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なぜ医者は「上から目線」で独善的なのか?言うことを聞かないと例外なく悲惨な末路に
http://biz-journal.jp/2016/06/post_15583.html
2016.06.22 文=北條元治/セルバンク代表取締役、医学博士 Business Journal
私は大学を卒業すると多くの同級生と同じように大学の医局に入り、医師としてのキャリアをスタートさせた。しかし、それは長くは続かなかった。いろいろな理由はあると思うだが、一言でいえば「私はお医者さんには向いていなかった」のだ。別に手先が不器用だったわけでもない。コミュニケーションに難ありだったわけでもない。
しかし、実際に臨床医として働いた最初の大学の医局は3年で飛び出した。アメリカ留学を経て2番目に移った大学の医局でも臨床医をしていたのはこれも最初の3年だけで、あとは大学に籍は残してはいたが、診療をせずに動物実験や研究をしていた。
そして、約15年前、ついに大学病院を飛び出し(お医者さんを辞め)、今の会社を起こした。そんな私のことを今では「先生」と呼ぶ人もいないし、自分自身もまた「お医者さん」であるとも思っていない。私のことを「先生」と呼ぶ人には、ついこう応えてしまう。「私は、医師免許は持っていますが、先生(お医者さん)ではありませんよ」と。
どこかの思想家が、「女性は女性として生まれるのではなく女性になるのだ」と言っていたが、医者は国家試験に合格したときから医者になるのではなく、大学を卒業してからのお医者さんとしてのキャリアが、一般の人々には理解しがたいあの独特な「お医者さま」のパーソナリティーを育むのかもしれない。会社を起こした今の私にとって「お医者さま」は、クライアントであり、ときどき私の健康を管理してくれる文字通りのお医者さまたちだ。
医療(医業)をサービス業の一種ととらえる人は案外多いのではないか。もちろん、医療には一般的なサービス業とはまったく異なった側面があるのは事実である。「医療はサービス業の一種である」と言い切ってしまうほど医療は単純ではない。
しかし、わが国の保険診療に従事する医師の視点からすると、この意識は逆転する。医師の大部分は「自分はサービス業に従事している」という感覚がほとんどない。極端な例になると、医療はサービス業だといわれること自体に腹を立てる医師さえいる。
この意識の違いは、なぜ起こってしまうのであろうか。
■医者は、最強の職業パーソナリティー
お医者さんというムラ社会を離れて約20年。今では、医師免許を持つ私でさえ、この独特のパーソナリティーと付き合ってゆくのはコツがいる。いわんや一般の人をやである。確かに職業には特有のパーソナリティーがある。教師には教師独特の、銀行員には銀行員独特のパーソナリティーがある。
しかし、あえていうと、お医者さんという独特のパーソナリティーは、特筆すべき最強の職業パーソナリティーではないだろうか。言葉は悪いのだが、一般の人々から見るとかなり異様に感じる。良くいえば、正義感があり純粋。悪くいえば、子供っぽく協調性がなく独善的。どうしてこのような職業的パーソナリティーを、お医者さんと呼ばれる人々は等しく持ってしまうのか。
その答えの一つは、パターナリズム(英: paternalism)という概念かもしれない。これは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるようにと、本人の意志に反して行動に介入・干渉することをいう(「Wikipedia」より引用)。
母親が甘いお菓子を欲しがる幼子に向かって叱っている姿を想像してほしい。これがパターナリズムの原型である。つまり、甘いお菓子が食べたいという幼子が望むことを、当の本人の意志を無視して禁止する(怒る)。結局、長い目で見たら子供のためになるからである。
確かに医学的知識に関しては、大げさではなく、この母親と幼子ほどの差が、患者と医師の間にはある。幼子が母親に盲目的に従ったほうが、結局自分自身の利益になるのとまったく同じで、医師には多かれ少なかれ、「つべこべ言わず私の言うことに従っていればいいんだ!」「口を挟むな!」的な感覚がある。「何を馬鹿な。明治時代のお医者さんじゃあるまいし」と思われる方もいらっしゃるが、私自身、今でもこの感覚はよく理解できる。
■医者に盲目的に従ったほうが健康を保てる
恐らく、この自分本位の「上から目線」の感覚は、お医者さん特有の感覚ではないかもしれないが、「手術をしましょう。死にますよ」という言葉に抗うことができる人はそう多くない。そして、多くの場合、言い方に難はあっても(ほとんどのお医者さんの言い方はキツイが、ほとんど悪気はない)、医者に盲目的に従ったほうが、健康状態を良好に保てる。それは断言できる。それが真実だからである。
医者の言うことを聞かず、怪しげな自然療法や食事療法、ホメオパシーなどの民間療法を信じた人は、例外なく悲惨な末路をたどる。この事実がまさに医師のパターナリズムの正当性を証明し、ひいては医師独特のパーソナリティーを形成するのであろう。
また、蛇足になるが、ほとんどの企業人、組織の中で働く人は「我慢」の閾値が高い。会社人は家族を持てばなおさら、自分の一時の感情で会社を辞めることはできない。いくら上司がいけ好かなくても、クライアントが横柄でも我慢する。ひたすら我慢する。そのなかで他人を鑑みる思考回路として「ああ、上司のこういうところもわかる。わからなくちゃ。うまくやっていこう」という意識が芽生える。
しかし、医師の場合、年収2000〜3000万円の求人が常にあり、一時の感情の爆発で辞表をたたきつけても、食うにはまったく困らない。時給1万円のバイトだってやり手がいないくらいだ。あえていうと、医師に共通するパーソナリティーは、組織を維持する「我慢」の閾値が極めて低いのである。
(文=北條元治/セルバンク代表取締役、医学博士)
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