http://www.asyura2.com/16/iryo5/msg/232.html
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仏ランスにある病院の眼科で目の検査を受ける女性〔AFPBB News〕
大学病院の事故と不正が減らないのはなぜか 医療ミスでも責任を問われない教授陣、病根は教授選考にあり
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47509
2016.8.2 上 昌広 JBpress
群馬大学で手術後の死亡例が相次いだ問題で、大学から依頼された第三者事故調査委員会は、7月30日に報告書を提出した。
朝日新聞の報道によると、主な問題点は以下だ。
http://digital.asahi.com/articles/ASJ7Z5HHHJ7ZULBJ006.html
(1)2009年度に同じ男性医師による手術の後に8人が死亡していたのに、対応をとらなかった。
(2)旧第2外科では男性医師1人に手術が集中。支援の体制がなかった。
(3)男性医師の腹腔鏡手術の技量に疑問を持つ同僚医師から手術の中止を求める声が出たが、教授が聞き入れなかった。
(4)旧第1外科と旧第2外科の間に競争意識があり、連携がなかった。
(5)病院は体制を整えないまま、手術数を拡大。
(6)死亡した18人のうち院内の安全管理部門に報告されたのは1人のみ
■責任を問われない教授たち
群大は、今回の指摘を受けて、組織改革を進めるだろう。既に2015年4月には、2つの外科を「外科診療センター」にまとめている。
ただ、私は、こんなことをしても問題は解決しないと思う。
問題を起こした旧第2外科の竹吉泉教授は、いまだに教授職にあるし、ホームページの「教授挨拶」では、医療事故の件に全く触れていない。
そればかりか「当教室のスタッフだけでほとんどの外科診療についてカバーでき、どのような患者さんが来院されても対応可能な体制をとっています」と主張する始末だ。当事者意識がない。
さらに、旧第2外科のライバルと評された第1外科の桑野博行教授は、4月14日に大阪市で開催された日本外科学会の会合で、来年度の学術集会の会頭に選出された。
オピニオン誌『選択』の6月号に掲載された「日本外科学会 医療を腐らせる「黒い利権装置」」によれば、会頭の選出では理事長の渡邊聡明・東京大学教授(腫瘍外科・血管外科)が推す東大閥の候補と、九州大学の推す桑野群大教授が対決した。
怒号も飛びかう中、中断を繰り返して夜半までもつれ、投票により桑野氏が選ばれたらしい。
日本外科学会は代々、九大閥が強く、対抗軸として東大閥が存在する。桑野群大教授も九大卒だ。群馬大学が置かれた現状を考えれば、桑野教授は群大の改革より、自分の出身母体の勢力拡張と、名誉職である「日本外科学会学術集会会頭」に関心があったと言われても仕方がない。
この事例が示すように、群大の問題の本質は組織図や手続き論ではなく「教授のあり方」だ。
群大の問題は、組織図をいじり、屋上屋を重ねるようなチェック体制を構築しても解決しない。下手な医師が手術をすれば事故は起こるし、統率力のない教授が指導すれば、医局は緩む。
■問題は教授選考にあり
トップが責任逃れすれば、部下の信頼を失う。竹吉教授や桑野教授の振る舞いを見れば、群大外科で事故が相次ぐのも仕方ない。
群大再生で議論すべきは、どうすれば適材適所の人材を登用できるかだ。私は、今こそ、教授の選考システムを変えるべきだと思う。
医局では教授に権限が集中する。誰に手術をさせるか、どこの病院に異動させるかは教授に決定権がある。絶対権限を持つ教授に対し、医局員は逆らえない。医局は教授次第と言っていい。
では、教授はどうやって選ばれるのだろう。
