんも含まれています。そのような早期がんは、そのまま放置しても進行がんに至ることがないこともあります。生涯にわたって発症せず、検診を受けなければ発見されることもないため、「潜在がん」と言われます。このようながんを発見してしまうことを「過剰診断」といいます。

 発見時点では、放置しても進行しないのか、放置すると進行がんに至るのか、明確には区別がつきません。そのため多くは手術や放射線治療などの対象となります(最近は、すぐに治療せずに厳重に経過観察する「PSA監視療法」が行われることもあります)。

 上記の欧州の臨床試験でも、検診発見がんの33%が過剰診断であったと推計されました。欧州のある研究結果では、非検診群10万人を25年間追跡調査すると仮定した場合、2378人の前立腺がんが発見され、検診・治療を含めた総費用は約3000万ユーロと試算されました。

 一方、検診群10万人からは4956人に前立腺がんが発見され、その総費用は約6000万ユーロと試算されました。そのうち、がん検診自体の費用は総費用の約5%にとどまり、過剰診断・過剰治療にかかる費用が総費用の約39%に上りました。

 このように前立腺がん検診は、多くの前立腺がんの早期発見・早期治療につながり、死亡率を減少させることができる一方で、過剰診断・過剰治療によりがん検診・治療にかかる医療費を倍増させているということができます。

[日経新聞1月12日朝刊P.29]


(8)抑制には他の方法が必要

東京大学教授 康永秀生

 今回が「予防医療で医療費を減らせるか」シリーズの最終回です。これまでに予防医療の実例として、禁煙対策、メタボ健診、ロコモ予防対策、がん検診などを採り上げてきました。これらの予防医療はいずれも国民の健康の維持・改善に貢献できます。したがって今後もこれら予防医療を推進すべきです。

 しかし筆者は、今回の連載の中で一貫して、いずれの予防医療も、短期的には医療費を少し削減することはあっても、長期的には医療費・介護費を抑制できない、それどころか逆に医療費・介護費を増大させることもあることを繰り返し説明しました。このことは医療経済学の専門家たちの共通認識です。

 だからといって、予防医療をやめたり控えたりすべきだと説くつもりは全くありません。予防医療は、国民に健康長寿という何ものにも代えがたい便益をもたらします。ですから、国・地方自治体や医療従事者は今後も引き続き、予防医療を積極的に推進すべきだと考えています。しかし、それにはお金がかかることも事実です。

 2006年に厚生労働省は、メタボ健診によって25年には約2兆円の医療費を削減するという目標を掲げました。「予防が医療費を削減する」といえば、聞こえはいいかもしれません。しかし、このような推計値には、全くと言っていいほど根拠がありません。

 わが国は今後も高齢化が進み、医療費や介護費は増大し続けるでしょう。それを予防医療によって抑制することはほぼ不可能と考えられます。医療費の抑制はその他の方法を講じる必要があります。医療サービスの無駄や過剰な供給があれば、それを見つけて抑制することが必要です。同等の効果であれば、より費用の低い医療サービスが提供されるべきです。

 それらを実践しても、なお残る医療・介護費の自然増加分は、その負担を国民全体で分け合う必要があるでしょう。次世代に負担を付け回さず、持続可能な医療・介護システムを将来にわたって築くことが、今後一層重要になります。

[日経新聞1月13日朝刊P.25]


 

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