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「エース記者」は語る
「週刊文春エース記者」が語るスクープの裏側
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161010-00000013-pseven-life
NEWS ポストセブン 10月10日(月)16時0分配信
9月30日、週刊誌の編集者、ライターが注目する一冊の本が出た。「スクープ! 週刊文春エース記者の取材メモ」(文藝春秋社)。著者の中村竜太郎氏は2014年まで週刊文春に在籍し、活躍してきた。同世代の「スクープとは全く縁の無い」フリーライターの神田憲行氏が迫る。
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今回の取材は個人的にも大いに楽しみにしていた。以前から中村竜太郎氏の名前は、スクープには無縁な私のようなフリーライターでもよく耳にしていたからだ。週刊文春の編集者から「うちに中村っていうエースがいて」と実際に聞かされたことがあるし、他誌の編集者、ライターも「文春のトップの中村」とたまに噂話をしていた。この本のサブタイトルに「週刊文春エース記者」とあるが、これは読者を呼ぶためだけの惹句ではない。彼は本当にそう呼ばれていたのだ。
本では読者もまだ記憶に新しいであろう「飛鳥涼覚醒剤事件」や、のちに海老沢会長辞任にまで発展する「NHK紅白歌合戦プロデューサー巨額横領事件」など、中村氏が手がけたスクープ記事の裏側が紹介されている。
それ以外で中村氏に印象深い仕事を訊ねると、「光市母子殺害事件」の被害者である本村洋氏の単独インタビューに最初に成功した話をしてくれた。
「本村さんのときは現場に最後発で乗り込んだんですよ。こちらは記者クラブに入っていないし、本村さんもどこにいるのかわからず、誰にも相手にされない状況でした」
取材の世界には『現場100回』という言葉がある。事件現場に何度も足を運べ、という意味だ。中村氏は文字通りそれを実践していく。
「といってもご近所はすでに他の記者が回ったあとですから、誰も手つかずのところを探し歩いていたら、山を越えたところに加害者家族が住んでいた住宅街を見つけたんです。そこはどこの記者もまだ来ていませんでした」
そこで聞き込んだ加害者の横顔を記事にした。それが本村さんの琴線に触れ、どこのメディアもまだできなかった単独インタビューに成功するきっかけになったという。本村さんのご両親も見つけた作業もすごい。
「僕は葬儀では花輪をよく見ます。亡くなられた本村さんの奥様とお子さんのお葬式の写真に1枚だけそれが写っているのがあって、誰から送られてきたものかルーペで名前を確認したら、本村姓のものがあった。親族に違いないと思って、電話帳でしらみつぶしで探しました。本村姓のお宅に電話を掛けて、違っていたら定規で線を引いてその名前を消す。そうやって一軒ずつ潰していって、隣の県で見つけました」
本では駅のホームで起きた殺人事件の目撃者を探すため、始発から終電まで改札に張り込んで利用客に尋ねていくエピソードも紹介されている。その駅で見つからなければ隣の駅へ。早朝から深夜まで毎日地道に聞き込んで、ひとりの目撃者を見つけたのである。
中村氏は「スクープを取るのに特別なことはなく、普通のことしかしていない」というが、その普通が尋常ではない。
──私はスクープを取るのは一種の才能だと思っています。自分にはその才能がありませんでした。中村さんはスクープを取る能力についてどう思いますか。
「性格、パーソナリティーという部分が大きいかもしれません。よく、『人当たりが良くて誰からも好かれるタイプで云々』とスクープを取る記者像が語られますが、そんなことはありません。いろんなタイプのスクープが取れる記者がいると思います」
──中村さんはどんなタイプですか。
「僕はものすごく人の話を聞きますね。役に立つ立たない関係なく聞きます。他の記者から『よくあんな役に立たない話を聞いていられるな』と呆れられるぐらい聞きます。我々の仕事って、人様の話が先にあって成立するじゃないですか? 凶悪犯であっても普通の市民であっても、僕は真摯に耳を傾けたいというのが信条でもあります。そういう人への共感力というのが強いのかもしれません」
──また情報源、いわゆる「ネタ元」という存在もあります。私もかつてネタ元と考える人と付き合うようなことをしていましたが、どうも功利的な人間関係に疲れてしまいました。中村さんはどうですか。
「よく若い記者からも『ネタ元はどうやって見つけるんですか』と聞かれるんですが、基本は身の回りの人を大切にすることからですよ。僕も損得関係から人付き合いしたことがありますけれど、やはり長く続きません」
──でもそれだと結局「好き嫌い」で人と付き合っていることになり、交友関係が狭くなりませんか。
「あ、僕は人の好き嫌いってそんなにないんですよ。どの人も等距離というか。そこは変わっているのかもしれません」
──夜に人と飲むのは欠かさず?
「文春時代は毎晩でしたね。僕はお酒飲めないんですが、ウーロン茶片手に毎晩ずっと酒席にいました」
──人の付き合い方で励行していることはありますか。たとえばよく聞く、掲載誌を送るときに直筆の手紙を添えるとか。
「むかしそういうのやってましたけれど、長続きしなかったですねえ(笑)そこまで筆まめじゃないというか(笑)」
──ですよね? ああ良かった(笑)
「でも週刊誌にいると苛酷な人間関係にさらされるんです。飛鳥涼のシャブのときも、親しいと思っている人から『あいつは暴力団からカネ貰っている』とかデマを流されました。付き合いうと危険と思われて、電話しても出てくれないとか、ネタ元が一切いなくなる。孤独感に苛まれるところがあります」
──その中で仕事の情熱を支えていたのはなんですか。
「僕が文春に来たのは30歳で遅いスタートなんです。結婚して子どもも生まれたのに、人脈もなにもない。人と同じことしていてはいけないと思って、がむしゃらに取材してきただけですよ。娘からは『パパはお酒も飲まないしギャンブルもしないし、なにが面白いの?』って聞かれるんですが、ほんとそうですよ。仕事が面白いといえればいいんですが、なかなかそうもいかないですよね(笑)」
──なにが楽しみなんですか(笑)
「海外旅行と動物見ることですかねえ。家で鳥飼ってますし、猫カフェもいきます(笑)」
現在取り組んでいるのは人物評伝。「著名人ではなく無名な人。無名だけど面白い人を世の中に届ける本が書きたい」。スクープ記者が発掘する無名伝だ。面白くないはずがない。
〈なかむら・りゅうたろう〉1964年生まれ。大学卒業後、会社員を経て95年から週刊文春編集部で勤務。数々のスクープをものにし、「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム対象」を最多の3度受賞する。本書は初の単行本。現在は雑誌だけでなく新聞テレビラジオでも活躍している。
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