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9月21日の読売新聞朝刊1面の「編集手帳」は興味深い内容だった。堺屋太一さん作の「豊臣秀長」にもとづいて、織田信長の居城であった清洲城(正しい表記は清須城)で、藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が石垣工事の割普請(わりぶしん)(工区を分けて担当した方法)で、短期間に仕事を成し遂げたと紹介した。それを受けて「現代になぞらえれば、『縦割りの打破』をなしえるかどうかは指導者の力量次第ということか」と指摘し、菅義偉首相に対して「目に見える成果を出さねばなるまい」と叱咤(しった)した。
鮮やかな文章であるが、この論説の構成は城郭考古学者として納得がいかない。なぜなら信長時代の清須城には石垣がなかったと城郭考古学から判明していて、秀吉が割普請によって短期間に成果を出したとする「指導者の力量」の話が、そもそも成り立っていないからである。
「編集手帳」ではていねいに「石垣は、接ぎ目がかみ合わないと崩れる恐れもある」「接ぎ目が合わない石は積み直させた」と秀吉の優れた指導力を詳述するが、いずれも当時の清須城の話としてあり得ない。もちろん「編集手帳」は小説をもとにしたとしているから、目くじらを立てる必要はないという意見もあるだろう。
しかし一国の首相を新聞社が叱咤するのに、論説の根拠にした歴史的出来事が、すべて創作にもとづいていたというのはいかがなものか。「指導者の力量」を問うのであれば、それにふさわしい秀吉の確実な事績はほかにあり、秀吉が確実に行った城の割普請の事例も、伏見城をはじめ多数ある。わざわざなかったことを持ち出す理由はない。なかったことで叱咤された菅首相も気の毒ではないか。
秀吉による清須城の割普請の話は江戸時代後期には確認でき、長く語り継がれてきた説話である。それをもとに堺屋さんは秀吉の割普請の詳細を創作した。もし「編集手帳」が「堺屋さんが記した秀吉の清須城での割普請は、史実としてはあり得ないが」と、小説だけでなく城郭考古学の研究成果も踏まえて後半の論評を展開したら、菅首相への叱咤に説得力が加わった。小説はあくまで小説であり、私たちが新聞社に期待するのは、史実や真実にもとづいた論説である。
(千田嘉博・城郭考古学者)
朝日新聞2020年10月02日 大阪 朝刊 大阪府・2地方
↑菅政権にひいきの引き倒し・読売「編集手帳」
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