これは教授が構成員を務める教授会での選挙だ。その際、重視されるのは、研究と診療の実績だ。どれくらい手術が上手いか、いくつ英語で論文を書いているかをが、具体的な評価基準になる。確かにいずれも重要だ。ただ、これで教授を選ぶのは危険だ。
なぜなら、論文の筆頭著者や主治医に求められる能力と教授に求められる能力は異なるからだ。
医局のトップとして、教授に求められるのは管理能力だ。ところが、教授選考で、管理能力が話題になることは稀だ。なぜなら、教授会の構成員は、そんなことに関心がないからだ。
数年前、東大医学部を舞台に臨床研究の不祥事が発覚した。
慢性骨髄性白血病の患者の個人データをノバルティスファーマに無断で送り、講演料や奨学寄付金を得ていた黒川峰夫・東大教授(血液・腫瘍内科)は、いまだに教授の地位にあるし、千葉大学在籍中に自らが責任者として実施した臨床研究で不正を指摘された小室一成・東大教授(循環器内科)は、今年、日本循環器学会の代表理事に就任した。
知人の全国紙記者は「東大教授は逮捕されない限り、責任を取らない」と言う。
■幼稚で無責任な医学部教授
彼らの無責任な振る舞いは、東大医学部教授会や日本循環器学会の理事会で問題とならなかったようだ。「医学部教授」という人種の考え方が分かる。幼稚で、無責任なのだ。
では、どうすればガバナンスを効かすことができるか。
医学部の教授会は構造的に腐敗しやすい。それは一部の教授たちが、教授選考を通じて大きな権限を持つのに、誰からもチェックされないからだ。
竹吉・黒川・小室教授のケースのように、どんなに問題を起こしても、自ら辞めない限り、教授職は安泰だ(ちなみに部下の医師は辞職している)。
国民が激怒し、マスコミに袋だたきにされても、組織内で責任を問われることはない。ほとぼりが冷めれば、医局員や教授会で、自らを安全地帯に置きながら人事権を行使する。
知人の東大医学部の教授は「教授選挙は好き嫌いで決める輩が多い。怪文書が来ることもある」という。これで腐敗しない方がおかしい。
どうすればいいのだろうか。私は、人事権を行使した人に、応分の責任を負わすべきだと考えている。つまり、教授会の任命・監督責任を追及するのである。
具体的には、群大の場合、竹吉泉教授の教授選考で、誰が推薦し、どのような議論がなされたかを、公開すればいい。どのようにして「連帯責任」を負わすかは、群大が自ら考えればいい。
幸い、昨年4月から、改正学校教育法および国立大学法人法が施行された。教授会と理事会のあり方をどうするか、試行錯誤が続いている。今がチャンスだ。
学会も群大を応援すればいい。現在、医学界では、専門医の在り方について議論が進んでいる。第三者機関である日本専門医機構が、各学会が独自に認定してきた専門医資格を評価しようとしている。
■群馬大学の事故は氷山の一角
日本専門医機構は、大学病院など「中核施設」と地域の「協力施設」が連携して研修することを推奨している。おそらく、大きな反対がなければ、群大の多くの診療科は「中核施設」に認定され、労せずして、若手医師を「確保」することになるだろう。
果たして、群大に、その資格はあるのだろうか?
現在の群大病院が、その任に耐えないのは明らかだ。日本専門医機構の吉村博邦理事長は「専門医制度を通じて、国民に対し良質な医療を提供するための諸施策を検討する」ことを、「機構の役割」としている。私は、日本専門医機構の対応にも注目している。
医療事故だけでなく、大学病院では不祥事が相次いでいる。今回の群大の医療事故は氷山の一角だと思う。
大学病院の再生で、まず考えるべきは、「どういう人が大学教授に相応しいか」だ。
小川誠司・京都大学教授(腫瘍生物学、血液内科)は「教授に必要なのは特段に優れた臨床能力でも研究能力でもない。若い人材にチャンスを与えて、その能力を育み、もって我が国の将来を展望する「特別な能力」だ」と言う。
同感だ。今こそ、地に足の着いた議論が求められる。
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